彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

東京訪問記7:南極観測船 宗谷

2011年12月18日 | 史跡
東京タワーと並んで、戦後日本の大きな事業といえば南極観測です。日本は敗戦国でありながら南極元年といわれる昭和31年には南極観測で世界と一緒に動き出したのです。

この詳しい内容についてはTVドラマ『南極大陸』や映画『南極物語』でも語られていますね。
そんな南極観測の為に選ばれた観測船が“宗谷”でした。そして南極観測船宗谷は今もお台場の海に係留されています。
外観はもちろんのこと、中も観ることができるのです。

あまり細かい説明よりも写真をたくさんアップしておきます。


  

 



 



   

 

 

 

  

 

 


昭和31年は、国際南極観測年に制定されていて、日本から初めて南極観測隊が出発する事になったのです。この為には南極観測船が必要となりました。
しかし、当時の日本に南極観測船を新改造するほどの経済力はなく、既に使用されている船の中から条件を絞りながら観測船を決定するしかなかったのです。

宗谷は元々昭和11年にソビエト連邦の依頼で建造された対氷型貨物船でした。昭和13年に進水が行われましたが、第二次世界大戦を前に国際情勢が混乱し、日本とソビエトとの関係が微妙な情勢であった為に引き渡しがなかなか進まず、昭和15年に帝国海軍が買い取ってしまったのです。
この段階まで民間貨物船だった船が、帝国海軍の軍籍船となり、石川島造船所で戦前の技術を使った改装が行われ、ここでやっと「宗谷」という名前が付けられたのです。
今でもお台場で見学できる宗谷は日本帝国海軍に所属した船の貴重な現存資料とも言えるのです。

第二次大戦中は、ミッドウェー海戦などの海戦を転戦し、奇跡的に沈まず(というか。沈まなかったから残ってるとも言えますが…)、敵の潜水艦を沈めた事もあったそうです。
厳しい戦争に生き抜いたからこそ、まだ戦争を経験した隊員も多かったであろう南極観測隊の隊員にとっては戦友との再会と再び戦いに行くような覚悟があったように思います。

こうして、宗谷は第一次南極観測隊を乗せて南極の氷を砕きながら進み、昭和基地建造に至る南極観測の最初の功績を助けたのです。
タロ・ジロの二匹の犬が生存した時のエピソードでもよく耳にします。

宗谷は、昭和53年まで各方面で活躍し続けた船なのです。


ちなみに、第一次越冬隊隊長となった西堀榮三郎の記念館が滋賀県東近江市にあります。
榮三郎の祖父が近江商人で、この地の出身だった縁です。

建物は船を模っていて、タロとジロの像もあります。

西堀榮三郎という人物は、南極だけではなく、チョモランマなどにも行きますし、経営にも大きな影響を残した人物でした。

今は南極で注目されていますが、もっともっと面白さを感じて欲しい人物です。
でも南極の展示もよく行われていますので、滋賀にお越しの折は寄って欲しいです。


  
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草津宮前遺跡の八稜鏡

2011年12月18日 | 史跡
奈良からそのまま草津まで戻って、平安末期の遺構である宮前遺跡で発見された八稜鏡の説明を聞きました。

ただの鑑ならそれほど珍しい物ではないのですが、柱穴の中から出土したということで注目されています。
柱を抜いた後に、柱穴を埋める過程で敢て置かれた鏡なのだそうです。それは土地の浄化などの祭事的、宗教的な意味があるのか?これからの研究課題なのだそうです。

また、鏡が埋められたとほぼ同時期の木棺の埋葬跡も見つかっていて、副葬品には当時では珍しい中国からの器があったそうです。

この地域にいた権力者なのか?その人物の埋葬と八稜鏡が関係あるのか?

歴史のロマンがここにもありました。
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