彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

2月17日、ノアの箱舟の日

2010年02月17日 | 何の日?
『旧約聖書』の中ではノアが600歳の年の第2月17日に大洪水が起きたと記されていて、この事から2月17日は“ノアの箱舟の日”と言われています。

40日間雨が降り続き、世界の全てが水没しちょうど1年後の第2月27日に大地が乾いたと言われているこの伝説は、以前は昔話として一笑されていました。
しかし最近になって、この説と真剣に向き合う研究が進められて真実である可能性が高くなってきたのです。
例えば、アメリカの先住民の伝説に残っていたとか。1876年にトルコのアララト山でノアの箱舟の残骸が発見され、1959年には記録に残る箱舟とそっくりの地形が発見されたとか。ですね。


ここで、管理人が愛読している作家さんの一人である井沢元彦さんの説を紹介すると。

“古代メソポタミアで、河が氾濫し町が飲み込まれるくらいの大洪水が起こり、町が沈んだ。
そこで偶然助かった人物が居て、その人は「みんな水に呑まれてしまったのに、自分が助かったことには何か神の恩恵があったに違いない」と思い、この経験を伝えるようになり伝説となった”

というものです。
当時は世界と言っても、個人が動ける範囲くらいしか認識されていなかった訳ですから、周辺の幾つかの町が水に呑まれてしまえば、「世界は沈んだ」と思われても仕方ないのかも知れません。

また氷河期から温かい気候に変わる時には、海面上昇により海抜の低い所は水に沈みます。こうして昔は栄えた町が沈んだ過去もあったのだと思います。
昔の人類には情報となるツールが少なかったですから、今なら過去の記録として歴史の中に埋没しそうな話も、大きな出来事として全世界に大洪水伝説を残したのかも知れませんね。

昔話や神話はそういった民族の事件や人物を伝えやすい形で物語にして語り継がれた「記録無き事実」である可能性を否定できないのです。


さて、こんな話は遠い遠い過去の事と思われがちですが、市区町村単位(古代の国や町は精々このレベル)での洪水となると、今でも各所でニュースとして見る事があります。

彦根では、とくに明治29年に起きた洪水は有名です。
今は、情報網の発達から町が水没したくらいでは神話のように残る事はありませんし、極端な言い方をすれば、災害で何らかの被害を受けた方以外は、次の大きなニュースが起こると注目しなくなってしまいます。
しかし、災害はいつ身近に起こるか分からないものです。

歴史の学び、現代の知恵を活かしてこういった機会に先人の残した警告を真摯に受け止めるのも必要なのかもしれませんね。
管理人の手許には、昨年彦根市が全戸配布したハザードマップがあります。普段はここから歴史を紐解く資料として使っています(特に、肥田城水攻めの時は穴が空くのではないか?と思うほど見ました)が、自宅かどうなのかを改めて確認することをお勧めします。
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