緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

静かなる午後

2008年03月27日 12時58分26秒 | 心境写生


 日本版で中国作家銭鍾書氏の小説「囲城」を「結婚狂詩曲」にしたという。ネットで調べてみたら、確かにそうだった。

 ふっと「城中に囲まれた方は城外に出たい、一方、城外にいる方はみんな城中の光景に憧れる」とぼんやりと、私は作家の話を覚えている。

 諺でいえば、「隣の芝生が青い」といったほうがよかろう。

 「囲城効果」はよくある。いや、「効果」より「人間の本能」だといってもっと相応しいだろうと思っている。

 「霾や太古の如く人ゆきゝ」杜門が「春の霾(つちふる)」を詠む一句であった。北の砂に慣れている人が、南の草生えて鶯飛び、小橋に水流れる風景に憧れることもよくある。ところが、その場に身をおく方はいつも「じめじめと長く降る梅雨」や「猛暑」にうんざりする。「囲城効果」の一好例であろう。


          二


 暇すぎると、考えすぎがちである。
 
 思考は元々いいことであるが、考えすぎると、逆になるであろう。

  

          三


 「さくらんぼ」、「公園」。近頃読んだ短編小説であった。作者は梅雨嫌いで、南の堕落嫌いでもある。蘇童である。

 蘇氏の作品を読み始めるのは大学四年生の時であった。就職活動に忙しい同級生と違い、彼はちっとも心配しなかった。「さくらんぼ」の主人公伊樹と同じように「おかしかった」。

 実を言うと、「さくらんぼ」に対する興味が「伊樹」そのものではない。「伊樹」よりその病院までの「風林街」がもっと意味深くて彼を強く引き付けた。「木陰、白いパジャマ、さらに霊安室に改築された元々の九号病棟、さくらんぼの九号病室」。中国怪談風格を帯びる本作にぴったりする町の光景である。

 憂鬱な物語に、数字でも憂鬱になるではないか。「九号病棟九号病室」から私は「九九帰一(九九で一に戻る)」という宿命的な言葉を思い出した。



          四


 文字そのものは命あり。「蟲師」にある場面が頭に浮かんでくる。紙から飛び上がるその文字の「鳥」である。程よい温度さえあれば、文字も動け、あるいは何か物語を話してくれるだろう。


          五

 2008の到来に関わるかどうかは知らないが、年頭から頭が柔らかくなるという気がする。なんといっても、「この国に生まれたことはラッキかつ幸福だ」という心の有様である。なんとか08年から、世間をよく知るような気がする。

 街頭や路地の往来から賑やかな自由市場、うるさいおばさんたちまで、すごく好感を抱く。自分もおかしく思ってるが、事実である。

 おばさんらの「五月蝿さ」はあんまり好きではないが、その雰囲気が好きである。いわゆる「生活的な雰囲気」。イメージできるか。「井戸端会議」のような場面が生活において可笑しくないであろう。「井戸端会議」そのものが真の生活だといっても過言ではないであろう。

 なんといってもこの「世間」が好きである。この「国の世間」も。時々苦労しても好きである。生活は真実で充実するからだ。
 
 この国で自活できて、良きことだ。本当に。

 

 

 

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久しぶりです (中国迷爺爺)
2008-04-15 22:33:26
 長くパソコンの具合が悪かったこともあり、久しぶりに向日葵さんのブログを訪れました。
 なかなかよい随想で気に入っています。蘇童という作家の作品を読んでみたくなりましたが、日本語訳はないでしょうね。

 「街頭や路地の往来から賑やかな自由市場、うるさいおばさんたちまで、すごく好感を抱く」、「なんといってもこの「世間」が好きである。この「国の世間」も。時々苦労しても好きである。生活は真実で充実するからだ」・・・同感ですね。
返信する

コメントを投稿