ものを投げないで下さい

家具仏具や音楽、仏教、政治生活などを取り扱う徒然日記

東京駅とスカイツリーを巡る仁義無き戦い

2012-09-27 23:52:31 | 豆知識
10月1日より東京駅がリニュアルオープンされます。

外観内観ともに色々情報は既に皆様もご存知の通り
明治期の昔のデザインを復刻したつくりかつ現代の技術等も
取り入れた「ルネサンス」なものになっています。

一方でスカイツリーも今年無事オープンし来場者は
大勢いる東京が誇る世界最大級の電波塔として
これから更に名所として君臨していくのかなと思います。
さて皆様どちらにいきたいでしょうか!?(`・ω・´)
それとも両方行っちゃいますか?


このスカイツリーですがここは大林組が建てたものなのですが
ここにはひとつのぶんどり合戦というかゼネコン同士の
少し血なまぐさい(おおげさ?)ストーリーがございます。


東京スカイツリーは発注元は東武グループです。
東武グループの仕事は主に鹿島建設が請け負っていまして
実はスカイツリーも設計じたいは鹿島建設の関連会社が
行っています。



でも建てたのは大林組です。あれっ?なんで?



大林組はもともと関西の会社で関西では竹中工務店の次に
ビックな土木および建設会社です。


東武は設計段階では鹿島建設に主に設計を任せていたと
さっき言いましたが、基本的に建設会社にはそれぞれ得意の
取引先等があり、そこにはちょっかいを出さないというか
立ち入らないという暗黙のルールがあることでお互いの
シマを荒らしたり喧嘩をしないという傾向があります。


これは他の社会でもある程度そういうところはありますね。
私も家具仏壇はともかく住宅の場合同業者はそれなりにいますので
同業者の取引先をわざわざぶんどることで、いらない摩擦を
起こさないようには気をつけてはいます。


とはいえ現実それでは新参者やよそ者は営業になりませんから、
ちょいちょい小さい仕事を分けてもらったりとか、こぼれたのを
頂くとか現実するところも大なり小なりあるのですが、
ゼネコンの場合一発の仕事が相当デカいですよね。


1発仕事をパクったら何億もの金が水の泡になったり、パクることに
なります。ゆえに建設会社はその辺は介入しないことによって互いを
潰し合わないように配慮しているのだろうと思います。



今回大林組は関東においてもともと鹿島建設が取り組んでいた
仕事を施行段階になって、東武に相当安い工賃で割り込むように
提出したのでしょう。東武はそれまで数十年来鹿島建設をひいきに
していたのを、スカイツリーの施行において大林組に乗り換えました。


結果、鹿島建設が設計したスカイツリーを大林組が実際はつくることになり
鹿島は仕事を大林に取られてしまいました。


大林は前からちょいちょいこうやってよそが受けた仕事に割と積極的に
攻めていく姿勢がありまして、そりゃ関西から関東に進出して生きていく
処世術としては多分ひとつの方法として必要だったのかなと思います。


しかしこれに大して鹿島建設はブチギレまして、大林組は関東進出に
おいてJRとのパイプを強く持っており、鹿島もそれまでは

「あそこは大林さんがやってるからさ(´Д`)」

ということで手を出さないようにしていました。
しかし、今回の件がありしかも元々鹿島建設は大林組より関東では
めちゃめちゃ力のある会社です。


大林組のJRのメインの仕事は東京駅が中心でした。東京駅に置ける工事は
それこそかなり長い間大林組がやっており、今回のリニュアル計画に関しても
恐らく相当深いところまで首を突っ込んでいて、いわば東京駅リニュアル
は大林組が関東で名を売る為の最大実績に成り得るといっても過言ではない程大事な
プロジェクトでした。


鹿島建設はこのいわば総本山ともいえるこの東京駅のプロジェクトを
大林組から奪いにかかりました。どんな手を使ったかはよくわからないのですが
結果として鹿島建設は東京駅リニュアルプロジェクトをJRを説得して
大林組から奪いました。



結果先行して鹿島建設が当初やる予定だったスカイツリーを大林組が施行して
大林組がやる予定だった東京駅リニュアル工事を鹿島建設が施行するという
不思議なねじれが発生しました。

しかも皮肉なことにオープンは双方とも今年です。


誰が建てたかなんて正直どうでも我々として、後世にかけて


「東京駅」
「スカイツリー」


どのような評価になるのか?というが私は気になっていまして
冒頭で私は「どちらに行ってみたいですか?」という問いをしましたが
行ってみたいという問い以前に

「どちらの方が経済効果を生むか」

というのはもう比べるまでもなく明白で100%東京駅です。

一方は駅で、一方は電波塔ですから勝負になりませんし
しかも東京駅には「歴史」があるので、おニューで建った
スカイツリーももちろん魅力的ですが、人々の心理としては
歴史の重さというものに触れたいという心理は強いと思います。
京都駅がリニュアルした際にもの凄い最新鋭のデザインだった
ことに対して、東京駅は逆に古いのを生かしました。これらの
計画は今の時代には逆に新しいのかもしれません。


そして何より地方の方が東京に来るとき最初にイヤでも来るのが
東京駅です。それらを考えると大林組はスカイツリー以上に
大事な物件を失ってしまった気がします。


ものごとを「正義」で計るつもりは無いので大林組と鹿島どちらに
「義」があるかはお互い商売ですのでどうこういう気はありません。


大林組は「虎穴に入らずんば虎児を得ず」を実行したのかも知れません。
しかし結果として「虎穴に入って虎児を得て親虎に猛逆襲された」という
印象を私は持ってしまいました(´・ω・`)これあくまで私の個人的感想ね


それほど東京駅を手放した大林組のダメージは私は大きかったかなと
思っていますが果たして、既にオープンしたスカイツリー。これから
オープンする東京駅。

後世の評価はどうなっていくかがキーでしょうね(`・ω・´)


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Facebookは何故流行ったか?

2012-09-20 06:50:11 | コラム
仏教には「中道」って言葉があります(´∀`)

社会面でも政治面でもよくこの中道って言葉は使われるんですが
一言で言えば

「そのときそのときのベストでいようね!」

ってなことです。
言葉的に「中」なんって~言葉があるんで
右でも左でもない真ん中とかいう意味に捉えてる人もいるのですが
それだと50点です。真ん中って定義はそもそも状況によって異なるからです。


例えばだね・・・・(゜∀゜)


お風呂に入ったとしますね。
お風呂のお湯加減って結構人によって好みの差がありますよね。

熱すぎたりぬるすぎたり「良い感じ」ってのは人それぞれ
さてその時みなさんどうしますか?


答えは簡単で

熱すぎたら水を入れるし、ぬるすぎたら湧かしますよね

この時の方法として水を入れるというのは実は極端な行動ですよね。
同様に湧かすというのは火を焚く(今は電気か・・)のでこれはこれで
行動としては極端です。

なんでっ?ってそりゃ水は冷たくて火は熱いからね(´・ω・`)

このように行動としては極端なんですが、これはこれで
「そん時の状況にあった行動」で「中道」なんですよね。
「目的」は「良い湯加減にしたい」というところが前提にあるから


もうひとつたとえ話をしましょう。

おじいちゃん、おばあちゃん、おとっつあん、おっかさん
嫁さん、旦那さん、お客さんなどにあなたが「マッサージ」を
してあげるとします。


最初はよくわからないので自分のペースで「こんなものかな?」
という力加減で揉みますよね。

んで

「良い感じ?」

と聞けば

「ちょっと痛い」とか「もう少し強く」とかいう返答があると思います。
それによってあなたはその指示に従ってマッサージをすると思います。


ようするに中道ってのは「その時の良い感じ」を大事にしようってことなわけで
それがその時の状況によっては「白」であって「黒」であることも
あるわけで、決して「グレー」を目指すということではないわけです。


「平等」という言葉がありますが今日本の社会はこの「平等」ってのが
大きく足かせになってきていると思います。
人によっては能力的にも経済的にも強い弱いという個人差がある中で平等と言うことを
うたってしまうのであれば、必然的にそれは歪んだ社会になるからです(;´Д`)


こんな事例で考えてみましょう。



食事の時幼稚園の子と中学生の子が同じ食事の量が出たらいかがなもんでしょう?
幼稚園の子は中学生の量は食べられないですし、中学生の子が幼稚園の量だと
ひもじいですよね。この場合はそれぞれ別の食事の量を出すべきで
平等を適応するのはおかしな話でしょう(´・ω・`)


平等とか平均とか一見言葉尻はイイ言葉のように聞こえるのですが
それも使い方一つで非常に歪んだものになりえるということです。


さて、では具体的に本題であるFacebookは何故流行ったか?を
考えてきましょう(゜∀゜)


私はFB(Facebook)をやっていますがそもそもFBは日本で何故流行った?
というキーワードにこう答えたことがあります。


「身内や仲間意識に枯渇してる人が多いのだと思う」


他にも「新しいもの好きの日本人気質」とかあると思いますが
日本は今「エゴの社会」です。助け合いとか近所付き合いとか言うのは
非常に希薄です。それは仕事の面でもそうですね(;´Д`)


社会全体が利己的になったのは私個人的には「グローバル社会のせい」
と思ってますがとにかくそういった利己的な社会の中で
「共有したい」という気持ちをSNSに求めた人が多いのだと思います。


mixiなんかが少し前に流行りましたがあそこは「コミュニティ」を
中心に交流を図るSNSです(゜∀゜)


ブログなんかで発信するというのはありますが発信することって
結構大変でしてね。「疲れた~!」「仕事がぁ~!」とか
つぶやくのと「発信」って少し違うんですよね。
その辺がブログはまだ敷居が高いのでしょう(;´∀`)



一方Twitterはあまりにも拡散力が早くまたコミュニケーションツールと
いうより2chのような書き捨て場のようになってしまった傾向はあると
思います(;・∀・)


インターネット社会に置いてそういったコミュニケーションを
自分の素性をクローズにして行うのはやはり限度があり、
根本のところはやはり会って話してみないとわかりません。



その中である程度素性をオープンにして、その代わり或る程度
「身内」という友達との交流や共有をしたいというので
FBは日本でも流行したのだと思います。考えてみればネットに
本名や顔写真をリークするのは非常にハイリスクですが、
それでもFBは流行った。それはなぜか?



これは先ほども言いましたが「利己的」な社会の中で「利他的」な
要素を求める反動だと私は思っています。
利他的な行動が発生するネックは、「信頼出来る人付き合い」です(`・ω・´)



この「信頼出来る人付き合い」というのに現代人は飢えていて
そこに「中道」の意識が働き無意識に軌道修正したいのだろうと
部分がFBの流行のネックだろうと私は考えています(゜∀゜)



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