叫ぶように歌を歌う事の無かった人が、振り絞って声を出していた。
何故だろうとインタビューを読んだ。
くすぐったくて、ただの傍観者とは違う。足りない事はよく分かっている、それでも愛を受け取った。
親友と話をした時。
とても興味深かった、わたしからの言葉が足りなかった。
もう少し言葉にしてみようと思う。
約十年前大学での授業「核は必要か不必要か」(無くす事が出来るのか出来ないのか)
親友の回答は「(無くす事が)出来る」そして「世界が一斉に(同時)に手放せばよい、そうすれば持つ必要がなくなる」
そしていくつかのディスカッション、教授からの回答は「面白い考えですね」。
親友はこころもち沈んでいた。足りなかった、だけれどそれでよい、、、彼女の教授がそうであったと願う。
十年後わたしの。
「平和的解決が出来る事が一番。だけれどそれが出来なくなる時が歴史上何処かで訪れるのが人の世。(ガンジーのやり方を継いでいる人達がいる、それでもインドが秩序のとれた安定した国かというと、違う。)
(自ら作りだすのは論外、絶対に持たない姿勢を貫き通すことは必ず出来る、持ってしまってから抱える不信感、信頼関係の崩壊はアメリカの銃社会に如実に現れている。)
民衆を動かす、(明確な先を見ている指導者とともに)デモを起こすのも方法。
たぶん教授は教授をうならせて欲しかったんじゃないかな(そうあってほしい)、具体的な立証と共にあっぱれって、微笑みたかったんじゃない?
それだけのレポートを書こうと思ったら相当の資料がいる。
もうひとつは、政治と繋がった力のある人たち、それは日本人でって言っている人達は論外、世界を動かしている人達とひょいと数時間話が出来ちゃうような、こどもでも高校生でも大学生でも、、、。だれがどのような力を持っているかさえわたしは名前を出して話は出来なくて、その時点でわたしと同等の状態の人達の場合、民意の世界(この場合核)に対する主張は大きな力を持たない。
こういう人がいればという過程でつまらないかもしれないけどね。わたしも核は一斉に手放せると思うよ。ビルゲイツとかスティーブジョブス(名前は適当に上げてしまった)とかうならせられる人とか、その場でとんでもなく彼らを怒らせたのに後に彼らの方から連絡をしたくなる、そしてそうなる事が分かっている上でそうできるような、、、そんな人がもしくはそんな人達のグループがここをこうしてあそこにこれをし気づいたら世界で一斉に核を手放していました、って。
教授はこの辺りをある程度具体的に言葉にできる人を求めていた、もしくは、これが出来ちゃうとんでも君がクラスに潜んでいるかもってあったんじゃない?(教授はーーー無くす為にはどうすれば良いかーーーが根底にありこれをテーマにしたのだと、そこはわたしの希望)」
残念だけどね、わたしはプーチンさんともオバマさんとも習さんともお友達ではない。
わたしのお父さんもお母さんも田舎では頑張っているけれど、世界どころか日本のトップで生きている人ではない。政治家でもない。
ビルゲイツにお話?何も話題はないよ。
自分がやってきた同等分野でさえ、故人だけれどアンナとも河合さんとも相手をわくわくさせることなんて出来ない、ありがとうを伝える、知りたい事を聞く、きっとそういうところ。
でもねやっぱり勉強を続けているし、実践をしている。
生涯勉強で、生涯実践。
「世界をかえるつもりはない」そう言っちゃう恥ずかしさ、そう言いながらインタビューではひねくれながらちゃんと語っていました、現代人かな。
わたしはそれを恥ずかしい(勉強が足りない、能力が足りない)と思いながら、、、戒めであり、自分の答えと勉強と。
決して抑止に繋がるとしても本当に使う事が起こった場合、使われた事にも使った事にも後悔しても仕切れない。
そしてこの世には使った事に苦しみを抱かない類いの人達がいる事、それが人間である事を頭に置いた時、せめて自分は持たず、持たずとも生きれる事を表明出来るだけの強さと頭脳がいる事。
次世代の軍事は数でもなく、武力でもなく、ネット社会を始め、世界での発言力と交渉力、人脈、、、頭脳だと思う。