彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『江戸時代の医療』

2008年09月06日 | 博物館展示
『江戸時代の医療』

彦根城博物館学芸員 渡辺恒一さん

9月4日~29日まで彦根城博物館では【人権学習シリーズ9 『江戸時代の医療』】の展示が行われています。


これに際して、博物館学芸員さんによるギャラリートークが行われましたので、その内容の一部をご紹介します。

人権学習シリーズは平成2年から行われていて今回で9回目になります。このシリーズは歴史を材料に人権の問題を考えようという試みです。
では、医療と人権はどういう風に繋がるのでしょうか?

あまり繋がるようには思えませんよね。
近年は医療技術が発達して延命治療などができるわけで、心臓が動いていても脳死など臓器移植の問題にもなるような話もあります。それを巡ってお医者さんと患者さんとの関係や家族との関係、そして例えば死に直面している人の人権をどう考えるか?などの問題があると思います。
また、患者さんが病気になったときに自分の病気についてどこまで知れるか?お医者さんがどこまで告知するのか?
なども権利の問題になりますね。
そんな現代医療の問題につきましては人権の問題も結びつきますね。

ただ今回の江戸時代の医療とした時には、今のように医療が発達していない時の人権問題というのは現代のような問題ではなく少し違った問題になります。

今回の展示で取り上げた問題は「人の生存権」
生存権は憲法でも「文化的で最低限度の生活」を国民は法律で保障されています。その重要な物として安心で安全な生活があり、それの一つに医療があります。
これは基本的な生存権を支えている部分です。

今回の展示で医療技術がどういう風に発達してきたかをもう一度確認します。
医療は今は社会的地位もお医者さんの信頼も高いですが、江戸時代はそれ程高くありませんでした。
それ程高くないという事は「医者に行けば何とかなる」という発想も無かったことになります。今の医術が科学的で客観性を帯びて居ますが、そうではない時代は極端に言えば医学もお祈りも変わらないという事もあります。ですから医学が高い信頼に上っていく行程があるのです。
その辺りが江戸時代においてどうなっているのかも考えます。


また江戸時代の衣料の発展において、お医者さんと患者さんの相互の関わりも重要になります。
江戸時代は現代にあうような医療制度もありませんし、飛躍的に医療が発展する事もありませんが、江戸時代の最初と終わりを比べれば確実にステップアップしています。
そんな時間は掛かったが頑張った人々の鋭意も紹介しています。

あと患者さんの視線から見れば、江戸時代は民間の世界が成熟していく時代で、近代の市民社会が準備されていて近代に繋がる町社会が成熟されていきます。
医療の事を考えると、それもよくわかります。
彦根藩領ではお医者さんは村(大字くらい)の単位で考えると5~6ヶ村に一人くらいのお医者さんが居ました。だから材村のお医者さんがかなり居たのですが、江戸時代の記録を見ると、患者がお医者さんを選んでいるという意外な事が分ってきます。
長浜の辺りに居ると思われるお医者さんの診断記録では余呉・浅井・坂田からも患者さんが日々きていた事も読み取れます。

これはどういうことかといえば、患者側がより腕の良いお医者さんや名声などの情報によって、お医者さんを求めて努力していたのがわかります。これは医療発展の上でとても大切だと思います。

医療の発展で、現在はまた複雑な問題が起こったりもして居ますが、江戸時代の医療の発展を裏付け、またどういう人々によって起こったかという事。
今は様々な制度問題で大変な事になって居ますが、社会の制度に限らずより良い物を作るには当事者がいかに関わっていくか?
それをどう解決し、作り上げていくか?というそれぞれの人々の主体的な鋭意にかかっていると思うので、江戸時代の医療のあり方を見る事によって今後の我々の社会をどう作っていくかを考える機会にしていただければ・・・と思います。


35件の展示のうちの一部をご紹介します。
江戸時代は初期に中国の漢方が中心で一部オランダから外科の技術が入ってきました。中期になると西洋医術が発展しますが、それで和漢漢方が無くなった訳ではなく、ベースは和漢が大きかったのです。
幕末でも漢方医の方が多かったくらいです。

江戸時代は、印刷技術によって医学書が広がりました。これは社会機能が潤滑に作用しているという江戸時代の特徴を顕著にあらわしています。
『傷寒論』
古くは中国の後漢時代に張仲景が書いた熱病の臨床書が江戸時代でも広がっていました。
『薬徴』
薬の特徴が書かれています。
『大和本草』
貝原益軒が記した本草学(今の博物学)の本、植物の図と薬としての効用が書かれています。
『解体新書』
杉田玄白らが訳した歴史的にも有名な本の印刷物です。
『蘭訳手引草』
西洋の薬が紹介されていますが、キツイので飲み過ぎないようにとの注意がされています。
『産論翼』
彦根藩士の子どもとして生まれた賀川玄悦は、産科の医者となり、妊娠中は赤ちゃんの頭が下にある事が正常な位置だということを初めて証明した人でした。
この玄悦の養子が記した書です。
『医者由緒書』
彦根藩に抱えられた医者は幕末に31家、平均的に30家があったそうで、その藩医となる彦根藩士たちの由緒をまとめた本。
石高ごとに並べられるので、時代によって順番が変わったりしてその度に並び替えられました。
『稽古館古記』
藩校・稽古館に医学寮を創り、藩医の子に医学を教えていました。
民間からここには居る人は居ませんが、政治機関が医療に携わっていた大切な証拠となる資料。
『こころの茎』
彦根藩領に住む者が日々のいろんな事を書いています、ここには妙薬や薬の情報が多く、民間でも薬が作られていました。


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