一昨日、小学時代からのSちゃんから電話。
「あのね、A君の奥さんがとうとう亡くなったって・・・」
「えっ?あのまさ子ちゃんが? そう・・・とうとう夫婦とも亡くなってしまって
さみしいね。まだ76才なのにねぇ・・・」
何時もの長電話がしんみりなってしまった。
A君とまさ子ちゃんは同級生結婚で、皆をうらやましがらせたものだったなぁ・・・
そして、その夜にまた電話。Sちゃんからだ。
「あのねぇ、まさ子ちゃんが亡くなったって・・・」
「うん、知っているよ、あなたから聞いたけど」
「あら、そうやったかねぇ、私ちょっと呆けた?ね。」
「うん、ちょっとね・・・」
そして昨日、Sちゃんから電話が
「あのね、聞いた?まさこちゃんが・・・」
「・・・聞いたよ~ 3度目よ」
「え?云ったかな。いよいよ呆けたごたる!」
そう言うわたしも、このごろ物忘れもいいとこだけど・・・生きているもんね。
「さあ~て、起きるかな・・・」とごく当たり前のように迎える朝。
なんのために生きているのだ?と今までは深く考えることはなかったが
この頃、ふっとそんなことを思う日もある・・・
一人ずつ友の訃報の知らせが多くなってきた。
さみしい・・・
冬に逆戻りしたような一日でした。
どんなにしっかりしているつもりでも
若い人から見ると、一抹のさみしさを感じさせるものがあるのですね。
目も耳もすでに普通じゃないし、せめて動ける間は、なるべく娘たちにも心配をかけないようにと思っています。
Sちゃん 3回も電話 ちょっと心配ですね。
九州の叔母は89歳、孫の結婚式にきましたが、さすがにやつれてました。
あんなにしっかり者なのに、耳が全然聞こえなくて、会話ができずにガッカリしました。
年を取るということは、誰かの世話にならねばならず、考えさせられました。