彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『なぜ幕府は滅び、朝廷は生き残ったのか』講義受講報告

2012年07月12日 | 講演
ひこね歴史手習塾セミナー12『小和田&本郷 謎解き戦国塾』
2回目は『なぜ幕府は滅び、朝廷は生き残ったのか』というお話でした。
講師は、東京大学史料編纂所教授の本郷和人さん。
大河ドラマ『平清盛』の時代考証をされている先生です。


まずは、大河ドラマ『平清盛』でのお話などをされていて、天皇論についてもまず答えありきではなく、自らがどういう想いかを相手に伝え、相手の話を聞く議論が必要とのお話でした。


そして天皇家がなぜ残ったかというお話。
天皇家は万世一系とされていますが、これは明治時代に明治の元勲たちが列強と戦う時、日本を纏めるアイデンティティとして利用したとのことでした。
継体天皇以降の天皇家は確かに繋がっているとも話されていました。

ここから時代を追いかけつつ見て行かれたのですが、面白いです。
まず承久の乱の時、関西の御家人は後鳥羽上皇に味方して関東の御家人は北条義時に付くという形で、朝廷も武力を行使できたのですが、この乱に負けた時に、朝廷は二度と武力を持たないという武力放棄の院宣がでて、これ以降は朝廷が武力を持つことが無かったそうです。

南北朝時代には、後醍醐天皇の忠臣である吉田定房が「中国では皇帝の姓が変わるから中興があるけど、日本ではずっと同じ系統が続くので中興が無い」と言っていて、万世一系は素晴らしいことではないと思っていたのです。
その南北朝時代に活躍した高師直は、「天皇の権威は必要だけど、それは木像か金像でも作って置いておいて、生身の天皇は流してしまえ」と言っています。生身の天皇はいらないけど、天皇の権威は必要と言っているのです。

戦国時代前期に室町幕府の管領だった細川政元は、「儀式とか行わなくていいから、俺が認めたらお前は天皇なんだ」という考え方で天皇は権力も権威もなくしていたのです。

そして信長は天皇なんていらないという考え方で、この時が天皇家最大の危機だったのではないかとの考え方でした。
本能寺の変の後に豊臣秀吉は天皇に仕える世襲の関白豊臣家という権威を付けて天皇家を中興したとのことでした。


天皇家の扱いがだんだん悪くなり、豊臣秀吉によって残されるという考え方は新鮮でした。


最後に少し質疑応答の時間があり、堅い質問は次回と言うことだったので、『平清盛』に関連するしつもんをしてみました。
それは、今までの歴史では悪役だった信西を、阿部サダヲさんが演じられる今までと違う人物像で描かれたのは、どこからのイメージなのか?ということです。
本郷先生は、自分の頭を触って「ここです」と話され、本郷先生が信西が大好きで日本を代表する天才で、日本の歴史上に10人の天才を挙げろと言われたら必ず入る人物だとのことでした。
コメント
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