気象予報士合格!その後・・・

第24回気象予報士試験に合格したヒコーキ雲がその後どうなったのかを報告します。

№11 メリークリスマス!そして良いお年を・・・

2005年12月25日 10時41分21秒 | Weblog
今週は強烈な寒波が来襲して
大阪でも数年ぶりの雪化粧(12/22)。
思わず自宅マンションの
ベランダから記念撮影をしました。
雪国の人には別に珍しくもない
ごく日常の光景かと思いますが・・・。
出勤のためいつもの駅に向かうと案の定電車は来ないし、
改めて都市の交通機関は雪に弱いなぁと実感しました。
                          
ヒコーキ雲はこのクリスマス3連休、
街の賑わいを尻目に家の大掃除に明け暮れています。
この時期になってもまだ年賀状が全部書き上がっていないし、
ほんとこの3日間は雑用に追われ続けていますね~。

さすがに昨夜のイヴだけは「気分だけでも・・・」と思い、
お寿司&チキンとクリスマスケーキを買い込んで、
自宅でシャンパンを開けてささやかな祝杯を上げました。
学生時代の悪友からヤケ酒に付き合え!と誘われましたが、
イブの夜をヤロー共と過ごすのは虚し過ぎるので却下(笑)。
ともあれ、今日はメリークリスマス!ですね☆

さて、またまた気象予報士として失格の失敗談です。
12/19(月)のことですが某大学の先生からの依頼で
大阪ミナミの都市熱環境を調査することになりました。
ヘリの熱赤外カメラで地表面温度を測定する任務でしたが、
キャリブレーションのため大学の研究チームも現地入りして
ヘリと足並みを揃えて気温等の同時測定を行う予定でした。

ヘリを予定通り飛ばすか延期するかは、
当日午前9時の天気実況で最終判断する手筈となっており、
ヒコーキ雲とパイロットでウェザーブリーフィング。
天気は晴れでしたが強い冬型の気圧配置となっており、
午前9時現在の強風が計測開始予定の午前11時頃に
更に強まるか弱まるかの予測がポイントとなりました。

パイロットは延期した方が無難との意見でしたが、
午前9時現在の風速は15ノット程度の西北風で
ギリギリ何とかヘリが安全に飛べる風の強さ。
これ以上風が強まるとフライトが危険になりますが、
天気図を見る限り冬型が次第に弱まり
中国大陸の高気圧が張り出してくる予想…。
                       
延期するとせっかく準備万端の大学研究チームも
仕切直しで二度手間になるという思いもあり、
ヒコーキ雲は午前9時現在が強風のピークで、
午前11時には強風は多少マシになると予測。
パイロットにフライトのGOサインを出し、
大学の先生にも予定通り実施の旨をお伝えしました。

ところが北西風は弱まるどころか勢いを増し、
八尾飛行場でスタンバイ中のパイロットから
危険なのでフライトを中止したい!との要請が出ました。
大学研究チームはそろそろ現地に到着している頃でしたが、
安全を最優先してヒコーキ雲はフライトを断念。

直ちに大学の先生に連絡を入れましたが、
悪いことは重なるもので先生の携帯電話が繋がらず、
大学研究チームは現地測定を開始してしまいました。
先生と連絡が取れたのは研究チームが大学に戻った夕方。
ヒコーキ雲はただただ平謝り・・・。
                 
先生は「天気は気まぐれだから仕方ないねぇ~」と
今回の空振りを水に流して下さったのですが、
先生と知り合ったのは1年くらい前で、
ヒコーキ雲が気象予報士だと知らないのが救いでした。
もし知っていたら、ますます大恥をかくところでした。
なお、延期日は明日(12/26)の予定なので、
明日こそはリベンジを達成したいと思っています。

今年も残すところあと1週間をきりましたね。
毎週日曜日に更新しているこのブログも年内はこれで最終です。
来週はお正月なのでブログも一休み・・・。
ヒコーキ雲は帰省先の愛媛で温泉三昧の予定です。

それでは、良いお年をお迎え下さい☆
                    

№10 日本気象予報士会の案内会

2005年12月18日 09時49分03秒 | Weblog
1週間に1回のペースでブログを
書いていますがスタートに遡り
タイトル№を付けることにしました。
今回は記念すべき№10号となります☆
                 
昨日は神戸ルミナリエに行ってきました(12/17)。
関西にも今季一番の強烈な寒気が流れ込みましたが、
物凄い人混みの熱気でかえって丁度良い感じでした。
2週間の開催期間で500万人が押し寄せるそうで、
阪神甲子園球場の年間入場者数300万人を上回る大盛況。
ただ今年は寒すぎて多少人出が鈍っているとのことです。
阪神淡路大震災の犠牲者の鎮魂が本来の趣旨なので
当時の同じ被災者としてヒコーキ雲も冥福を祈りました。

さて、もう1週間が過ぎましたが日本気象予報士会の
案内会(大阪会場)に顔を出しました(12/10)。
会場は大阪梅田の廃校を活用した梅田東学習ルーム。
スタート10分前の13時20分頃に教室入りしましたが、
既に25人位が集まっていてワイワイガヤガヤ・・・
教室の後ろに並べられた資料を手に取り着席しました。

10人程度は日本気象予報士会の役員のようで、
案内会への参加者は確か16人だったと記憶しています。
第24回気象予報士試験の新規合格者だけでなく、
もっと以前に合格した人も何人か来ていました。
教室をぐるりと見渡すと知っている顔が2人。
Hアカデミーの合格祝いで(№4ブログ参照)
ヒコーキ雲と同様に主賓として招かれたT氏とN嬢!
3人で手を振り合って思わぬ再会?を喜びました。

13時30分を過ぎた頃、まず司会の方からご挨拶があり、
日本気象予報士会の”日本”は「にほん」ではなく、
「にっぽん」と発音します!と強調していました。
日本気象学会や日本気象協会は「にほん」とのこと。
その後、スクリーンに投影されたパワーポイントで
次のような案内会のスケジュールが示されました。

① 開会あいさつ(日本気象予報士会副会長)
② 参加者自己紹介
③ 日本気象予報士会説明
④ -休憩-
⑤ 関西気象予報士会(関西支部)活動紹介
⑥ 武井副会長記念講演
⑦ 閉会あいさつ(関西気象予報士会会長)

②の自己紹介(1~2分スピーチ)は寝耳に水で、
教室の最前列端っこに座っていた女性からスタート。
その女性はいきなりのご指名にもかかわらず
悠然とスピーチしたので余計に焦りました。
ヒコーキ雲は7~8人目くらいに順番が廻りましたが、
即興で何を話したのかあまり覚えていません(笑)。

参加者の自己紹介で一番印象に残ったのは
兵庫県豊岡市のコウノトリ但馬空港を拠点に活動する
「但馬飛行クラブ」の現役パイロットがいたこと。
④の休憩時に早速声をかけて色々話を聞きました。
編隊飛行チームの3番機パイロットと知り更に仰天!
ヒコーキ雲の次なる目標は小型飛行機パイロットなので、
これを機に色々ご指導・ご鞭撻の程をお願いしました。
                         
もう1人の注目は日本気象予報士会の武井副会長。
⑥の記念講演で自己紹介がありましたが、
航空自衛隊で定年まで気象予報官として活躍し、
第1回試験に航空予報(第6回以降廃止)で合格。
民間気象会社への再就職を経て
JICA(国際協力機構)のシニアボランティアで
タイ気象局の技術指導を行ってきたそうです。

ヒコーキ雲は航空気象の専門知識を深めたいのですが、
その分野の第一人者のお話が聞けたことが最大の収穫です。
本当は懇親会にも参加して色々聞きたかったのですが、
N先生との忘年会が先に決まっており(№9ブログ参照)、
次回のお楽しみ!ということにしました。

あっという間に終了時刻の16時30分となりましたが、
日本気象予報士会は年齢、性別、職業、地域等が異なる
多様な人々が集まるとても魅力的な組織と感じました。
まだ法人化はされず現状は任意団体ですが、
逆に言えば柔軟性のある発展途上の組織ということです。
各自が自主的に活動して築くという面白さがあります。

今回の案内会でぜひ入会しよう!と決めましたが、
ひとつだけ問題?なのは入会のタイミング。
年会費5000円はヒコーキ雲の軽い財布には大きな出費です。
平成17年度はあと3ヵ月ですが月割りは無いみたい・・・。
勿体無いので来年4月に入会しようかと思っています。
Hアカデミー同窓生のT氏&N嬢も同じ意見でした。
損得勘定に左右されるのは関西人の気質みたいですね(笑)。

№9 午後7時28分の恋人

2005年12月11日 09時38分27秒 | Weblog
毎年のことですが忘年会シーズンに突入。
今週末は2連続で少々胃がもたれ気味です。
今年の忘年会は次のようなラインナップ。
12月だけで3キロは太ってしまいますね~。
                       
12/09(金):土木学会関係の宴(大阪)
12/10(土):元航空大学校操縦教官N先生の集い(神戸)
12/16(金):会社関係の宴(泉大津)
12/18(日):親戚関係の宴(西宮)
12/27(火):某証券会社OL嬢との恒例宴(大阪)
12/28(水):学生時代の悪友と朝まで生宴会(豊中)
12/30(金):帰省先での年越宴(愛媛)

昨日は日本気象予報士会の説明会に行きましたが(12/10)、
N先生(11/13ブログ参照)との先約があり
懇親会に参加できなかったのが少々残念でした。
説明会の内容については次回リポートします。

さて、意味深なタイトルですが、
先日たまたま新聞の夕刊を見ていて
「午後7時28分の恋人」という見出しに目が留まりました。
NHKのニュース7(全国放送)に登場する
お天気キャスター半井小絵さんの愛称だそうです。

彼女についてはテレビで見たことがある程度でしたが、
「午後7時28分の恋人」と呼ばれているのは初耳でした。
平日は帰宅してくつろぐのが午後9時以降なので、
ニュース7をほとんど見ることがありませんが、
この新聞記事を読んで彼女の気象コーナーを見たくなりました。

次の日、仕事を早く切り上げて足早に帰宅し、
着替えながらNHKのニュース7にチャンネルを合わせました。
まもなく午後7時28分となり半井キャスターの登場です。
彼女の気象解説をじっくり視聴したのは初めてですが、
何となく骨抜きにされて吸い込まれるような不思議な感覚。
                        
見た目はごくフツーのお姉さんで、
キレイなお天気キャスターなら他にもたくさんいます。
解説自体は他のお天気キャスターも遜色ありません。

彼女の何が男心をくすぐるのか自分でもよく分かりませんが、
何となく半井キャスターのオットリした物腰の柔らかさと
知的で少し色香のある雰囲気に魅了されるような気がします。
一言でいえば「癒し系」のお姉さんという感じですね。

今まで報道ステーションのお天気キャスター、
市川寛子アナが一番のお気に入りでしたが、
半井小絵さんもいいなぁと浮気心が芽生えてしまいました。

新聞記事によると半井キャスターは関西出身で、
もともとは日本銀行の職員という才媛だとか。
帰省すると大阪ミナミの「台湾食堂蔡彩」という店に
よく行くそうなので一度足を運んでみようかと思います。

女性の好みは十人十色なので一概には言えませんが、
半井キャスターの隠れファンは結構いるような気がします。
午後7時28分の恋人・・・
言い得て妙やなぁとすっかり納得しました。

№8 ヘリ会社転職までの道のり(後編)

2005年12月04日 11時04分34秒 | Weblog
ついに師走ですね。本当に月日が経つのは早いものです。
気分を変えてデザインテンプレートをクリスマスにしました。
大阪も寒さが少しずつ厳しくなり、そろそろコートの出番かも?
ここしばらく風邪気味でしたが、だいぶマシになってきました。
                             
さて、今日は前回ブログからの続き。
新卒入社以来7年間勤めた会社を退職(2003年6月)してから
現在のヘリ会社へ再就職(2004年2月)するまでの話です。

2003年7月から社会的には「無職」という状況になりましたが、
気象予報士試験のため2003年3月からHアカデミーという
社会人向けの資格スクールへ毎週土曜日に通っていたこともあり、
当初は何となく学生時代に戻ったような自由気ままな毎日でした。

経済的にも当初3ヵ月はスズメの涙ほどの退職金と貯蓄でしのぎ、
3ヵ月後から支給開始となる90日分の雇用保険(2003年7月当時)
を当て込んで半年程度は何とかなるだろうと楽観視してました。

半年後から先の収入見込みは全くありませんでしたが、
まずは8月末の目前に迫った気象予報士試験(第20回)に専念し、
退職後の2ヵ月間は先のことは考えず受験勉強に没頭しました。
今振り返ると恥ずかしいのですが、
当時は1回目の挑戦で学科・実技ともに合格するつもりでした。
結果は以前ブログ(11/6)で紹介したとおり惨敗でしたが(笑)。

初めての気象予報士試験も終わり、
2003年9月から本格的に転職活動をスタートさせました。
元航空大学校の操縦教官N先生(11/13ブログ参照)から
紹介を受けたヘリ会社が頼みの綱でしたが、
欠員が出れば考慮する程度で即採用との話ではありませんでした。
一方で日々の糧を得なければ自立した生活を送れません。

そもそも空の仕事をしたい一心で会社を辞めたのですが、
現実問題として仕事を選ばず収入を得る必要にも迫られました。
とりあえず食べていくために契約社員やアルバイトも視野に入れ
ハローワークに足げく通ったほか、新聞の求人広告やWeb、
転職者・新卒者向けの合同企業説明会などで求人情報をチェック。
案の定、航空関係の求人は皆無でしたが当面の「繋ぎ」として
働くには条件の合った臨時雇用のような企業も何社かありました。
期間限定で求人のあった地元の高校にも面接に行ったりしました。

しかし転職活動は何度応募しても不採用通知を受け取る繰り返し。
最初は「何とかなるだろう」と根拠もなく楽観視していましたが、
10回以上落ちた頃から現実の厳しさを思い知るようになりました。
「仕事なんて見つかるのだろうか?」と先の見えない不安に
どっぷり浸かりながら空しく時間だけが過ぎ去る毎日でした。
                             
「衣食住足りて礼節を知る」という言葉がありますが、
日々食べることすら危ぶまれる切羽詰った状況の中では
正直なところ気象予報士の受験勉強どころではない気持ちでした。
10月に第20回試験の不合格通知があり精神的にはダブルパンチ。

それでも空の仕事をしたい!という夢だけは持ち続けていました。
転職活動の傍ら、インターネットで航空関係の会社を見つけては
自分という「商品」を売り込むメールを送信したりしていました。
一方的にメールを送っても大半の会社からは何の反応も無く、
返事が返ってきても「現在募集はありません」の回答ばかり。

それでも諦めずにメールを送り続けていたある日、
ある会社から「話を聞きたい」という返事が届きました!
天にも昇るような嬉しい気分でした。それが今のヘリ会社です。
その当時、会社では特に募集は行っていない様子でしたが
晴れて内定を頂戴して2004年の新年を迎えることができました。

2004年2月から第2の社会人生活を開始して2年近くになります。
社長によると前職の実務経験と空への情熱を買ってくれたようで、
採用当時まだ勉強中だった気象予報士はオマケ程度だったみたい。
実際に合格してからは「気象事業部を新設しよう」という機運が
高まりつつあり気象ビジネスの勉強も始めたところです。

航空分野ではヒヨッコなのでまだまだ勉強不足ですが、
初心を忘れず日々頑張っていきたいと思っています。