ものを投げないで下さい

家具仏具や音楽、仏教、政治生活などを取り扱う徒然日記

広がる反原発デモに思う疑問

2012-07-20 22:21:30 | コラム
こんばんわ、お久しぶりです(´・ω・`)

震災事故以来原発に対する目線というのは大変厳しく
なっています。

色々な事柄があれど「なにかしなくちゃいけない!」という
気持ちはわかりますが、このままだと「反原発」をトレンドにして
馬鹿騒ぎしてるだけにしか見えません。

もう少し冷静に考えて頂きたいと思います。


まず原発の是非についてですが多くの方は


「原発推進(維持)」か「反(脱)原発」


という二元論で考えていませんか?
そもそも今私たちが考えることはこの二つのどちらかなのでしょうか?
先日「毒矢のたとえ」って話をしたと思いますが本当に
それが今最優先に考えることかというと私は違う気がします。


特にいつも凄い極端だと思うのは

反対派の言葉で

「放射能ゼロ社会!」とか
「今すぐ全原発を廃炉に!」
「最稼働はんた~い!」


とかありますが放射能ゼロというのは無理です。
なにもない北極に行っても放射性物質はありますよ。
むしろ中国からの黄砂を心配しましょう。
日本で通年で放射性濃度が高いのは福島及び東北では
なく島根県や鳥取県です。


そして今すぐ廃炉に!というのもそんなその辺の
電化製品じゃないんだから電源ぽちっと切ってすぐ
処分出来るようなもんじゃないです。


そして原発の最稼働反対についてですが
逆に聞きたいのですが原発が動いている動いていない
というのは安全に関係あるんでしょうか?
稼働してようがしてなかろうが、燃料棒の冷却は
続けないといかず危険性において変わりはありません。


とわいえ原発の安全神話が崩れて以来、
日本では危険神話が今度台頭してきました。
それが正しいかどうかはともかく日本では新しく原発
をつくってこれから電気を供給という政策はもう無理でしょう。


現実今関東では火力発電所を中心に電気を供給している
状態ですが火力発電所が中心になると地球温暖化の原因
になると散々騒がれたから低コストな原発がチョイスされた
わけですよね。

オイルショックで散々な目にあって原発に移行して自分らは十分な
エネルギーを使って働いておいて今更原発辞めろとか言ってる
坂本龍一やじいさんばあさん達は大丈夫なんでしょうか。
自分らの時代が過ぎたらどうでも良いのでしょうか。


結果電気料金は上がります。当たり前です。
原発より火力の方がハイコストなんだから
たとえば今まで水道水で飲めた水が、みんなが
「脱水道水」といえば当然世の中「ミネラルウォーター」
という有料な水になりますが、ここで「有料はイヤです」
なんていうのはただのわがままです。東電の連中の給料下げて
どうにかなるレベルじゃないコストだということは理解しましょう。

風力があるという人も居ますが日本はヨーロッパ程
安定して風が吹きません。

太陽光はいわずもがな日本はものすごい天気が不安定な国ですし
まだまだメインになれる力はありません。


必要なのはいずれにせよすぐには原発はなくせないんだから、
まずは有事の際に避難を容易にする防災インフラ整備はどう?
と提案すれば「公共工事は悪」とかもう頭になにか湧いてるのか
と思ってしまいます。



思うに本来するべき議論は「原発の是非」より先に

現在の原発の安全性確保や放射性物質への正しい対処

が優先されるべきじゃないのか?と思います(´・ω・`)

それらが担保出来た上で「次世代エネルギーの開発」に力を
注げば良いわけで「原発の是非」というのはその先の話です。
順序がすっ飛び過ぎてるしこのままだとただの「トレンド」だと
言うのはその辺の話が一切無いまま「廃炉だ!停止だ!」と
おそまつな幼稚な騒ぎをしているからです(´Д`)


同様に思うことがまだあります。


17万人集会の時も思いましたがあのときは警察発表の数字
と大きく数字の食い違いがありました。まぁあきらかに水増しです(/ω\ )


こういう人数発表について水増し(敢えて言う)すると、
私みたいな人間は「すごいな!」ではなく、
「数字に杜撰な人たちだな・・・」
という印象を持ってしまいます。

まあ大半の人は「すごいな」と思うのだろうから、戦略としては
止むを得ないのかもしれないけどそもそも一般市民が集まるはずの
デモにこのような「策」を労する時点で既にこれには一定のプロ団体の
思惑があることはもう明白なのがバレバレっつーか(´・ω・`)


もっとも思うのは子連れのデモ参加者って、申し訳ないけど
物凄く違和感あります(;・∀・)


別に「母親(父親も)は外出るな」とかそんな大馬鹿なことを
言いたいのではなく。ただデモというのは一歩間違えれば道交法違反
とか公務執行妨害とかで逮捕され得る示威行動。勿論事前に道路使用許可
は取るだろうけど、にしてもです(´・ω・`)


本来、デモのプロが「市井人がデモに参加するにあたって注意すべきこと・危険」
について教えなければいけないのに、プロ市民は煽って興奮するだけ。…
申し訳ないけれど今流行のデモの顛末にはひいてしまいます。


日常的に政治活動やっている私の知人達、そして私は今回の各種デモに対して
心配しています。あまりに危険なことやっていることに無自覚過ぎやしませんか?
デモは祭りじゃないんですよ。別に過激なことをなにもやってなくてただ歩いた
だけのデモとかですら、40人ぐらいの警官と機動隊に囲まれて駅に閉じ込めら
れるとか日本でも普通にありますからね?


大人が何やっても自己責任かもしれないけど、子連れ参加だけは
やめて欲しい。…そう言っても「この非常時に何言って居るんだ」
と怒る人も居るだろうけど、デモっていうのは示威行動なんだよね本来、
決して正規・平時の民主主義的行動ではないです。


言わば「有事」のものです。そういう場面からは、出来るだけ
女子どもは遠ざけるべきじゃないのかと。
女性が血まみれになるような状況見ても平気な人は、
騒擾の場にも男女平等主張しても一貫するけど、
恐ろしく危ういことをやっている自覚が現場にも観客にも
乏しいんじゃないかと思います。
自覚が乏しく無い政治活動のプロ達は喜ぶだけのようだけど、


本当にそれでいいのか?(´・ω・`)


脱原発の主張自体は電気使って居ても問題は無いと思います。
ただ、脱原発の主張自体は私も大いに理解はするしデモも
結構なんだけど、なんかヘンな空気が蔓延していて水を差したく
なっている。国民世論の多数派は「長期的に脱原発」だとは思うん
だけど、この流れは明らかにおかしい気がするのです(/ω\ )



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500円玉をどうみるか!?

2012-07-04 18:21:34 | コラム
タイトルだけじゃ意味がわからないのですが(;´∀`)
佐賀県だったか?で昔から言い伝えられてきた歌にこんなのがあります。


泣いて生きるも50年
笑って生きるも50年
泣いて暮らすも笑うにも
心ひとつの置き所


ごもっとも!というかなんかほんとにそんな気がするな~(´∀`)
と思います。人は今を天国だと思うのも地獄だと思うのも
心の持ち方次第ってことですね。

極楽か地獄か、人か鬼かというまたスケールのデカい話だと
ちょっと極端なので私の身近なとこでこんなことがありました。



私の親戚で荻窪で営業しているおとっつあんがじいさまの後を次いでせっせと
頑張ってるおそば屋さんがあるんですが、そのおとっつあんには
小学生高学年のお嬢ちゃんがいます。

このお嬢ちゃんは私はそれこそ赤ん坊の頃から知ってるのですが
かなり人見知りをする子でした。

それがご両親にいいつけられたのか知りませんが
私がふと訪ねた時に一生懸命に水や料理を運び、
お客さんへの応対をこなしていました。

人見知りするということを知っていたので、けなげだなぁ~と
ホロリときた私は帰りがけに

「立派にお手伝いをしてるんでこれはお駄賃ね~(´∀`)」

と500円玉を渡しました。

するとお嬢ちゃんはとても嬉しそうな顔をして受け取ってくれました。
あとでおとっつあんに聞いたところによるとその500円玉を
ハンカチで包んで、大事に離さなかったそうです。


一方で別の親戚で私はこんな対照的な子も知っています。


その子は中学生1年の子なのですが、家がとても裕福です。
そのせいか知らないけど、500円玉をじゃらじゃらとなんか
財布の中に入れていて、よくゲームセンターに行って遊ぶそうです。

ゲーセンにいきゃあ500円なんか下手すりゃほんの数分でなくなります。
この子にとっては500円玉はそんなもんなんでしょう。




この二人のこのどちらが良いとか悪いとかは別にしてですね。
歳がわずか離れているけどまあだいたい似たような歳ごろ

しかしながらこの二人で決定的に違うのは

「500円ももらった」と見ているか「たった500円だ」

と500円における感じ方が異なり、またそれにともない行動も
大きく異なっているという事実です。


この二人が大きくなるまでに今のままの心を持ち続けていたらどうなるか?
まぁ大体想像つくよね。どんな大人になるか(´・ω・`)


すげー卑近な例なんだけどよするに心をどう保つかによって人は変わる
ってことなんだなと思います。



となると心をコントロールすることが大事なんだねってのがわかると思います。
幼い子供でさえ心の置き方ひとつでこれだけ違う世界を体験しているわけですから
私たち大人もそれ次第で仏にも鬼にもなるんでしょうね~。



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「問題を選ぶ」ってなんだろぅ!?

2012-07-02 23:33:08 | コラム
今回からちょっと持論も含めてちょいとコラムみたいなものも
さもエラそうに書いてみたいと思います(゜∀゜)
まぁそうドン引きせずにかる~く眺めて頂戴~と思います。


昨今の話題だと消費税増税なんかが非常に身近な話題かな~と
思います。数年後には消費税が10%になっちゃう!大変だ!増税だ!
ってところでしょうか・・


まぁその辺細かいことは詳しい人のブログとか記事とかにお任せします。
私も少しは知ってますがそれをアレコレここで語るつもりは無いです(;´∀`)


私がここでちょっと触れるのは日本および私たちの生活の上で
いろ~んな積もり積もった悩み事とかがある中で「やるべきことはなに?」
という一つのプロセスをちょっと得意の仏教から紹介してみたいと思います。


パーリ仏典の中に「毒矢のたとえ」ってお話があります。




とりあえずいつもどおりですがざっくり説明しますと結論だけ言うとこんな感じ


人はまず問題を選ばなければならない。
自分にとって何が第一の問題であるか、
何が自分にもっともおし迫っているものであるかを知って、
自分の心をととのえることから始めなければならない。


ってなことなんですがあれっ?毒矢はどこいった?(゜∀゜)


説明しますと~


例えばある人が毒矢をくらっちゃったとします。イタい~!
その人の親戚や友人が集まってその矢を抜こうとするわけでっす。

そうするとその人は


しばらく矢を抜くのを待つんだ!(゜Д゜)
だれがこの矢を射たのか、それを知りたい!男か、女か、どんな家のものか、
また弓は何であったか、大弓か小弓か、木の弓か竹の弓か、
弦は何であったか、藤蔓(ふじつる)か、筋(すじ)か、矢は籐(とう)か葦(あし)か
羽根は何か、それらがすっかりわかるまで矢を抜くのは待て(゜Д゜)


と言うわけです。


まあ言いたい事はわからんでもないけどそんなこと調べてわかる頃には
毒が全身にまわってあんた死んじゃうってんだよ(´・ω・`)


この場合に「もっとも最初にやるべき事」ってのはまず矢を抜いて
この人の体に毒がまわらないよう手当てをする事ですよね。


このたとえ話の後にさっき述べた結論の言葉が出てくる。
これを「毒矢のたとえ」と言います。


では私たちの生活に照らし合わせてみると~?
上記の話は一言で言うなら

「急を要する一大事を見分けよう!」

ってなことですね。

老いとか病気とか死とか、そのへんのことっての若いうちは
なかなか気にならないし、私もさっぱり意識して生きてませんが
これは私たちの身にこれから100%起こりうることだというのは
誰しもが理解してますね。しかしなかなかそこに向けて本気で
意識する事は無いでしょう。


でもそうこうしてるうちに時間だけがダラダラと過ぎて気がついた頃には
精神的には全く成長してないのに体だけはやたらでかくなって、
しまいには年を取っていて、老いや病気を受け入れる準備が全然できてない。
なんって話はすげーよくある話だと思います。


この場合はまだ「気がついた」だけマシなんだろうなと思います。
だってそれならこれから頑張れば良いじゃん。遅いかもだけど
やらないよりは良いよね(゜∀゜)


老いや病とか全人類普遍的な問題に限らず(スケールがややデカ過ぎか?)
個々人の小さな範囲でも同じ事がいえると思うんだよね。


自分にとってはたから見て明らかに片付けなきゃいけないことがあるのに
全然それには手を付けようとせず別の事をやってる人、組織、会社、国家
まぁ色々な分野で言えますよね。


放っておいたらヤバいよ~痛い目見るよ~とわかっちゃいるけど出来ない
なんって話はよくあるでしょ(´Д`)


これは他人事ではなく自分自身に置き換えても結構そういうことって
あって耳が痛いザマス!っと感じる人は多いのかなとは思うけど
その時々で自分にとって「何が第一の問題か?」ってのはなかなか
わかんないんだろうなとも思います。


でもそれを探すときってどうすりゃいいんだろぅ!?って思った時
逆の発想で言えば「いま自分が一番やりたくないこと」が
多分それにあたるのかな~って気もするんですよね。

んでそれをクリア出来たら目の上のたんこぶがとれたような気分に
なるのかな~とも。



最初の増税の話じゃないけど、結局アレも社会保障ばんばんやるぜ~!
「財源どうすんの~!?」っていう問題をあさってに放っておいたせいで
大増税しますとかいう結論になってしまったわけな気もするし、
そもそも震災があって不景気まっしぐらの状況を置き去りにして
明らかに効果は薄そうな増税って誰も得しない結論もねえだろって気もするけど、
エラい人達の考える事はなかなかわかりませんね(´・ω・`)


までもそのよくわからないエラい人達をよくしらべもせず世に送り出したのは
私たち国民やマスコミですから因果応報だったとも言えますね。


スポーツや仕事の世界で普段から意識してない事が本番でウマく行くなんて
ありえないのですが、政治や経済の世界だと、普段は意識や勉強してなくても
なぜか本番の「選挙」で自分は英断が出来るという国民の思い上がりが
今のような国政状況を生んでしまったとも言えちゃうかもしれません。

「自分にとって今やらなくちゃいけないことは何か!?」
ってのをそんときそんときでちゃんと私たちは判断出来ているのか?
・・うむむ耳が痛い(´・ω・`)


「問題を選ぶ」ということは自分にとって耳の痛い事をまず直視
することから始めないと行けないのかも分かりませんね~。



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