ばあやの のんび~り日記  

還暦をむかえてからパソコンの勉強を始めて
傘寿も越えてしまいました。
いつまでパソコンできるやら・・・

世界最初の炭鉱通気メタンガス発電事業のCDM 国連審査

2011年01月04日 | ばあやの本棚

  こんな年賀状をいただきました。 

年賀状は 夫の元、上司であった S様からです
(赤いヘルメット姿と 中央左の帽子の方が S様です)

日本を支えたひとつでもある石炭  それを掘り出していた三池炭鉱、他にも北海道や長崎等など多くの炭鉱がありました。

炭鉱は 電気、機械、採鉱とに分かれ 中でも採鉱には、
メタンガス探知という通気関係の重要な仕事があり
炭鉱で働く人々の命を左右することにもなっていたそうです。

年賀状のS様は、採鉱と通気関係の重要な仕事を指揮、わが夫は採鉱に従事していました。

幾多の困難もありましたが、最悪の坑内事故などにも免れて、
こうして無事に停年を迎え はや18年をすぎて
平穏な毎日をおくることができています。

三池炭鉱の閉山から早いもので 14年たちました。(1997年3月30日閉山)

重要な産業であった石炭が目の前からなくなり、外国からの輸入に
たよらざるを得ない今
改めて、石炭がかけがえのない大切な宝物であったことを認識している今日です。

そんな中で今年は、ビックな年賀状が届きました。
俄然うれしくなり、その喜びをぜひに
みなさまにもお伝えしたくて パソコンにむかいました。

もう、30数年前でしょうか、社宅住まいの私たち家族。
夫も現役で、三池炭鉱勤務、毎日弁当もって坑内へ下がり、
厳しい採鉱の仕事に従事
汗と石炭にまみれた日々を送っていました。

その頃、若くして 陣頭指揮にたってあった S様が 
中国で還暦を迎えられたと知り 過ぎ去りし日の早さを感無量の思いでいます。

現在は、中国で 炭鉱での最先端の技術を生かした いろいろ重要な仕事に
従事されていることを知り

「あの若かったS様がねぇ・・・」と当時を懐かしく思い出しているのです。
日中友好の大きなかけ橋としての今後の活躍を、心より祈ります。

下記をクリックしてみてください。 炭鉱のことがくわしく掲載されています。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E4%B8%89%E6%B1%A0%E7%82%AD%E9%89%B1

 
http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2001/miike/miike.htm

 

ご本人様のお許しを得て 賀状をそのままアップしましたが、画面が小さくなり読みづらくなりましたので
下記に内容を表記いたしました。

 

大変ご無沙汰しております。
お健やかに新年をむかえられたこととお喜び申し上げます。
昨年末 C O P16 カンクン会議が開かれましたが、日本は地球温暖化においても、
海図のない時代の始まりに、星を見て位置を測るでもなく、風を掴んで帆を張るでもなく、
ただただ 漂流を続けているようで、憂いを感じています。

私は昨年還暦を迎えましたが、心のありようは青春半ばです。
中国で若い人たちと一緒に、二酸化炭素を削減するプロジェクトの開発を行っています。

昨年は四川省のパンダ保護区で マイクロ水力発電 C D M プロジェクト等をスタートさせ、
今年は 陜西省の炭鉱で世界最初の炭鉱通気メタンガス発電事業のC D M 国連審査を
スタートさせます。

本年もなにとぞよろしくお願い申しあげます。

 

(注)

明日、1月5日に中国に 出発されるとのことでしたので、急ぎアップしました
誤記、脱字もあるかと思いますが お許しくださいませ。

コメント (6)
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