チコの花咲く丘―ノベルの小屋―

チコの小説連載中!完結作は「でじたる書房」より電子出版!本館「ポエムの庭」へはリンクでどうぞ!

「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その44

2010-11-30 21:47:52 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
新聞広告に、ハローワークの求人情報。
隅から隅まで見るものの、
駄目だ・・・全然イメージがわかない。

一番はっきりしているのは、
今みたいな仕事は嫌だ、という事だけだろうか?

自分が頼りないと言われれば、それまでだけど、
「ヒカル、ここ送ってみなさい。」
結局、親に言われるまま、履歴書を送っている状態。

「あなたのために、仕事は作ってくれないのよ!
あるものの中から、選ぶしかないんだから!」
お母さんはそう言うけれど。

私の場合、まず、健康の事を第一に
考えなければならない。

洗剤に触れる仕事、
石けんで洗えない服を着せられる仕事、
化粧について規約がある仕事、
これらは絶対に避けなければならない。

そして、異動がない仕事。
今回こんな事になったのは、
異動で自分も周りもパニックになったのが原因だからね。
同じ過ちを繰り返さないように。

かなり選択範囲が
狭められてしまうのは事実。
だけど、
わがままじゃないんだ。
命を削ってまで働く事は出来ないのだから。

翌朝。職場を目指すヒカル。
電車に揺られながら、体の苦痛に
のたうちまわっていた。

塗り薬が効かなくなってから、
飲み薬、点滴。だんだん強力な薬を試してきたけれど、
どれも無効。咳も止まらないし・・・

全身ぐちゃぐちゃに腫れたこの体は、
見守っていくより仕方ないという状況。

こんな・・・生きているだけでも精いっぱいなのに、
何の社会保障もないなんて。

ウエダ先生はまた、一日留守だ。
広い部屋に一人、ポツンとデスクに腰掛けて、
ヒカルはパソコンを開いていた。

何となく気になって、
あのボランティアの責任者の名前を放り込み、
検索をかけてみた。

『本学の新任教員』
ピースサインの、あのオバサンの顔写真は、
まるで私を嘲笑しているかのように見える。

自分のいい加減な人の扱い、
身勝手な行為が、これ程までに
一人の若者の人生を狂わせているとは、
露も知らないんだろうな。

あまりにも悔しくて・・・
ヒカルは、涙を流さずには居られなかった。





「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その43

2010-11-29 22:27:28 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
次の仕事探し、
そして、ここを去る準備。
これから三ヶ月は、きっと、
あっという間に過ぎていってしまうと思う。

「ヒカルさん、年休はどのぐらい残ってる?」
「あと、八日です。」
「どのぐらいで使い切れそう?」
「そうですね・・・来週から、週一日ペースで
お休みいただけましたら。」

年休の消化、これも大事な後始末の一つ。
ウエダ先生と話し合って、
ヒカルは、来週から毎週火曜日を休ませてもらうことで、
この消化に充てる事にした。

これで、週三日は、
転職活動に時間を割ける。
ウエダ先生は今までと同じように、退職の日までずっと、
海外出張も入れて、慌ただしくされるそうだ。

今日は珍しく、一日部屋にいるから、
「よし、荷物の整理をしようか。」
という事になった。

年末に掃除したし、最終的には
引越し屋さんにお願いするから、
それほど力を入れなくていいんだけど、
大事なものを捨てたりしないようにしなくちゃいけないし・・・

あーあ。どうしてこんな目にばかり
遭わなければならないのだろう?
やっと安住の地を、見つけたと思ったのに!

毎日、家に帰ったら履歴書作成。
「ヒカル、これからどうするの?」

それを言われると辛い。
だって、私だってどうしたらいいか、
わからないもの。だから、

「とにかく、新聞とか、ハローワークとかを見て、
考えられる所に送ってみる。」
そう、考えられるところに、どんどん履歴書を送って、
ぶつかっていく、これしかない。

まだ一月は、始まったばかりだけど、
何としても見つけなくちゃ、次の仕事を。
・・・四月までに。


「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その42

2010-11-27 22:00:33 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
そんな・・・
ヒカルの報告を聞いた両親は、
顔色を変えている。

そりゃ、当然だと思う。
あの職場で長く働かせてもらえると
思っていたのだから。

でも、何時までも黙っている事も出来ない。
私だって、物凄く辛い気持ちで
打ち明けたんだよ。

「来年度の大きな予算がね、取れなかったんだって。
それで、私達も雇用を継続できないって・・・」
伝えられる限りの本当を、そのまま伝える。

それで、腹をくくったのだろうか?
「そう・・・残念だけど、どうしようもないわね。」
「で、仕事はもう、探し始めるのか?」
諦めの言葉から、少し前向きな言葉へ。
ヒカルは少し、後ろめたさを感じながら、
「うん・・・」
力なく答えた。

一夜明け、一月四日。
今日は仕事始め。
部屋にはもう、ウエダ先生が来ていて、
「おはようございます・・・あ、
明けましておめでとうございます。」

丁寧に挨拶するヒカルに、
「おめでとうございます。今年もよろしく。」
ウエダ先生はわざわざ立ち上がって、
頭まで下げてくれた。

とたんに、神妙な顔をする先生。
まだ荷物も置いていないヒカルに、
「・・・ヒカルさん、所長から話しあった?」
と、話しかけてきた。

「はい、年末に。」
「どうって?」
「はい、ここは今年度いっぱいって・・・・」

「そうか。実は僕もね、そう言われたんだ。
はぁ・・・。うちもまだ、最後の子が学生でね。
何とか次が見つかるといいけど・・・。」

ウエダ先生。
大学の先生をされていて、定年後、
こうして非常勤で席をおきながら、
研究を続けられている。

そんな立派な人でも、次を探すのは難しいなんて・・・
私なんか、本当に次、見つけられるのかな?

今日はお昼前から、研究所の新年会。
会場には、所長を始め、良く知っている研究者、
去年、ここの食堂で一緒に食事をしていた
よその研究室の秘書さんも来ていて、

皆が盛り上がるなか、ヒカルは人目を避け、
一人パイプ椅子にかけて食事をしていた。

ウエダ先生を始め、色々な先生に挨拶して回る所長を、
ずっと目で追う。

むしろ、辛抱していたのは私のほうなのに、
コミュニケーションが取れないとか、
甘やかされたとか、外で働くのは難しいとか・・・
あの時、向こうの空き部屋でそう言われてから、
所長に対してだんだん憤りを感じるようになってきた。

何故、始めから悪意の、CさんやDさんの元へ、
生贄のように放り込んだのか。

こうして置いてもらえただけでも
感謝しないといけないんだろうけど、
ヒカルは、恨み事を口にせずにはいられなかった。


「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その41

2010-11-26 22:34:21 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
どうしよう・・・
わかっていたとはいえ、
大変な事を言い渡された年末。

実際に動き出すのは、年が明けてからになるけど、
家族には、いつ伝えよう?

忘年会は、ウエダ先生と一緒に
所長の研究室のに参加させてもらったけど、
お酒を口に含みながらも
一人、少しも盛り上がれない。

一日、一日、と過ぎていき、
とうとう仕事納めの日。
「今年もお世話になりました。良いお年を。」
ウエダ先生と、月並みな挨拶を交わして、
ヒカルは家路についた。

「おかえり。無事に終わった?」
「うん。」
「ご挨拶は?」
「ウエダ先生だけ。他の人は会えなかった。」
「そう・・・お忙しいでしょうし、仕方ないわね。
失礼のないようにだけしておきなさいね。
しかし、今年は大変な一年だったわね・・・」

あの騒動の事は知らないわけだから、
二度も異動があった事について、だけど、
感慨深く言うお母さん。

そうだよ、本当に大変だった。
どうして私だけが、こんな目に遭わされなければならなかったのか。

次の日。
「おーい、戸締りは大丈夫か?」
お父さんの声で、確認すると、
ヒカルは一家三人で旅行鞄を持って
駅を目指すべくタクシーに乗り込んだ。

これから二泊三日で
ささやかな家族旅行に出かけるのだ。
「ヒカル!楽しいお出かけなのに。
明るい顔しなさいよ!」
タクシーの中でも、何度も突かれる。

仕事の事を思うとね、
居てもたってもいられないんだよ。
でも、これから楽しいレクリエーションに出かけるんだ。
この空気を壊すのは良くない。

また仕事を探さなきゃいけない。
この件については、三賀日が明けるまでは、
黙っておこう。
ヒカルはそう決めた。

ごちそうに舌づつみを打ち、
湯けむりに荒れてごわごわの肌を
柔らかくしながら、
心も体も癒す事に努めた三日間。

家に戻ったら、大晦日。
旅行の後始末を終えたら、
年越しそばをすすりながら、
去りゆくこの一年を振り返り、

元旦。先に旅行をした今年は、
初詣ぐらいで、また寝正月だ。

重い課題を抱えたまま過ごす
正月は、本当に辛い。
そして、三日。
仕事始め直前の夜、ヒカルは両親を前に、
とうとう本当の事を打ち明けた。

「お父さん、お母さん、大事な話があります・・・
今の仕事は今年度いっぱいで、
四月から次の仕事を探してくださいって!」











「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その40

2010-11-24 21:44:58 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
ウエダ先生から、ちゃんと仕事を
もらえて、
適当に気配りする余裕もあり、

何だかんだ言っても、
こちらに来てから
落ち着きを取り戻している。

ん?事務から一斉のメールが来ている。
『年末の大掃除のお願い』
そうか・・・もう、そんな時期なんだな。

十二月だ。
二月、異動を言い渡されて、
四月、CさんDさんのいる事務室へ
十月、ここ、ウエダ先生のところで
お世話になる事になり・・・

何だか、大変な一年だったなぁ。

今日は朝から、ウエダ先生と二人で
部屋の掃除をしていた。
私がここに来た時に、かなり気合を入れて
整理したけれど、忙しいウエダ先生。
すぐに要らない書類が溜まってしまう。

ヒカルがホッチキスやクリップをはずした書類を、
ウエダ先生がシュレッダーにかける。
そんな流れ作業をしながら、二人は静かな対話を始めた。

「この間ね、所長に会ったんだ。」
「何かおっしゃっていました?」
「ううん。ヒカルさん、どうしてる?って言う感じで、
妙に心配されていてね。僕は、とても真面目でしっかり仕事を
してくれているって、答えておいたけどね。」

よかった・・・ウエダ先生は私を悪く思っていないみたいだ。
そして、ここでの働きも、評価されている。

「私、学校時代もいじめられっ子でした。
どうして自分だけが、理不尽な目にばっかり合うのか
納得できないんです・・・。」

愚痴みたいな言葉を、ふいにこぼしてしまった時、
ウエダ先生は意外な事を言いだした。
「ヒカルさん、思い通りにならない事ってあるよ。
こんな僕だって、高校生の時、地理が好きで、
将来は高校の地理の先生になれたらいいなぁって思ってたんだ。

でも、その事を親父に話したら、強く反対されてな。
で、この道に来たって言うわけだ。」

そうなんだ!
「でも、それでもちゃんと自分の目的みたいなものを
ちゃんと持たれてたんですよね。私、そういうのなかったんです。
子供の時から、将来の夢なんかなかったんです。」

そう、ずっと絶望してきた。自分の人生に。

「そうか・・・でも、心配しなくていいと思うよ。
君はまだ若い。これからいくらでも
見つけられるよ。自分の道を、ね。」

先生の言葉に、ヒカルは慰められた気がした。

こんな風に、温かい職場で働いて行けたら、
どんなに幸せだろう。
本当に、こんなに温かく、本当に・・・

仕事納めも近くなったある日、
ヒカルは所長の呼び出しを受けた。
コンコン!ノックして入る所長室。

「ああ、そこにかけて。・・・ヒカルさん、
こちらに帰って来てからどうだ?」

「はい、落ち着いています。ちゃんと仕事もありますし。」
「それならよかった。あ、実は話というのは、
来年度、予算が大幅に減額される事になってな。
君も、今年度いっぱいで次の仕事を探してほしい。」

今年度いっぱい?!ヒカルは凍りついた。
「そんな!何とかならないんですか?!」
首を横に振る所長。

「それは難しい。前も言ってたけど、
君が起こした騒動は、もう殆どの人に知れ渡っているからね。
もう、よそで働いた方がいい。」

あんな騒ぎを起こしてしまったんだ。
雇ってくださいという方が厚かましいというのは
よくわかっている。

でも、何とか望みをつなごうと、
懇願せずには居られなかったのだ。
結局、
「・・・わかりました。」
ヒカルは所長の話に腹をくくり、退室した。



「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その39

2010-11-23 22:41:13 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
はぁ・・・!?
け、研究室!
我に帰り、あたりを見渡すヒカル。

そうか、仕事に来てたんだ。
十一月。立冬を過ぎると、
このがらんとした部屋はヒーターを入れても寒くて。

朝から咳が酷くて、
止まらなかったのだけど、
どうやらそのせいで、意識を失ったらしい。

ヒカルは、これが、この部屋で一人、
留守番中の出来事であった事を幸いに思った。
意識を失っていたところを、
ウエダ先生に見られてしまったら!

そんな事を考えると、とたんに
体温が下がってきた。

お茶でも入れて、温まろう。
そう思って湯呑に手を伸ばすと、
痛!

ガサガサになっている、
首の皮膚が引っ張られたのだ。
痛みを耐えながら立ちあがり、
何とかコップにお茶を入れ、
デスクに戻る。

あーあ。どうしてこんなに治らないのだろう?
私をこんな目に遭わせた張本人は、
地位も名誉も手にして、羽ばたいているというのに。

悔しさを、熱いお茶で飲みこみ、
ふと、通勤鞄に手を伸ばした。
ロクに化粧品の入っていない化粧ポーチ。
それを開けると、
例の、塗り薬が入っている。

使うべきでない事は、良くわかっている。
だけど・・・
少しだけ、少しだけ、と。
ヒカルは手を伸ばしていた。

もう、これを塗っても
皮膚炎は全くひかなくなっているのだ。
だからと言って塗らないと、
クスリヲクレ・・クスリヲクレ・・・

腫れた肌が、塗り薬を求めるのだ。
クスリヲクレ・・クスリヲクレ・・・
ヒカルは、その訴えをなだめるべく、
恐る恐る薬を塗りつけるのだった。

体は地獄でも、平穏に過ぎていく毎日。
「今度の異動先はどう?」
当然、家でも尋ねれるのだけど。

「殆ど留守番みたいなもんだけど、
仕事は所長の所にいた時と同じような事してるよ。
適当に時間はあるし、適当に忙しいし、働きやすいかな?」
「そう、それは良かったわね。先生もよさそうな方みたいし・・・」

本当、本当にそう思う。
その瞬間、無茶苦茶にしてしまった、
あの事務室が思い出された。

CさんとDさん・・・
人出が足りないから増員を要求しながら、
いざ、その人が来ると、
利害関係が一致した二人で仕事を囲い込み、
そこにいられない状況を作り出す。

ひょっとしたらあの二人、
私の前任者もあんな風にして
追い出したんじゃないだろうか?

所長を騙してまで、
こういう意地悪をする理由って?

わからない!わからない!
考えても仕方ないので、
明日の仕事の準備をしようと立ちあがったその時、
「痛!」

その様子を見たお母さんは、
「フフフ。ヒカル、原爆に焼かれたみたいな感じがするでしょう。」
笑いながら言った。




「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その38

2010-11-22 23:09:15 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
大体一週間で、
散らかり放題の部屋もずいぶんすっきりし、
空き箱で筆立てなんかを作ったりして、
デスクの上も、使いやすいように整理した。

部屋の合鍵を、ウエダ先生から受け取って、
これで、こちらの生活は大体整った。

当然の事だけど、
こちらに来ることが決定した日に、
「ウエダ先生には例の事は、話していないから、
君からも絶対口にしないように!」
所長から釘を刺され、

ひた隠しにして生きなければならない現実と闘いながら、
ヒカルは、名誉挽回に向けて頑張っていた。

電気ポットのお湯が沸いたら、お茶を入れる。
「あ、ありがとう。」
と、ウエダ先生。

「ヒカルさん、早速だけどこの論文探してくれる?」
今日は朝から、先生のメモを頼りに、
ネットで論文を検索だ。

こういう仕事は、所長の所にいた時にも
時々していたから、お手のものだ。

雑誌名を入れて、検索。
出てきた出てきた。
アルファベットばかりで、目がチカチカする。

えーと、どれだ?・・・あ、これだ!
見つけたら即、プリントアウト。
打ちあがったら、預かったファイルに綴っていく。

そうだよ、これが職場だよ。
ちゃんと仕事をあてがわれた事に、
ヒカルは涙が出そうな位感激していた。

十一時半を回った頃、
「ヒカルさん、今日は昼から出張で、
昼前には出て、食事も向こうの人と取るから。
君は、気にせずに食事に行って。」

「ありがとうございます!」
ヒカルはウエダ先生の言葉通り、
十二時の合図とともに財布とケータイを持ち出し、
食堂へ向かった。

今年の三月まで、何時も利用していた食堂だから
よく知っている。
ヒカルは長い行列に並んで、順番を待った。

こちらに来てから入ってきた情報だけど、
タキザワさんは家庭の事情で、
五月いっぱいで退職。オオキ先生も
あの研究会議の後、どこかの大学に席が決まられたとかで、
お盆過ぎにここを出ていかれたそうだ。

そう、今この研究所で、私を知る人は、
所長とウエダ先生、ナガオさんぐらいのものなのだ。

一体、どれだけの人に、私が起こした騒動の事が
知られているのだろう?
わからないけれど・・・とにかく今はなるべく、
一人静かに過ごしたい。

精算を済ませたヒカルは、
混み合う食堂に何とか席を見つけた。

寒くなってきたし、この間お給料も出たし。
今日は、から揚げラーメンだ。

CさんにDさん。
あの二人といた時は、
かなえられなかったささやかな幸せ。
立ち上る湯気にさらされながら、
涙が止まらなくなってきた。






「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その37

2010-11-20 22:09:22 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
「明日からね、また研究所の方に
戻る事になった。」
当り前だと思うけど、ヒカルの報告に、
両親は驚いた顔をしている。

「また秘書をするのよ。
所長の所じゃなくて、非常勤の先生のだけどね。」
「そうなの・・・どうして?」

「その方が仕事がしやすいんじゃないかって。」
「ヒカル、何かあったのか?」
「ううん、ないわよ。私もその方がいいと思う。」
「まあ、それならいいけど・・・」

ふぅ。何とかうまく伝えられた。
あの騒動の事は、どうしたって言えないもの。
でも、異動の事は黙っていられないし。

翌日。事務室に出勤。部屋に入るなり、
「ヒカルさん、今日から研究所の方に
戻られるんですね。」
と、Cさんの方から切り出してきた。

私が言いだすまでもなく、
すでに連絡が行っていたみたいだ。
それなら、話は早い。

コップにプラスチックのお椀、
ひざ掛け。文具類も向こうで使おうか。

すべて紙袋に入れ、黙々と後始末に取り組む。
予定通り作業は進み、昼前。
「では、今日から向こうへ行くので失礼します。」
一礼するヒカルに、二人が返してきたのは

「はい、お疲れさまでした。」
の、一言だけ。
ヒカルは、それ以上何もいわずに、事務室を出て、
電車の駅を目指した。

あんな所、一生行きたくない。
あの二人の顔も、もう二度と見たくない。

一時間ほど電車に揺られて、到着。
コンコン!恐る恐るノックすると、
「はい、どうぞ。」
「先生、こんにちは。今日からお世話になります。」
しおらしく挨拶するヒカルを、温かく迎え入れてくれるウエダ先生。

「所長からは、向こうの方が忙しいからって
言う話だったんですけど・・・」
言葉少ないヒカルの訴えにも、先生はうなづきながら、
思い出したように語り始めた。

「実は僕もね、現役時代に秘書として女の子を三人
雇った事があるんだ。でもね、三人になったとたん、揉めはじめて。」

「あまりにも揉めて、三人のうち一人を、
別室にしたんだ。一人ひとり話をすると、とてもいい子だったのに。
勝手に、三人のうち誰が一番、僕にかわいがられてるかって
なったみたいでね。僕は全然そんな気持ちなかったのに。」

なんか、凄くわかる。ついつい真剣に聞き入ってしまう。

「女の子って難しいわ・・・。」
よっぽど大変だったんだろうな。
ため息交じりに語る先生から、ヒカルはそう察した。

「ここはあまり人も来ないし、電話も少ないし、
のんびりやってくれたらいい。
でも、君が来てくれてよかった。僕も結構留守がちだからね。
ヒカルさん、働けない人っていないんだ。適切な環境と使いようで、
人は必ず働けるものなんだ。」

この間所長に、きつい言葉を吐かれただけに、
ウエダ先生の言葉が身に染みる。
「ありがとうございます!」
ヒカルは深々と頭を下げた。

折角クビをつなげてもらったんだから、
ちゃんとお役にたたないと。
この部屋、結構散らかっているな。
「先生、ひとまずお部屋の整理をします!」
ヒカルはガサガサの皮膚が裂けるのもいとわずに、
力仕事を始めた。




「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その36

2010-11-19 11:13:01 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
事が事だけに、仕方ないんだけど、
会った事もない事務局長にまで・・・
波紋は、どこまでも大きく広がっていく。

結局、家族には本当の事を打ち明けられず。
その代替策として、
ヒカルは所内の健康保健センターで受診するように
命じられた。

本当は精神科に行くように言われたんだけど、
以前のトラウマもあり・・・
センターにも、定期的に精神科医が来ているので、
その日に予約を入れて受診するように言われたのだ。

結果、シロ。
「疲れたんでしょう。」
というのが、医師の見解だ。

その後、しばらく、所長からの音信も途絶え。
知らないところで、どんな話が進んでいるのか。
気が気でないまま過ごす、そんなある日。

プルルルル!
「ヒカルさん、所長からお電話です。お昼から
研究所に来てください、という事です。」

午後。電車の時間に合わせて昼食を済ませる。
この本部から研究所は大体一時間位。
ヒカルは電車と不安に揺られて過ごす、その時間。

あ、ここだ。
降車。改札を出てさらに行くと、
研究所の敷地。懐かしい建物、所長に指定された部屋を目指す。

コンコン!恐る恐るノックすると、
「どうぞ。」
ドアの向こうには所長。

神妙な顔のまま、すすめられた席にかけるヒカルに、
静かに話し始めた。

「お疲れさん。あれから事務局長と交渉したけど、
向こうはノーの一点張りでな。
僕のところに帰って来てもらおうかと思ったけど、
こちらも体制を変えたし・・・そこで、君には
客員のウエダ先生の所へ行ってもらおうと思う。」

よかった!何とかクビはつなげてもらえた!
「あ、ありがとうございます。」
丁寧に頭を下げるヒカルに、所長は
「ウエダ先生は良く知っているだろう?そこで秘書として働いてくれたらいい。
ただし、今年度いっぱいになるけどな。」

「・・・わかりました。やっぱり、ここでずっとお仕事させていただく事は
できないですか?」
厚かましいと思いつつ、すがる思いで尋ねてみるけど、
「それは難しいと思うよ。」

再びうなだれるヒカル。所長は
「早速で悪いけど、行こうか。」
と、それに構わずウエダ先生の部屋へ引率した。

ウエダ先生の部屋は、敷地のかなり奥にある。
歩いて歩いて、さらに歩いて・・・
「ここだ。・・・ウエダ先生!」
ノックの音にこたえて、この部屋の主が出てきた。

「あ、所長。お待ちしていました。ヒカルさんですね。」
挨拶もそこそこに、
「空いている机があるから、それを君の席にしよう。」
早速三人でセッティングを始める。

「・・・よし。では、明日午前中は向こうを片づけて、
午後からこちらへ来てもらおうか。」
心配するな、という顔の所長。それに、ウエダ先生が続けた。

「ヒカルさん、要するにいじめられたんだな。
心配しなくていい。ここは二人だけだから、
私の事も気楽に思ってくれたらいい。」

優しい言葉に、潤む視界。
「ありがとうございます!」
ヒカルは深々と頭を下げた。















「ロストジェネレーション」第8章 より良い選択を その35

2010-11-17 21:16:47 | 就職氷河期「ロストジェネレーション」
家族には何も言えないまま、
日に日に秋めいていく。

それからも何度か、
所長とメールのやりとり、個人面談があったけど、
どちらかというと、私に対して同情的で。
何とか、ここにとどまれるよう、前向きに考えて
いただけているみたいだ。しかし、

私に対する所長の態度は
ある日を境に一変したのだ。

もう、ヒカルの面談室と化した空き部屋。
今日も所長と二人向かい合って座るのだけど、
開口一番、発せられた言葉は、にわかに信じがたいものだった。

「ヒカルさん、君は、外で働くのは難しいのではないか。」

どうして・・・あまりにもショックで、
口も開かないヒカルに、所長はさらに続けた。
「君は、コミュニケーションが取れない。
外で働くのは難しいのではないか?」

「職場という世界は、皆、少しずつ辛抱してるんだしね。
ここは二人で回れているから、君、
帰ってくれていいよ。」

「どう言う事です・・・。」
ヒカルの言葉が聴こえたのか、聴こえていないのか。
所長は馬鹿にしたような笑みを浮かべ、
「ご両親に、甘えるという事は出来ないか?」
と、言い放った。

「できませんよ!」
力強く反論するヒカル。失礼も甚だしい!
大体、何を根拠にそんな事を言うのか。

「で、今回部屋を無茶苦茶にした事は、両親に話したのか?」
「・・・話していません。」
そうだよ、そんな事話せるわけないよ。

「話せないのか?それはおかしいねぇ。」
まるで、かみつくような言い方。
「やっぱり、家庭に問題があるんじゃないのか。
君は相当甘やかされて育ったんだろうな!」

甘やかされた?
規則を破って、冷房をガンガンかけていたのは
Cさん。
こちらから投げかけたコミュニケーションを
断ち切ったのもCさん。
むしろ、甘やかされたのはCさんの方じゃないの!

もう、腹が立ってきた。しかし、どうする事も出来ず、
うなだれ、机の下でこぶしを強く握るヒカル。

「事務局長から言われたんだ。君のような危険な人物を
置いておく事は出来ないと。
だから、このまま退職してくれないか。
そのために、まず・・・ご両親に話してほしい。
君は一人で生計を立てている人ではないからね。」

どうして・・・何でこんな事に・・・・

一緒に行動していたナガオさん、
そして、CさんDさんにも、
何だかの事情聴取があったであろうことは
容易に想像できるけど。

たぶん、ヒカルだけが一方的に悪者になるように、
所長を言いくるめたんだろう。

所長、CさんDさん、ナガオさん・・・
ヒカルは唇をかみしめながら、
皆に、殺意を抱き始めていた。