彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

夏の名残りを探して

2017年10月07日 18時53分00秒 | 全国各地
一週間前、夏の名残りを探して神戸ワイン城をスタートし、
明石から江井島(えいがしま)、二見(ふたみ)にかけて播磨灘を眺めながら走り、
土山からまた神戸ワイン城まで戻るコースを自転車散歩してきました。

まずは最初の目標地点、明石城です。
遠くに明石天文科学館のタワーが見えています。

明石城を過ぎ明石川の河口まで走り、瀬戸内海に出ます。
遠くに明石海峡大橋が見えています。
肉眼では遠くでも大きく眺められますが、写真にすると、巨大さは伝わらないですね。

明石川河口から西に向かって自転車を進めると、西に広がっている海水浴場にでます。
もう、9月の最後、すでに海に入っている人はおらず、
日除けテントを張って夏休みの最後をバーベキューで楽しんでいるグループがいくつか。

更に西に走っても、人の殆どいなくなった海岸が続きますが、明石原人や明石象の化石等で知られている屏風ヶ浦海岸にでます。
色石で作られた壁画があり、この前を通ると、自然と頬が緩みます。

更に西に向けて走ると、江井島(えいがしま)海水浴場。
ここでもバーベキューを楽しんでいるグループがありました。

江井島は、神戸の灘とならんで、酒造で知られています。
江井島を流れる川の堤防を駆け上ると、その先に「明石江井島酒館」があり、観光バスで来る客が多いようです。

のぼり旗が掲げてあり、よく見ると「おせち」と書かれています。
おせちの予約受付開始ですかね、既に秋を通り越して冬支度です。
向うから、サイクリストが僕と逆コースを走ってきました。
「お疲れ」とお互い、軽く会釈してすれ違っていきました。

やや同じ調子のサイクリングロードを更に西に進むと少し大きな神社があり、境内に入ると、
がっしりした楼門が迎えてくれます。

拝殿の手前にこのような楼門のある神社も珍しいですね。


拝殿前から振り返ると、正面に舞台があり、舞台越しに楼門、その向うに門、鳥居が眺められます。

楼門に比べて随分と控えめな門です。


この門の外に前庭が広がり、そこに万葉歌碑があります。

脇に歌碑の説明があります。

最後の行の「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに…」の「松帆の浦」は明石海峡の対岸、淡路島の北端にあります。
淡路島をサイクリングすると最後のポイントで、そこを通過するとき自然とこの歌を口ずさんでいます。

住吉神社を過ぎると、夕方が急に近づいているのが感じられ、二見、土山を急ぎ足で回り、
稲美町を経て家路につきました。
遠くに、雌岡山(めっこさん)が見えてくると、自分の影も長く東に伸びており、

空を見上げると上弦の月が白く浮かんでおり、街並みは夕焼に赤く染まり始めていました。

神戸ワイン城まで戻ると、走行距離は55kmでした。


by W
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プチ避暑サイクリング

2017年08月27日 05時52分14秒 | 全国各地
神戸は連日33度以上。
家の寒暖計は35度を示すこともシバシバ。
家にいてもクラクラしてくる。

六甲山に行けば少しは涼しいかもと思うけれど、
山の上は涼しくとも、下界から走るのは自殺行為的。

仕方ない。電動アシストを山頂までもっていこう!と
先日、摩耶山の上まで自転車をもっていって、
摩耶山頂から六甲山最高峰まで往復してきました。

さすがに六甲山系の上は涼しい。
車についている外気温度表示は 25度 !!
しかも、夏休みと言えど、平日は人は比較的少ない。
早速自転車を組み立てて、摩耶山頂へ

摩耶山から大阪方面を眺めても


目の前の神戸港方向を眺めても、
少しカスミが掛かっていたし、
空の上は雲が少々多かったが
涼しいのが、肌に気持ちいい。

早速、
摩耶山頂を後にして、六甲山頂方向に走った。
顔に当たる空気の気持ちのよさと、
六甲牧場の羊のメ~をBGMに走り、
気が付けば、ハヤ表六甲ドライブウエーとの合流点
丁字ケ辻(ちょうじがつじ)に。

下から上がってくる道が表六甲ドライブウエー


近くにはYMCA研修センター
夏休みは小学生から大学生までキャンプに利用しています。
この日も、バスや車が所狭しと駐車してました。


更に東に向かって進むとおなじみ六甲山ホテル。

チェックアウトを済ませたのか、
下山のバスの時刻を確認して頭を抱えているようです。

その先には六甲山郵便局。

郵便局には展望台パノラマテラスが付いています。
ひところは、六甲山の消印目当てに利用者が多かったようですが、
最近はどうなんでしょうかね。スマホで済ます人が多いのでは。
付近にはレストランなどが並んでいます。
六甲山銀座と呼ばれたこともあるようですが、・・・


緩い坂を上っていくと記念碑台です。

階段があり自転車は階段下につないで登っていきます。
木々が茂り、展望はあまりよくありませんが
車に邪魔されず、ハイカーには人気です。

この日も年配のハイカー(多くは女性です)が
お茶をしていました。

そもそも「記念碑台」というのは、
明治時代に六甲山を登山やゴルフの場として開拓した
グルームを記念して名づけられたものです。

グルーム銅像や
グルームの別荘番地の石(摸刻)があります。

木製の看板も時代を感じさせます。


阪急バスで六甲山に登るとこの記念碑台前の
交差点近くに六甲山頂バス停があります。
しかし、本当の最高峰は更に東に行ったところです。


記念碑台を後にして、六甲ケーブルカーの山頂駅への
道を少し進むと、六甲山にある日本で最初と言われるゴルフ場への
分岐があります。

女性が一人で何やら地図と案内表示を見比べています。
僕はいつもは、右に進み六甲ケーブルカーの山頂駅を経て
サンライズロードを通っていくのですが、
左に進み、久しぶりに六甲山ゴルフ場を通り抜けることに。

地図とにらめっこしていた女性はどうやら
右へ進みケーブルカー山頂駅への道を選んだようです。


ゴルフ場への道に入ると急に森林浴の世界です。


チョット進むと、道路はゴルフ場のど真ん中。
ネット越しに左右はゴルフコースです。


ゴルフ場を抜けてそのまま車道に沿って走ると「六甲高山植物園」。

花の季節はこの辺りの駐車場はいっぱいですが、
今は少ないですね。
標識「止まれ」の三叉路を右に進み六甲最高峰を目指します。

少し行くと六甲山カンツリーハウス。
子供たちの声が聞こえてきます。
「真夏の雪まつり」でした。

ここの、複数ある駐車場はどこも満車でした。
子供たちの嬌声が聞こえてきますが、
道路からは雪は見えませんでした。
どんな雪なんでしょうかね。


更に進むと、有馬温泉と六甲山頂を結ぶロープウエーの山頂駅があり、
イッパイの人を乗せて出発したところでした。

ここを過ぎると、道路(ドライブウエー)は比較的平坦で、
六甲山縦走路とクロスしながら進みます。

六甲全山縦走路は、最高峰までの尾根をかなり丁寧にたどりますが、
階段が多くて、結構疲れます。
自転車は東六甲ドライブウエーを走ります。
須磨から歩き始めた縦走では、この辺りは疲れがピーク。
なので、このドライブウエーを歩いて最高峰脇の
一軒茶屋まで行く人も多いです。
かく言う僕も、何度か縦走しましたが、
このドライブウエーを使いショートカットして歩いたこともあります。

最高峰に建っているアンテナの鉄塔が見えてきました。

あと少しです。
昔(神戸に就職してきた頃)は米軍の大きなパラボラアンテナが立っていました。
今は自衛隊が管理するアンテナのようです。

一軒茶屋が見えてきました。

この日はだれもいません。茶屋の前まで行くと、
「お休み」でした。

この茶屋の前からハイキング道が
六甲最高峰へと、有馬温泉へと分かれて伸びています。

最高峰への道はかなり急な坂道です。
重い自転車を押しながら登りますが、
さすがに電動アシスト自転車でも一番の難所ですね。
登れなくもないと思いますが、電気を一気に消耗しそうです。


最高峰の少し手前に休憩処があります。あと少し。
ここからは自転車を漕いで登ります。

だれもいない標高931mの最高峰に到着でした。


少し遅めのお昼のおにぎりを食べながら
休憩処で下界を眺めたプチ避暑サイクリングでした。


帰路、オルゴール館近くでは、まだアジサイが咲いていました。




by W
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神戸港開港150年イベント= セイル・ドリル

2017年07月20日 00時37分45秒 | イベント・出来事・生活
先日の三連休、神戸港では開港150年記念として
帆船を使ったイベントが行われました。

その二日目の日曜日、昼過ぎから2時前までの
時間でしたが、少しだけ見物してきました。

歩いて神戸港のメリケンパークに向かいます。
海岸通り(国道2号線)を横切る歩道橋の上からです。


メリケンパークの入り口には巨大な鯉のオブジェが
お出迎えです。


鯉のオブジェの前を通り過ぎてメリケンパークに入ると、
最初に目に飛び込むのは震災で破損した岸壁のメモリアルです。
そして、その向うに帆船が目に飛び込んできます。


手前に見えるのがトップスルスクーナーの「みらいへ」
その向うにデーンと大きい帆船が海王丸。
1時から始まるセイルドリルを見るために続々と
人が集まってきています。
帆船の停泊している突堤は身動き取れないのでは
というほど人が集まってきています。


僕は2時から別の予定が入っているので、
人込みから抜け出せなくならないよう、
少し離れた場所も眺めてきました。


帆船型の遊覧船「咸臨丸」も人気でした。
海上から帆船を眺めようとしているのでしょう。
更に小さな帆船型遊覧船も人気のようでした。


「咸臨丸」はしばらくして出帆し、神戸港の沖へ
遊覧に出ていきました。

こういう帆船の姿は何か映画的で、郷愁のようなものを感じさせられますね。

少し歩き回ってから、海王丸を眺められる場所に戻ると、
セイルドリルが始まっていました。
「みらいへ」の展帆も開始されていました。


帆を展開するために、海王丸の作業員もマストの帆桁に
続々と登っていきます。


隣の「みらいへ」も横帆の展帆まで進んでいます。

「みらいへ」は帆桁には人が登らないでも
甲板からだけで操作できるのでしょうか、
マストには人の姿が見えませんでした。

海王丸も登りついたところから帆を縛っているロープを解き始めています。


隣の「みらいへ」はほとんど展帆作業が終わったようです。
メリケンパークからは全体像が見えず、
マストだけが見えていたロシアの帆船「パラダ」も
いつの間にか展帆が終わっている様子が「みらいへ」越しに見えます。


しかし、2時からの予定の為これ以上は無理。
後ろ髪を引かれる思いで、
最後の一枚、震災記念メモリアル越しの写真を撮ってメリケンパークを後にしました。


2時からの用事を終えた5時頃、家に向かう途中、
再度山ドライブウエーの途中にある市章山から
未練がましく、メリケンパークを眺めると
全ての帆船の帆は畳まれて、セイルドリル前の状態に
戻っていました。

よく見ると、もう一艘の帆船が係留されていました。
ロシアの帆船の前に、小さな3本マストのスクーナーがいます。
家に帰ってからネットで調べると
韓国の「コリアナ」という帆船でした。


by W

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モニュメント

2017年07月07日 23時44分35秒 | 下関各地訪問
細江から唐戸の間は、昔は倉庫が並んでいましたが、
海峡を眺めながら歩くのが大好きでした。

昔を思い出しながら、歩いていると
モニュメントがいくつか並んでいまそた。

懐かしい船名「興安丸」です。
幼い頃、下関駅近くの国鉄桟橋の近くに長く係留されていましたが…

説明板を読んで、はるか昔に解体されていたことが分かりました。

興安丸の錨も一緒にモニュメントとして
置かれていました。

近くに捕鯨船「第25利丸」のモニュメントが置かれています。

説明板と並んで、捕鯨砲

スクリューと錨

スクリューは5枚羽根
さすがキャッチャーボートですね。
キャッチャーボートのモニュメントの写真は昨年秋に撮ったものです。

そして、第25利丸の説明板の横にもモニュメントがありました。
何かのシャックルです。

一体何のモニュメントだろうかと辺りを眺めましたが、それらしきもは無く、
どういうモニュメントかは分かりませんでした。

更に、唐戸に向かって歩いて行くと、錨のようなものが無造作に置かれています。
もちろん、ちゃんと防錆の塗装を施されてですが。

昭和17年10月 三菱長崎造船所と記されたものや、

昭和18年3月と記されているもの

等があります。
これらはいったいどこで何のために使用されていたものか知りたいと思ったのですが、
それを示すものは目に入りませんでした。
由緒あるものであれば、興安丸のように、説明板があればなあと思いました。

眼前に広がる海峡と風師山を眺めていると
横浜・山下公園の氷川丸のように、船と一体化した
観光施設の可能性は無いものかと思ってしまいます。
例えば、下関の造船所で生まれたフェリーなどは
宿泊施設や、車を置く空間をイベントホールとして、とか・・・
難しいんかなあ

by W
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「おまけの華山」補遺

2017年06月22日 08時34分31秒 | 下関各地訪問
「おまけの華山」の記事の補遺です。

最初に華山に自転車で登った翌日、タワーに登り
華山がタワーから眺められるかどうか確認しました。

この方角かなと思う方向の写真を撮ったのが、この写真です。


中央より少し左側に、遠くの山の更にその遠くに、
うっすらと少し頂上の平坦な山が見えてます。
これが、華山です。
望遠でないカメラだったので、これが精いっぱいでした。

神上寺に自転車で行った日の午後遅く、改めて
望遠レンズ(正確には「テレコンバータレンズ」)をつけた別のカメラを持って
タワーに登って撮ったのが「おまけの華山」の写真です。

この補遺の写真で、どの方角に華山が眺められるか、分かりますヨネ。



by W
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おまけの華山(と、その他もろもろ)

2017年06月21日 22時37分53秒 | 下関各地訪問
神上寺に行って、小月から自転車を車に積み、
ホテルに戻ってから、海峡夢タワーに登りました。
目的は、「華山」がタワーから見えるのかを確認するため。

その結果、タワーから眺められる山々の更に向うに、
山影に隠れるように、華山の山頂を見つけることができました。

小月から田部に抜ける峠から撮った写真の通りに
アンテナが並んでいるのが分かりました。
この写真を撮るのに、2日続けて展望台に上ってしまいました。
僕の肉眼では無理でしたが、
備え付けられているコイン望遠鏡を使えば、十分眺められました。
カメラは、約40倍の望遠にしてです。

ということは、あの華山の頂上のアンテナドームより、
タワーのドームの方が大きいから、
華山の頂上からでも眺められるかもしれませんね。

展望台に各方角の写真が掲げてあり、
近くのポイントと、海の向こうの海外の街について説明がありますが、
タワーから眺められる山々の名前も書かれていると、
もっと興味深く、タワーからの景色を楽しむことが
できるではないかと思いました。

タワーからいろいろと眺めた写真等もついでに付録参加です。
関門海峡を自動車運搬船「HOEGH AUTOLINERS」
が西に向けて航行していました。

折しも護衛艦が下関港「あるかぽーと」に係留していました。



艦名は「まつゆき」でした。


老の山の頂を望遠で撮りました。

日傘をさして誰かが立っているようですね。

老の山からタワーを望遠で撮ってみたのですが、
ガラスに阻まれて、展望室の中の様子は無理でした。


僅か数日の下関滞在でしたが、
夕暮れの関門海峡はどこも、懐かしく、センチメントな気分に
なってしまいました。



by W
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華山3

2017年06月17日 02時16分33秒 | 下関各地訪問
これまで、足を踏み入れたことの無い、
華山の麓に昔から建っている神上寺に、
初めて足跡を残してきました。

山門を眺める階段状の参道まで
自転車で来ると、大きな字で「下馬」と書かれた
看板です。

自転車が発明された最初の頃、
「ホビー・ホース」と呼ばれていたらしいので、
ここは下馬とある以上、歩いて入るしかないナ。
と、自転車を停めて、参道を歩いて山門に。

山門のあるお寺では、そのお寺の仁王さんを写真に撮るのが
僕の趣味。
左側の仁王です。

そしてこれが右側の仁王。

だいぶ傷んでいるけれど、力強さは十分です。

山門の隅に神上寺の由来記が足元に置かれていました。


山門を潜り抜けて本堂までの参道を
登っていくと、遠くに古い鳥居と手前に橋のようなものが
目に入りました。

あの石の橋は何か外界との境界等の象徴なのだろうかと思いましたが、
脇に回ってみると、その橋の下は、ちゃんとした(?)小川で、
橋そのものでした。


木々は、夏を迎えて、緑の葉っぱが元気です。

紅葉の季節は、さぞかし美しいのでしょうね。
道を挟んで、イチョウとカエデが競い合っているところもあります。


登り切ったところに本堂がありました。

屋根の中央最上部に毛利家の紋が付けられています。


本堂前には広場が広がっていましたが、
この広場は何なのでしょかね。

この広場を歩いていると、ところどころに木の実を
まき散らしているようなものが目に入りました。

傍にはそのような樹もないなあ、と
よく見ると、シカの糞のようです。
十数年前、相生から山奥に入った播磨科学公園都市というところで
仕事をしていた時、夜になると、10頭くらいの鹿の群れが
道路を歩いているのを見て驚いたことがありますが、
このお寺も、夜になると、鹿の群れが歩くのでしょうかね。

この境内を歩いていると、赤色が印象的に目に飛び込みます。
参道の脇に列をなして鎮座している像達です。

どれもみな、赤い毛糸で編まれた頭巾を付けています。







「雪舟の庭」と書かれた案内板がありました。

指し示す方向に行くと、庵があり、その前に
庭が広がっています。

始めはどのような庭か、よく理解できなかったのですが、
しばらく眺めていると、小川や石組みが目に入ってきて、
庭園なのだと理解できるようになりました。

なかには大きな石を根が抱え込むように立っている樹もあります。

雪舟のいた頃は、この樹はどれほどの樹だったのでしょうかね。
まだ、生えていても、石を抱え込むほどではなかったかも
しれません。
振り返えって庵を見ると、にじりぐちを備えた茶室を伴った庵でした。

この茶室を伴った庵は雪舟の時代のものなのでしょうか。

境内を散策してから自転車に戻る途中で、
このような世界を目にしました。

切り倒された樹の幹の一部が放置されていて
その幹から生えた草木が静かな一つの世界を作っていました。
土台となる幹が朽ちるまでの・・・

神上寺を後にして、小月まで戻り、
少し休もうと小月駅の待合のベンチに腰かけると、
上部からチチチチと鳴き声が聞こえています。
見上げるとツバメの巣に4羽のヒナが仲良く並んでさえずっていました。

華山山麓神上寺の境内での静の生と
チチチチとエサを求めて鳴いているヒナの動の生
どちらも今を生きる「生」なのかなと思わされたことでした。

山の静かな寺の境内を歩いてきたからでしょうか・・・


by W
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華山2

2017年06月14日 11時50分07秒 | 下関各地訪問
華山の頂で、お弁当を食べ、田部を眺めながら、
華山を下山した後の予定を見直すことにしました。

華山の登山でかなり消耗してしまったのは確かだったので、
無理をしてバテて同期会を欠席するのは恥。
神上寺は、同期会の翌日に小月から自転車で訪ねることにしました。

自転車では、登りはしんどいけれど、
下りはダウンヒルと呼ばれ、本当に気持ちの良いものです。
が、華山は急な坂道で、且つ曲がりくねっており、
対向車にも気づきにくいほど、木々が茂り、
ブレーキを掛けながらの下降で、写真もろくに撮れていません。

下山して、出発点の道の駅蛍街道西ノ市に向かう途中、
振り返ると、田植えの終わった田圃に華山が静かに映り、僕を見送ってくれていました。

全ての田圃がこのようになって、
「豊田」の名に恥じない町でありつづけることを祈念しつつ、第一日は終了。

翌々日の朝、小月駅近くの駐車場から自転車で出発して、
改めて、華山山麓を楽しみます。
今回は鉄道線路跡でなく、主要道路を走りました。
まずは、小月で最初に目にとまったのは道標です。

右 かみがた道(上方道)
左 とよた道(豊田道)
山陽道から豊田に入る分岐点に立っていたのでしょう。
道路整備の期間保管して、整備が終わってからこの地に据えたとあります。
歴史を大切にする気持ちがうれしいですね。
そのまま、豊田町に向かう「本町通り」を北上します。

この写真では、たまたま車が写っていませんが、
結構車の往来は多く、自転車で走るには、人がいないときは歩道を走らないと
危険を感じるくらいでした。

順調に自転車は小月から田部に向かって走り、峠から
二日前に登ってきた華山の頂を望みます。


望遠で山頂を撮ると、こんな感じです。

一昨日現地で見てアンテナ群の位置が分かっていたので、
望遠で撮った写真が身近に感じられます。
白い丸いドームの左の大きなアンテナが、山頂の三角点に最も近いものです。
そして、そのアンテナの手前部分に山肌が見えていますが、
そこが、「蛍のおにぎり弁当」を、田部を眺めながら食べたところです。

今回の自転車散歩での大きな成果は、
去年見落としていた、長門鉄道のトンネル跡を見つけたことです。

去年うっそうと茂っていた雑草、雑木が取り除かれていました。

草木が取り除かれて、地面が露出しているのが嬉しい。
その先にトンネルの入り口が見えているのが目に入ったときは
まるで少年そのもので、ワクワクしてしまいました。
とうとうトンネルの入り口にたどり着きました。

少し足を踏み入れて、中に入ってみました。

カメラの感度を相当あげているので、
向う側が、漏れてきた灯りで明るく写っていますが、肉眼ではかなり暗く、
そのまま向うに出るのは危険だと思い、止めておきました。
一年越しの宿題を片付けた気分で、トンネルを後にしました。
峠を越えて、トンネルの向う側に出ましたが、
やはり雑木林が鬱蒼としており、どこにつながっているのか分かりませんでした。
このトンネルを生かしてサイクリングコースを整備するというのも面白いだろうな
と思います。

猿候塚も去年のまま迎えてくれました。


しばらく去年走った道をポタリングして、華山方面への分岐点にたどり着きました。

左に進み、更に次の分岐を神上寺方面へ真っすぐ進み、
神上寺と、引地君(ひきぢきみ)の墓、近松門左衛門生誕の地を目指します。

しばらく進むと、引地君の墓への標が目についたので、
それに従って進むと、山道に入るように道標がありました。


自転車で登れるようなものではないので、
自転車を置いて、歩いて登ります。
積み重なった落ち葉に足を滑らせながら登っていくこと数分、
石塔が見えてきました。

この石塔が引地君のお墓のようです。

説明板の記載を読んでみたが、ちょっと分かりづらい。
「引地君」とは生前の名前なのか、それとも
この地にとどまったことから名づけられた「おくりな」なのか?
そもそも、宗麟の娘(マセンシャ)が引地君であるとは書いていないが、同一人物なのか?
多分同一人物のことだろうと思うしかないんだが・・・
国語が苦手だった僕はチョット考え込んでしまいました。

少し引き返して、さらに先に進むと
近松門左衛門出生の地の碑が目に入ってきました。

説明板がありましたが、ほぼ水平に傾けて設置してあり、
太陽の光をもろに反射していて読みづらいのはご容赦です。

文面からは、まあ、伝説の域を出ないもののようですね。

この近松門左衛門の碑のすぐ先が神上寺の山門です。

相当年季の入った山門です。維持に苦労しているさまがしのばれます。


一息ついてから、山門をくぐることにしましょう。


by W
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華山1

2017年06月10日 22時53分29秒 | 下関各地訪問
去年、同期会で下関を訪れた時、
小月から西市、道の駅蛍街道西ノ市まで
サイクリングしましたが、
その時、来年(即ち今年)は華山に自転車で登ろうと
心に決めていました。
ただ、脚力の衰えは否めなかったので、
六甲山を自転車で攻略するために購入した新兵器(電動アシスト付き)を
持っていきました。

フェリーで新門司に着いたら、

道の駅蛍街道西ノ市へ直行です。
が、一か所立ち寄りです。
いつものように、朝日を受けている関門海峡と下関の街を眺める為、
メカリPAに入り、車を降りて、ギョッ!
封鎖状態でした。


仕方がないので、そのまま小月インター経由、西ノ市に直行です。
途中、小月と田部との境の峠で、これから自転車で登る
華山を望みます。

峠の頂からは、太陽光発電パネルが邪魔なので、
少し下がったところからパチリです。

さらに下がって、昔、小月から田部方面に走っていた古いバス道の方に進みました。

正面に華山が眺められます。

そして田部のバス停からも。


しかし、旧道なので、このバス停に停まる便は非常に少ないですね。

しかも、よく見ると、日曜・祝日は全便運休だとか。
結局、農村は車社会になり、ますますバスは減り、年を取り、車も運転できなくなると、
どこにも行けない。日本中がそのようになっていくようですね。

とにかく、今日は自転車だ!と先を急いで、西ノ市です。

家に帰って写真をシゲシゲと眺めると、
何と「めだか」も売っていたようです。写真左端の旗をご覧ください。
自転車を組み立てて、道の駅の案内所に寄ってコースの確認です。
壁に表示していた大きな地図が割とわかりやすかったので、カメラに収めました。


さて、お弁当を買い、「しものせき観光支援自販機」なるもので、
飲み物を買って出発です。


去年、小月から西市まで走った長門鉄道線路跡の道を少し南下です。

正面に華山が神々しくそびえています。
まるで、モーセが登ったシナイ山のよう。・・見たこと無いけど・・

暫く南下して、華山方面への分岐点です。

案内通り華山方面に進み、暫くすると、更に
神上寺方面への分岐点に出ます。

先に神上寺に寄ると、華山の登りが遅くなると思い、
神上寺は、帰りに寄ることにして左方向、華山に向かいます。


正面に華山を眺めながら走りましたが、
気になる風景が広がっていました。


辺りの田圃が殆ど耕されておらず、雑草に覆われていました。
今は田植え時なので、少なくとも耕されて、水が張られていてもおかしくないのに、
見渡す限りと表現しても決して大げさでないほど、「田圃跡」のようでした。
後継者がいないのでしょうか。
考えさせられました。

道路との境には、好きな雑草の一つですが、
アザミが多く見られました。

傍を流れる江良川も興味深いものでした。

川の底が、小石や砂でなく、板状の岩でした。

道も次第に登坂になり、「アシストオフ」ではきつくなってきて、
一番弱いアシストにしてしばらく進んで、
ようやく「徳仙の滝」に到着です。

幼い頃歩いていた道が「えっ? こんなに狭かったっけ!」
と同じで、はるか昔に連れて行ってくれて素麺流しを楽しんだ、
あの徳仙の滝、こんなに狭いところだったっけ!!!
もっと広い広場があったように思っていた。

説明板が金属だったので、反射して読めませんね。

徳仙の滝を過ぎると、登りはさらにきつくなり、
ただただひたすらペダルを漕いで登ります。
振り返って登ってきた道と木立をみると、
その坂のきつさが分かります。


ところどころで下りのあることを願っていたのですが、
全く当てが外れて、とにかく登る角度の緩急はあっても、
下りは全くありません。
途中、こんな石碑が立っていました。


しかし、坂道に疲れてきていた僕は、
「こんな処になんでこんなものがあるんや?
しかも何の説明もない!」と悪態をついてしまいました。

ようやく、頂上に林立するアンテナを望めるところまで来ました。
「やすらぎの森」として整備された場所のようで、
広い駐車場があります。

しかし、散策の為の遊歩道は荒れ

説明板も落下しています。


更に登っていくと、山頂方面への道しるべがありました。
新しい標には「ランチャー台」方面だけが残り、他は落下しています。


パラグライダーのランチャー台が確かにありました。
ここから飛び降りるのでしょうか。あなおとろしや


更に進んで、ようやくアンテナの林立する頂上に到着です。

時計を見るとほとんど12時半でした。
道の駅を出たのが10時少し前。
11時半には到着のつもりでしたが、1時間以上の遅れでした。

頂上には三角点とそのそばに休憩小屋?があるのですが、
休憩小屋のベンチは壊れ、中は砂利が敷かれており、
ベンチに腰掛けることも、地面にアグラをかくこともできません。

しかたがないので、炎天下、草地にアグラをかいて
正面に広がる菊川町の雄大な景色を眺めながらお弁当を食べることに。

遠くに関門海峡と満珠干珠がかすかに望めます。
しかし、彦島は、識別できませんでした。

お弁当は道の駅蛍街道西ノ市で買ってきた“蛍のおにぎり弁当”です。

卵焼きシートと海苔で包まれた、デッカイおにぎりでした。
黄色い卵焼きシートで包んだ部分が蛍のお尻の光をイメージしている由で、
見て楽しく、食べて美味しいお弁当でした。



by W
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過ぎてから気が付く

2017年06月07日 17時50分42秒 | 下関各地訪問
下関に路面電車が走っていた青春時代、
電車の窓から眺める風景を眺めながら
いつも
「あれはいったい何だろう、
 幼いころから同じ姿で立っている。」
と思っていた。

そして社会人になってしばらくして下関に行ったとき、
電車は既に無くなっていたので、
バスで通ったとき、それはまだそのままの姿で立っていた。

この写真は、その時、バスから写した写真である。

しかし、その後、また何年かして下関に立ち寄ったとき、
その建物は消えていた。
結局、その建物のことはそれっきりとなってしまった。

今回の同期会で下関を訪れた時、泊まっていたホテルから
水上警察の辺りまで散歩していたら、小高い丘に興味深いビルを見つけた。

ふと、あのビルのことを思い出した。

確か、この辺りに在ったと思われる方向と一致するようだが、
跡地に建てられたビルだろうか。
と近づいてみると、ますます興味深い建造物だった。


古さからあのビルの跡地に建ったのではなさそうだ、と思い、
近くに行けば、分かるかもしれない。
とその丘に登ってみた。


玄関前に立つと、銘板が取り付けられていた。

登録有形文化財の銘板と共に、
「蜂谷ビル 昭和元年築」と書かれていた。
昭和元年築ということは、あのビルの跡地に建てられたものではない。

通りから眺められた壁面をよく見ると、確かに相当古い。

今は、レストランとして使われているようだった。

では、あのビルはどこに立っていたのか、と見渡したが、
分からない。少し歩くと階段で国道に出た。

階段を降りて、振り返って撮った写真である。
その近所は、売地になっていた。


もうあのビルの痕跡を見つけることはできないのか。
蜂谷ビルを調べたら、何かヒントになるものがあるかもしれない。
と調べてみたが、旧東洋捕鯨株式会社下関支店の建物だったことは
分かったが、その近所にあったと思われるあのビルのことは
分からなかった。

青春は忘れもの、過ぎてから気が付く

過ぎてからでは遅すぎるのか・・・


by W
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