彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

天守閣の人柱

2006年05月21日 | 井伊家関連
メチャクチャ個人的な話なのですが、管理人はこのたび第42回彦根市民文芸作品 小説部門で特選を受賞しました。
そこで、今回はこの小説のネタにした彦根城の人柱伝説について書いてみます。

彦根城は、西日本から東へ向かう抑えの城としてその築城を急がれていました。
このため、近江国内の城から多くの資材が運び込まれました、それは天守閣も例外ではなかったのです。
天守閣に使われた資材は大津城から運んだ物でした。

大津城は5層の天守でしたが彦根城は3層です、突貫工事を急いだ事もあってか、せっかく作った天守台に天守が据付られず、工事が大幅に遅れる事となりました。

ある日、視察に着た城主・井伊直継に普請奉行が人柱を立てる事を要求します。しかし直継は非人道的な人柱を認めませんでした。
大勢の工事関係者が見守る中、直継と奉行のやり取りは続きますが結局直継がそれを認める事はなかったのです。

その様子を見ていた工事に携わっていた者が帰宅してからその様子を妻に話していると、それを聞いていた娘・菊が「わたくしが人柱になります」と口にしたのです。
両親は説得しますが菊は思いを変えず、仕方がなく直継に申し出たのでした。
直継もその意志を無下にする訳にはいかず、菊を人柱として天守台に埋めることになったのです。
この時、直継は菊の父親に深々と頭を下げました。

当日、白無垢を着た菊は父と共に登城し、白木の箱に入って天守台に向かいました。
天守前の太鼓門櫓では直継が待っていて、ここで父親は立会人を直継に譲り門の外でなく崩れたのです。
父と言う立場からは娘が埋められる場面に立ち会う勇気がなかったのでしょう。

人の想いは不思議なモノでこれ以降の工事は順調に進み、しばらくして天守が無事に据え付けられました。
しかし、菊の両親はそんな天守を見る気にもなれません。

またしばらくして、直継から書状が届きますそこには「妻女と共に控屋敷の客をもてなして欲しい」という物でした。
城に行くよりかは…と思って妻と一緒に控屋敷に向かう途中、そういえば最近、江戸から殿の義姉がやってきたという噂を耳にしたから、その女性の世話なのか?
と思い、控屋敷の座敷に上がると失礼がないようにと平伏して客を待ったのです。
やがて現れた客は女性でした。
その女性は「面を上げて下さい」と言ったので顔をあげると、そこには埋められた筈の菊が居たのです。

菊は人柱に志願しましたが、やはりそんな非人道的な事は出来ないと考えた直継によって白木の箱は空箱にすり替えられていたのでした。

こうして菊は江戸から着た客として控屋敷で穏やかに過ごす事になったのです。

心優しい直継の一面を示したエピソードですね。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする