近年「葬式仏教」と揶揄されるように一般の人々にとって
寺院ってのは葬儀に法要、墓参りの場と認識されることが
多くなったように思います。
私たちが関わってる葬儀と仏教の関わりってのは
「日本独自」のもので他の仏教国では通常お坊さんは
葬儀には関与しません。
模範解答を言うなら歴史的には中世のお坊さんが
民衆の要請に応える形で
「葬儀?本職じゃないけどいっとく~?」
みたいなノリで始まったのが元祖で
江戸時代に「寺請制度」(檀家制度)が始まったことに
よって今日のような葬儀法要のスタイルが定着したのかなと
思います。
今日では仏教葬がメインだけどその流儀は仏教だけで説明が
つくもんじゃないと思っています。仏教以前の死生観や
地域の風習や民俗宗教や儒教的な作法とかが混じって
積み重ねられたもんだと思います。
ともかく大事なのは身近な人を失った悲しみを
使者の冥福を祈るというかたちにカッコつける
ことで、そこで極楽浄土へと導く一連の仏教儀礼が
意味を持つことになるのかなと思います。
まずお通夜では死者の鎮魂の為に枕経が唱えられて
戒名が授けられます。往生して仏さんになるには
浄土を主催する仏さんの弟子になって修行しなくちゃ
いけないわけです。そりゃあタダで極楽へは行けません。
そこで受戒して戒名を授けられるわけです。
葬儀では読経と引導の作法が行われます。
引導とは導師が棺の前に立って法語と呼ばれる言葉
を唱えることなんだけどこれは死者が迷いの世界
から極楽へ行ける為に導くことを意味しています。
「極楽ナビ」ってとこでしょうか。
つまりよくアニメで「引導を渡してやる~!」
と必殺技を出す時に言うキャラクターは
実家が仏教なんでしょう
その一方死者の遺族は花とかお香とか灯明を添えて
葬儀に望み魂を「無事にうまいことやるんだよ~」と
死出の旅へと送り出すわけです。
こうしてのちに一定の時期ごとに供養が営まれます。
最初は四十九日までの法要でその後は一周忌、三回忌
七回忌、十三回忌、三十三回忌と続きます。
四十九日の期間は現世と来世の中間にあたる「中陰(ちゅういん)」
と呼ばれガムみたいな名前なんですが、この間死者は冥土の
旅を行って七日ごとに七人の裁判官のもとで現世でやってきた
事に対して裁判を行います。有名な閻魔大王はこの中の
一人に過ぎません。しかも七人の中で比較的優しい部類です。
このとき遺族が仏にお線香上げたり、飲食などを供物することで
功徳(仏教ポイント)が溜まり死者の株があがって裁判での
心証が良くなると言われています。それって「賄賂?」って
言われそうですが仏の世界も色々あるんだよタブン。
お世話になる上司にちょっと感謝の印を.....くらいの身内の
営業と考えて下さい。
これは通常の墓参りの際も同様で故人の死後の幸福を
願うなら、筋で言えばまずは菩提寺の本尊に真心を
尽くして仏の功徳を死者の霊に手向けるようにする方が
良いかも知れませんね。ということになるとお線香は
仏教では左上右劣なので、仏壇やお墓を拝む方からみたら
右側のろうそくを先に点火して消すときは逆に後に消しま
しょうという作法になります。
お盆の場合、目蓮(もくれん)さんという人が地獄で
苦しむ母ちゃんをどうやって助けたらいいの?ってお釈迦
様に聞いたら
「百日の修業期間を終えて伝道に出るこの日にお坊さんに
供養を頼んだら良いよ」
と応えたことに始まるようです。ただこれに関しては
日本では神道的風習とかいろんなものがごちゃ混ぜに
なってんので一概に仏教の一言で片付けられるものでは
無いと思います。
ちなみに目蓮さんはモッガーラナとも言いまして
手塚治虫の「ブッダ」にも出てきます。
これらの私たちの暮らしの中での仏教を考えた場合
私たちは仏教の教理とかいまいち意味がわかんないまんま
一生を終えて終えた時に戒名をもらって弟子になって極楽
へ行くと言う形式をとっています。
それで仏教徒って言えるのかよ?という批判の声も
あるにはありますが、それくらいの関わり方で
ある意味私はひとつの広まり方としてアリだとは思っています。
日本はこと宗教に関しては様々なものが入り交じって
今日に至る国です。宗教とはおおむねは人の心の拠り所と
してひとつの哲学なりルールなりをつくったというのが
民衆に広まって行ったものです。
狂信的にそれを信じると考えることを辞めてしまう人が
増え危険なことになりますが、地域の風習や1つの
考え方として日本は神道に仏教を混ぜてうまいことやって
いる国だとは思います。逆に世界を考えた時にこれほど
ビックな宗教とうまいこと付き合っているのもある意味
凄いものです。
私たちが今後仏教と付き合ってくにあたり
別にブツゾーかっこいいな~!でも良いし寺院凄いな~!
でも構わないし、仏教の考え方のここが好き!とかいう
漠然としたもので構わないのでは無いかと思います。
ただ時代の流れ的に仏教に限らず宗教のことをよく知らないくせに
軽視する側面があるのは日本人の場合いただけない部分も
ありますですね(;´∀`)
広く見れば「健康にも良い坐禅」とか「唯一学問的な宗教」
とか「様々な文化のもと」だとかいう見方もあるゆえ
その辺の一端を担っているということで面白いジャンルである。
それくらいのライトな捉え方から興味を持ってもらえれば
良いのではないでしょ~か(´∀`)
ということでシリーズは終りますが
今日まで多岐にわたってふつつかな文ながら
ご愛読下さって有り難うございました~
~おしま~い~
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