贔屓のひきたおし

歌舞伎や他の芝居を見て感じた感想を綴っていきます。
お話の中心はたぶん海老蔵さん。とても好きなので・・・。

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2/28朝日新聞夕刊「三谷と染五郎で歌舞伎」

2006-02-28 22:19:53 | 芝居の周辺
いよいよあさって3月2日初日のPARCO歌舞伎の紹介記事が
今日の朝日新聞夕刊に載っていました。

記事によると「決闘!高田馬場」は、義太夫など伝統の手法を使う一方、展開はスピーディな作品のようです。

Q なぜ三谷氏に歌舞伎の依頼を?
A 染五郎丈曰く「三谷さんの台本の緻密さがこれからの歌舞伎には必要だと感じたから」
Q やはり喜劇?
A 三谷氏曰く「特に喜劇を意識はしていませんが(中略)笑いの要素は多いですね。」

前売りは完売。
当日券の問い合わせは電話03-3477-5858(劇場)まで。

(風邪を引いたのか、頭痛と微熱のため今日はこれでおやすみなさいさせていただきます。「信長」のことはまた日を改めて・・・・)
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「信長」 in 大阪松竹座 千秋楽速報

2006-02-26 21:27:41 | 海老さまLive
すべてを吹っ飛ばして、「信長」千秋楽速報です。

2ヶ月にわたった公演の大楽だけあって、芝居はみなさん気合満々。
いつもとちょっと違う演技もあったりして、
もう存分に満喫してまいりました。

終演後、通常の海老蔵さん一人のカーテンコールのあと、
今日は役者さん全員でのカーテンコールがありました~!! 
紅貴代さんは、いろいろな思いがこみ上げたのか泣き出されるし、
新蔵さんは、二幕目の荒木村重の扮装から、
一幕目の今川義元の扮装に拵えなおしてのご登場。
なんと、斬られた義元の首を小脇に抱えて出てこられたので
役者さんにも客席にも大うけ。

甲本さん(秀吉)と小田茜さん(お市)、
田辺さん(光秀)と純名りささん(お濃)がそれぞれ対でご登場。
田辺さん、笑顔が爽やかでかっこいい~。
そして最後に海老蔵さん。
さっきのカーテンコールのばっちぃ信長から
一転して美しいマント姿の洋装で登場
もう万雷の拍手でした。

二ヶ月間、昼夜二回公演。
あれだけハイテンションの芝居を、声を壊す事も無く
よく頑張った。
ありがとー海老ちゃん!!

全員で上手下手中央にお辞儀をして、二階席三階席にも丁寧にお辞儀をして幕。
幕が下りたあともだいぶ長く拍手は鳴り止まなかったのですが、
再び幕が上がることはありませんでした

あ~、でも行って本当に良かった。
大大大満足の遠征でございました。
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「信長」 in 新橋演舞場 ④

2006-02-24 23:59:37 | 海老さまLive
いよいよ海老蔵さん演じる信長の感想に入ります。
なんと言っても私は海老さまファンなので、アバタもエクボ。
感想も甘くなります。
他の役者さんにはきつい事を書いても、海老さまには書けません。
どうぞ、そこはご容赦下さい。

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プロローグ。初日は着物の襟の内側に小さなマイク。
「俺はどこから来たのか・・」のモノローグは直接本人が言っていたものと思われる。
確か、最後の本能寺の場面でもマイクをつけていたようなのだが、あれは何のためだったのだろう。
久しぶりの舞台で発声に自信がなかったためではなかろうかと、密かに勝手に推測。
3回目に観たあたりからは、マイクは消えていた。

序幕、父の葬儀の場面。
海老蔵さん一人が現代劇のようなせりふの言い方で、
他の役者さんたちは時代劇らしい口調。
少し語尾上がりの海老蔵さんの言い方は
正直言って、聞いていてかなり違和感があった。
周囲と余りに違うのである。
『戦国自衛隊』という映画があったが(見てないけど)、
それと同じように、現代の若者がタイムトリップで戦国時代にで紛れ込んでしまったかのようだ。
公演を重ねるにつれ、徐々に変わっていくだろうと期待していたが、
月の中盤・後半になってもかわらない。序幕の信長は現代口調のままである。
そしてふと気づいた。
今、観客の私達が感じているこの違和感は、
当時の人が信長に抱いていた違和感と同じなのではないだろうか、と。

周囲の価値観や習慣に全く従わない信長は「うつけ」と呼ばれていた。
おそらく周囲からは宇宙人のように浮き上がっていたに違いない。
私達は常に無意識のうちにハーモニーを期待する。
日本人の場合は特に「和を以って貴しと為す」という言葉どおり、
周囲と調和がとれていることに価値を置く。

「何?この変な信長?」
そう感じた私達は、そのまま信長に摩擦を起こされていた
当時の信長周辺の人たちと
同じ気持ちを味わっていると言えないだろうか。
そこまで考えての海老蔵さんの演技だと言ったら、贔屓の欲目にすぎるだろうか。

そう私が考える理由は一応ある。
海老蔵さんは、信長の十代から晩年(49歳)までを演じるにあたり、声の高さ、話し方を変えている。
序幕では、確かに声は高めでしかも早口で現代っ子のような話し方だが、
次の道三との対面の場面では、声は高めのままにしても話し方は落ち着きをみせ、
周囲の役者さんと比べて決して浮いていない。
むしろ爽やかな好青年である。
二幕目、30代半ばになった信長は声も一幕目より低くなっており、
さらに最後の本能寺の場面では、声はぐっと低く、話し方もゆっくりになっている。
いかにも壮年の男性らしい。

わずか2時間45分の芝居のなかで、
声や話し方をこれだけ変化させている。
登場人物のだれもが同じ30余年という歳月を過ごしているのに、
多少なりとも年齢に応じた変化をつけているのは海老蔵さんだけである。
そういう芝居を考え、実際に演じられる海老蔵さんが、
序幕の周囲との違和感ある芝居を意識的にやっていないわけがないと思うのだ。
時代劇としては破天荒とも言えるあの今どきっぽい話し方は、
単に「無意識に出てしまう悪い癖」では決してない。
むしろ意識してやっている芝居なのである。
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オランダ旅行ガイド本

2006-02-23 19:02:08 | Road to Lodon/Ams.
今日は、休みを取って運転免許の書換えに行ってきました。
今は最寄の警察署で手続きが出来るのでとても便利ですね。
視力検査や講習ビデオも入れて30分程度で終わってしまいました。

そのあと市の中央図書館まで足を延ばしました。
借りてきたのは、オランダ・アムステルダム関係のガイド本。
さすがに中央図書館は、近所の図書館に比べ種類が豊富です。

今日借りてきた本。
旅名人ブックス「オランダ 栄光の"17世紀"を行く」
望遠郷「アムステルダム」
個人旅行「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク」
ニューツアーガイド「オランダ」
ニューツアーガイド「ヨーロッパ格安ホテル&ペンション」
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團十郎丈、ご退院♪

2006-02-22 23:47:53 | 成田屋合財袋
うれしいお知らせです。

團十郎丈が本日2月22日に無事ご退院なさったそうです。
http://www.naritaya.jp/
(公式HPの成田屋通信をご覧くださいね。)

昨年8月末から、一時退院はあったものの約半年間の入院生活。
ご本人はもとより、ご家族ご一門、
皆さん本当に大変な事だったと思います。

團十郎丈は、しばらくは自宅で療養されるとのことですが、
3月25日には京都でのシンポジウムにパネリストとして参加されるそうです。
徐々に体を慣らしていかれるのでしょうか。

いつか舞台でお会いできる日を長い目でお待ちする事と致しましょう。

(ちなみに今日は、2が三つ並ぶニャーニャーニャーの『猫の日』だそうです。 ま、どうでもいいことですが・・・。
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「信長」 in 新橋演舞場 ③

2006-02-22 23:19:33 | 海老さまLive
明智光秀@田辺誠一さん。

端正な顔立ちに八頭身のスタイル。
舞台ではそれが却って弱点になっているように思える。
最初に登場してきたとき、一瞬クシャおじさん(古い!)が出てきたのかと思った。
それほど他の俳優さんに比べて顔が小さく、
顔のパーツが中央にキュッと寄っている。
とてもこじんまりとした顔だ。

田辺さん、全編通じての熱演。
しかし、一所懸命叫んでも、一所懸命苦悩しても、
光秀の苦しみの原因がどこにあるのか、最後までよく分からなかった。
熱が無駄に放射しているとでもいうのだろうか。
せりふの真意が観ている側に伝わってこない。

舞台俳優とテレビ・映画俳優の最大の違いって、
顔の筋肉をどれだけ動かせるかなのではないか。
田辺さんを観ていたら急に、そんなことを思った。
映像では表情の少しの変化も逃さず写しとってくれる。
しかし、舞台では顔の筋肉をフルに動かさないと、
客席からは見えないし、感情も伝えられない。

顔の小さな田辺さん、舞台俳優としてはやはり不利である。



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「信長」 in 新橋演舞場 ②

2006-02-21 22:34:10 | 海老さまLive
女優陣は、お濃の純名りささんとお市の小田茜さん。
初日に観たときは、お濃とお市のキャラクターがとても似て見えた。
両方とも気が強く男勝りで、せりふもキンキン叫んでばかり。

それがやがてお濃のキャラクターが変わってきた。
マムシの娘だから気が強いのは変わらないが、
喜怒哀楽がはっきりして、信長への愛情がより深く表現されるようになった。
桶狭間の戦いの前に、信長の耳掃除をしてやるお濃。(ちょっと妬ける・・・・。)
濃姫の「うつけのことはうつけにしか分からない」という言葉には、
信長への理解と愛情と、二人の結びつきへの自信が伺え、
信長自身も理解し受け入れてもらえる喜びを感じているに違いないと思える良い場面である。

それが一転、二幕目では、子を流した哀しさ、愛する人の役に立てない辛さ、
役立たずの女として排除されてしまうのではないかという不安。
それらが単にせりふの言葉によってではなく、
生きている女の感情として観る側に伝わってきた。

信長が大きくなるにつれ、自分から離れていってしまう寂しさ、辛さ。
出会ってからずっと、同じものを夢見て歩んできたのに、
今の夫はもっと大きなもの、もっと遠いものを追っている。
そこまで望まなくてもいいではないか。
今ある幸せを大切にすればいいではないか。
何かに取り憑かれたような夫の人生の走り方にはもう着いていけない。
遠く隔たってしまったことを嘆く一方で、
取り憑かれたかのような夫をその呪縛から救い出したいと願う。
そういうお濃だった。

野心が大きすぎるがゆえに現実との乖離に苦しむ信長。
そんな信長を救ってほしいとお濃は光秀にすがる。
そのすぐあとに本能寺の場面になる。
これにはすこし違和感を感じた。
野心の呪縛から救い出す=信長を討つこと、と光秀に暗示を掛け、
それがそのまま現実になってしまったような印象を受けるのだ。
久しぶりに京に上ってきたというお濃が本能寺に信長を訪ね、
「今日は見張りの兵も少ない様子だけど、大丈夫でしょうか」と
不安げに信長に言っている矢先に、夜討ちの知らせ。
これもお濃が手引きしたのかと思うような展開だ。
わざわざ会いに来た理由を「死ぬ時はお側で」というのも、
光秀の今日の謀反を知っていたかのようで、少し納得が行かない所である。


お市は、残念ながら何度か観てもお濃のようにお役がふくらんで来なかった。
舞台に出ている時以外のお市の暮らしぶりや人柄が想像できないのだ。
せりふの一つ一つに感情を込めてはいるけれど、
それを内側から支えるお市の人間像が描けていない。
それぞれの場面でのせりふがブツブツで、
お市という人物が何を考えて生きているのか、
どういう人物なのか、最後までまったく浮かび上がってこなかった。
強いて言えば、「ブラザーコンプレックスで世間知らずのわがまま娘」と言ったところか。
せっかく戦国時代有数のヒロインなのに、そんな人物像でいいのだろうか?

わがまま娘の極致は、信長が浅井長政を討ち、お市と娘三人が秀吉にやっとのことで助け出された後のこと。
「バカ! サル(秀吉のこと)が早く助けに来ないから、私まで焼かれるところだった。」 せりふはそれでもいい。
でもせりふの裏にもっと込めるべき感情があるのではないか。
焼かれ落ちる城の梁の間をくぐってやっとことで逃げてきたのだろうに、そんな大変さが全くない。
「本当は感謝しているのに、負けず嫌いな性格のためにわざと強がっている」とか、
「助かったのはうれしいが、選りによって大嫌いなサルに助けられたのはいらだたしい」とか、
「娘3人は助かったけど、息子一人はどうなったか気がかりだ」とか、
なにかお市の内側にある感情をもう少し表現してもらいたかった。
声と姿はいい女優さんなのに残念である。
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「信長」 in 新橋演舞場 ①

2006-02-20 23:11:31 | 海老さまLive
市川海老蔵主演「信長」。 1月に新橋演舞場で5回観た。
初めの3回は「暗くて重い芝居だなぁ」というのが正直な感想。
それが4回目に芝居の印象がガラッと変わった。
とにかく海老蔵さんの演技に圧倒された。
芝居の出来がどうとか、誰の演技がどうとか、そんなことはもうどうでもいい。
もうこの「圧倒された感」だけで充分じゃないか・・・・と思った。
そう思って中々感想をまとめられなかった。
でも今週末、大阪・松竹座に観にいく。
観にいけば1月とは違った印象を受けるだろうし、
同時に1月に観た印象が薄れてしまうので、やはり観にいく前に感想をまとめておくことにする。

芝居は、信長の父の葬儀で家族親族と悶着を起こす十代から、
お濃との出会い、桶狭間の戦い、宣教師との出会い、比叡山焼き討ち、安土桃山城建設、本能寺と、
いわば信長名場面集のように展開していく。

初日に観たときは、ひとつひとつの場面がブツンブツンと切れていて、
特に1幕目は暗転が多い上にセット転換に時間も掛り、
観ている側の気持ちが繋がっていかなかった。
しかし何度か観るうちに、全体が馴染んでいった。
力んで観るところと、肩の力を抜いて見るところとが自然に分かれ、前半は信長の爽やかなうつけぶりを楽しみ、
後半は信長の狂気とも言える野心とその挫折の嵐に一緒に巻き込まれてみる。 そういう見方になっていった。

「信長」のおもな出演者は5人
海老蔵さんの信長。
甲本雅博さんの木下藤吉郎(後の羽柴秀吉)。
田辺誠一さんの明智光秀。
純名りささんのお濃。
小田茜さんのお市。

甲本さんは、全体にシリアスで重い「信長」の中にあって、
唯一笑いを誘ってくれるキャラ、道化役と言ったところだ。
初日はコメディタッチな演技ばかりが先にたち、後に天下人になった秀吉にはどう見ても見えなかった。
芝居の後半に秀吉が、唯一本心を見せる場面がある。
その場面ですら初日にはとても軽い調子のままだったので、素人ながらこんなでいいのかなと思った。
ところが、2度目に観たときは同じ場面で、甲本さんの眼には本気の影が差し、
やがてそれは日を追うごとに凄みになっていった。
同時にセリフにも深みが増していった。

「信長様亡き後、お前と戦えば、俺はきっと勝つ」というセリフがある。
秀吉が光秀に向って言うセリフだ。
初日、2度めに観た時は、それは単に藤吉郎の願望であり、勝ちたいという気持ちを言葉にしただけに聞こえた。
しかし月の後半に観たときは、それは単なる意思や希望ではなく、自信であり確信であり予言に聞こえた。
「俺は、きっと勝つ。」という言葉の裏側には、
「お前は信長様を討とうとする日が必ずくる。俺はそれを止めない。
しかし、もしお前が信長様を討てば、俺は即座にお前を討ちに行く。
俺はそれくらいの事は常に予測して準備をしているのだよ」という強い自負と光秀への警告がある。

本能寺の変はこの場面からさらに3年後のことである。
起こるかどうかわからないことにさえ、備えを怠らない秀吉の周到さ。
もっと言えば、「光秀が信長様を討ってくれるなら、好都合。光秀をすぐに討って俺は天下を取る」と言う所まで計算していたかもしれない。
表向きはおチャラけているが、実は陰で何を考えているか分からない秀吉の不気味さとしたたかさ。
甲本さんはこのたった一つのセリフでそれを表現していた。

甲本さんや柴田勝家役の宮内敦士さんは、
立ち回り場面にも出ておられ、かなり激しい立ち回りを見せてくれる。
ただ残念ながら、立ち回りのシーンでは動きが速すぎることもあって、
その他大勢組の役者さんたちと区別がつきにくい。
最前列で観たときまで、甲本さんたち主役級の役者さんまでが汗だくになって
激しい立ち回りをしていることに全く気がつかなかった。惜しいと思う。
衣裳をもっと際立たせるとか、スポットライトを当てるなどして、
目立たせたほうが良いように思う。
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週刊朝日の表紙に染五郎さん!

2006-02-20 21:35:20 | 芝居の周辺
週刊朝日の3月3日号、表紙が市川染五郎さんです。
中にもカラーグラビアと短いインタビュー記事。
3月のPARCO劇場での三谷歌舞伎(?)にちなんでの特集のようです。

眉毛がなくて、眼光鋭い染五郎さん。
ちょっと・・・・、いや、かなりコワイです・・・・・
(ファンの方、ごめんなさい m(_ _)m )
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はずれた~(泣)。歌舞伎研修生発表会

2006-02-19 21:00:38 | 芝居の周辺
1月28日の記事でご紹介していた国立劇場の歌舞伎研修生達の発表会(3月8日)、
申込をしていたのですが昨日落選の葉書が届きました
会社を休んででも行くつもりでいたのに、とっても残念です。
でもそれだけ観覧希望者がそれだけ増えているということで、
喜ばしいことなのだと思うことに致しましょう。

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