韓国国民に1人でも教えないとベトナムの子供が可愛そうです。
これこそ人種差別であり世界で取り上げないといけません。
【KSM】ベトナム戦争 韓国軍によるベトナム人女性暴行の証言
ライダイハン問題 HEAR THEIR STORY 日本語訳、編集 KSM WORLD
おまけ
ライダハンとは(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3
ライダイハンの数と原因[編集]
ライダイハンの正確な数は、諸説ありはっきりしない。
1500人(朝日新聞・1995年5月2日)、2千人(野村進)、
最小5千人・最大3万人(釜山日報)、7千人、1万人以上(名越二荒之助[4]など)などの説がある。
韓国との混血児は名乗りでないとの主張もある[4]。
正確な調査が行われないまま、援助団体が支援を主張したため、数が膨れ上がったとの批判もある[6]。
原因については韓国軍兵士による強姦、
兵士や民間人が「『妻』と子供を捨てて無責任にも韓国に帰国したこと」とする現地婚[7]、
「ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。[4]」
とする慰安婦(非管理売春)などと複数のことが言われている。
ただし、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、韓国軍による拷問や虐殺事件、
あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていた[4]ことは事実であり、各地の韓国軍による虐殺、
暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する強姦が挙げられている[8]。
戦闘終了後の治安維持期に入って、ようやく韓国軍は表向きに兵士の行動を律したが、
その後も猛虎師団(英語版)、青龍旅団(英語版)、白馬師団(英語版)などの兵士が、
村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している[9]。
他方、韓国軍の兵士がベトナム人の母と子を置き捨てて帰国したため、
軍司令部が再志願させてベトナムに戻し、結婚式を挙げさせた旨が伝えられている[9]。
背景[編集]
当時、韓国の朴正煕政権は反共を国是とし、分断国家としてのシンパシーを訴えて派兵を推進した。
安聖基は「参加する方では『男に生まれたからには、一度は戦場に赴かねば』という気風がありました」
とも指摘している[10]。
南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ3.1万名。
最盛期には5万名を数えた。また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本や出稼ぎの民間人も進出し、
これも最盛期には2万人近く[11]がベトナムに赴いた。
ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と
碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っていると主張する人もいる[12][要出典]。
こうした中でライダイハンは、これら韓国人男性とベトナム人女性との間に生まれた[7]。
兵士や出稼ぎの民間人による本国への送金は、年に1億2千万ドルを数え、
1969年の韓国の外貨収入の2割に達した[11]。アメリカによる軍事・経済援助、
日韓基本条約による資金援助と合わせて、漢江の奇跡の基礎となった。
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