megamiyamaです。
英さんが、アップしてくださったので、最後の「東條英機の処刑される前の手記」はカットしています。(笑)
アメリカの戦争責任とハルノートの真実。 by 「日本人は知ってはいけない」さん
2013/11/07 07:21
改めて、日米戦に至るまでのおさらい記事を紹介します。http://cosmo-world.seesaa.net/article/142255894.html
この記事の最後に、昨日のエントリーに載せた「東條英機の言葉」を含む「東條英機の処刑される前の手記」が載っています。
「東條英機」は軍国主義の象徴的存在であり、戦後の平和教育の」なかでは、忌み嫌われるべき存在のように扱われてきましたが、日本軍の長として、全責任を負って逝った人の最後に残した言葉の明晰さ、国を思う真摯さ、透徹した視点…を知れば知るほど、改めて敬意を表さずにはいられません。
日本人ここにあり!
「東條英機」が遺した言葉の歴史的価値を見直し、すべての日本人が学ぶべき遺訓とすべきではないかと思います。
日本人が日本を愛し、守ろうとして、何が悪い!
ウヨクで結構!(笑)
これも、「光の進軍」http://blog.goo.ne.jp/hikarinonakama/e/790c80778d75d324934450c6352c81e0で、「東條英機の言葉」を教えてくださった“泣き虫ウンモ”さんに教えて頂いた記事です。
日本人は知ってはいけない。 ないしょの話。
アメリカの戦争責任とハルノートの真実。
昭和16年12月8日、日本は米国との開戦に至った。
太平洋から東南アジア、インド洋にいたる広大な海洋を舞台とし日本は史上例を見ない大戦争を戦った。
そして4年にも及ぶ「大戦争」は最終的に昭和20年8月15日、日本の敗戦によってその幕を下ろした。
しかし何故日本は国土の広狭・資源の有無・を無視してまで「日米開戦」に踏み切ったのか、常識では考え難いがそれらに関係無く日本に開戦を選択させるべく仕向けたアメリカの『責任』がある。
「アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう」これは東京裁判でのパール判事の言葉である。
勝ち負けを度外視しても開戦を選択せざるを得ない理由こそがまさに『ハルノート』である。(正式名称、合衆国及び日本国間の基礎概略)開戦前夜の昭和16年11月26日アメリカ国務長官 コーデル・ハルが日本政府に対して通告してきた文書でこれを読んだ日本国はアメリカからの最後通告と解釈したのである。
当時日本はアメリカ・イギリス・支那・オランダによる対日経済封鎖により石油・ゴム・といった資源のほとんどを供給停止されていた為に南方進出を真剣に考えていた。
東南アジアの国々はほとんど欧米の植民地である。
その国々を独立させ対等貿易を行えば日本に活き残る道はある。
その為にはアジアから欧米の植民地支配を排除せねばならないが欧米と開戦できる国力は無い。
そんな状況下にありながらも日本は日米開戦を回避すべくぎりぎりの条件を提示して日米交渉の妥結を願った。
その条件「甲案」とは
1・ 日支(日本と支那)に和平が成立した暁には支那に展開している日本軍を2年以内に撤兵させる。
2・ シナ事変(日中戦争)が解決した暁には「仏印」(フランス領インドシナ)に駐留している兵を撤兵させる。
3・ 通商無差別待遇(自由貿易)が全世界に適用されるなら太平洋全域とシナに対してもこれを認める。
4・ 日独伊三国同盟への干渉は認めない
と言う内容であり更に「甲案」での交渉決裂に備えて日米戦争勃発を未然に防ぐ為の暫定協定案として「乙案」も用意してあった、乙案は下記の内容である。
1・ 欄印(オランダ領インド=現インドネシア)での物資獲得が保障されアメリカが在米日本資産の凍結を解除し石油の対日供給を約束した暁には南部仏印から撤兵する
2・ 更にシナ事変が解決した暁には仏印全土かた撤兵する。
要するに日本に対する経済封鎖が解除され石油などの資源が供給されれば南方に進出する必要性は無くなる。
それと引き換えに日本も全面撤退に応じるという内容である。
この事については駐日大使ロバート・クレーギーが帰国後政府に提出した報告書で「日本にとって最大の問題は南方進出では無く耐え難くなりゆく経済封鎖を取り除く事だった」とかかれており日本の南方進出が「領土的野心」等では無かった事を証明している。
東京裁判でアメリカ人のブレークニー氏も「日本の真に重大な譲歩は甲案であり、甲案において日本の譲歩は極限に達した」と言っている。
日本側は対米交渉においてこれ以上は応じれない譲歩を示したと言う事である。
しかしそれに対しアメリカは11月7日に「甲案」、11月20日に「乙案」をも拒絶し11月26日に日本が到底受け入れる事の出来ない「ハルノート」が提出された。
ハルノートは以下の文書である。
1・ 日本軍の支那、仏印からの無条件撤退
2・ 支那における重慶政府(蒋介石政権)以外の政府、政権の否定(日本が支援する南京国民政府の否定
3・ 日独伊三国同盟の死文化(同盟を一方的に解消)
日本に対し大陸における権益を全て放棄し明治維新前の日本に戻れと言う事である。
江戸時代アメリカに武力で開国を強制的にせまられて以来欧米列強に揉まれながらも日本は血の滲む努力の末やっと対等になりつつあるところで「全てを放棄しろ」である。
こんな訳の解からぬ条件を突き付けながらも経済封鎖の解除には一言も触れて無い所などはさすがは「詐欺師国家」アメリカである。
日本は生存権を賭けて日米開戦の道を選択したと言うより開戦という選択を取らされたのである。
資源・物資・大陸での正当な権益・アメリカにある日本の資産・これらを放棄しろと言う事は「死ね」と言うのに等しい事である。
アメリカ流の屁理屈で言わせてもらえば日本の選択した『開戦』という道は自衛手段であり日本には一切の戦争責任は無いと言える。
これらの構図は現在も続いている。
常に対象国を挑発し、事の責任をなすりつけるやり方は最近中国との間で起きている。
中国の嫌がることを徹底的にやり、頭にきた中国がアメリカ国債をバカバカ売却する。
大量にアメリカ国債が売られるとドルが暴落する。
ドルが地に落ちればアメリカはデフォルトする。
その責任の全てを中国になすりつけて、自分は被害者を装い、まんまと借金を踏み倒す。
いかにもアメリカの考えそうなことだ。
敗戦後東条英機は処刑されたことになっているが、ヒトラー同様私は生きていたのではないかと思う。
うまく説明できないが、東条の二男は三菱重工の社長になっている。
三菱財閥と天皇家の関係、昭和天皇と東条の関係を考えると、東条を処刑するとは考えられないのだ。
処刑後、東条の遺体は家族のもとには帰っておらず、航空機で太平洋に散骨したことになっている。
限りなく怪しいのだ。
グアム、サイパン、ハワイ、もしくは南米のどこかの片田舎でひっそりと暮らしていたのではないかと思えてならない。
以上「花降る里」より転載。