文久3年(1863)6月9日、将軍徳川家茂が京を離れました。
大坂巡察ののち京都へ戻った家茂でしたが、幕府内では老中格の小笠原長行が1600の幕兵を率いて6月1日に大坂に入りそのまま淀へ向かって淀城に入ったのです。
この行動に朝廷が驚いていると、そのまま上洛して将軍に天下の大事を進言するというクーデター計画が持ち上がったのです。
3日に松平容保が説得に当たりますがうまくいかず、6日に朝廷が家茂に対して小笠原を罰するように命じたのです。
これを受けた家茂は、自ら説得にあたるために6月9日に淀城に赴きました。
この場で小笠原と面会し、小笠原は老中格罷免と江戸への帰還が命ぜられたのです。
家茂はこのまま大坂をめざし、13日に江戸へ向けて出港したのです。
大坂巡察ののち京都へ戻った家茂でしたが、幕府内では老中格の小笠原長行が1600の幕兵を率いて6月1日に大坂に入りそのまま淀へ向かって淀城に入ったのです。
この行動に朝廷が驚いていると、そのまま上洛して将軍に天下の大事を進言するというクーデター計画が持ち上がったのです。
3日に松平容保が説得に当たりますがうまくいかず、6日に朝廷が家茂に対して小笠原を罰するように命じたのです。
これを受けた家茂は、自ら説得にあたるために6月9日に淀城に赴きました。
この場で小笠原と面会し、小笠原は老中格罷免と江戸への帰還が命ぜられたのです。
家茂はこのまま大坂をめざし、13日に江戸へ向けて出港したのです。