彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

明智丸訪問記

2014年11月16日 | 史跡
多賀町佐目には、明智光秀が一時期暮らしたという城があったとの伝承があります。
それが明智丸と呼ばれている城です。

今回、ある取材のためにこの城を訪れることにしました。
佐目にある十二相神社から登ることになりますが、神社裏の駐車場からも登れます。

写真の真ん中あたりの頂が明智丸主郭、右端のもう一つの頂が見張り台だと事前に調べたところに載っていました。

では、十二相神社へ

『多賀町史』にも創建時期はわからないと書かれていましたが、日露戦争出征のための祈願の灯篭などがありましたので、古くから信仰がある神社だと思います。
たくさんの墓石が並んでいましたが、これは前を流れる犬上川の底から出てきたものだとされています。


そんな神社から登山道を登っていきます。
基本的には高室山の登山道を進むことになるので、案内板通りに登山します。
急な山道を一気上がります。

すると、人の手が入った感じの小さな平地に出て、また奥に道が続きます。土橋のような雰囲気の道を進み

急に険しい坂になります。ここが堀切のようです。

堀切を越えると、三段くらいの掘削された平地があります。

一番奥が主郭になる部分です。

建売住宅の1階部分より少し狭い程度の曲輪がありました。

高室山の登山道でここまで来ることができ、ここから尾根に進むと登山できますが、見張り台にはもう一つの急なくだり坂を降ります。
その途中から巨石が点在するようになります。

いったん下りきると、目の前に火との高さほどの巨石があります。

ここを越えて、また道が続きました。

道の奥には急な上り坂、それを登りきると見張り台です。

ここも巨石がごろごろしています。
もしかしたら古代にはここに巨石や山岳信仰があったのではないかと思わせるような場所でした。







周囲の木を切れば、犬上川沿いの街道なども見渡せると思いますし、巨石による守備力の強さは計り知れない事でしょう。
思った以上に昂奮した城(というか砦ですね)でした。

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