ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

今年のこと 1 系図伝記は安い

2022年12月25日 | 発信

春のころのこと。

年配のご一行が埼玉から来たと立ち寄った。

国政選挙になるとやってくる人たちだ。

その中の一人が「私は森山○○の娘です、懐かしいわ」

森山なら親戚かもしれないが面識もないし、初めて聞く名前だった。

 

夏のころその御夫人が家族連れでまたやってきた。

「私は森山○○の娘です、懐かしいわ」

そこで、掛け軸にしている家系図を持ち出してみたとこ、、、、いた!

孫爺さん辰蔵は次男だ、長男善蔵は次男に家を任せて山の上の村を下りて今は球根会社になっている。

その親は滝蔵は長男だったが次男金五郎に多左ェ門家をまかせて深沢の屋号になった。

その2代前の多左ェ門は弟茂兵衛に大本家をまかせて出ているのだ。

その親の彦左ェ門は下の村増沢から山の上の村舟山に上がった初代だ。

でも彦左ェ門って???長男っぽい名前だよな。

さて訪ねてきた女性だが。

孫爺さんの辰蔵は妻が亡くなり多左ェ門家の長女キチを従妹であったが後妻として迎えている。

後妻の長男が亡くなった父寅一であるが本来なら3男だ。

小さいうちに兄弟の多くが亡くなってしまい残った男子は寅一だけだった。

口癖が「うちは長男は残らねぇんだ、、、、」

 

訪ねてきたご婦人の母親の名は婆さんの兄弟の中にあった。

つまり寅一の従妹だった。

驚いたのはその御夫人の娘さんがイギリス人の夫と流ちょうに日本語を話す二世の娘さんを連れてきた。

今ロンドンに住んでいるそうだ。

私にはアメリカに姉がいる。

そして、新しいセリフが言えるようになった。

「俺は、ロンドンにはとこがいるぜ!」、、、自慢にはならんけど。

自分は長男だが末っ子だったのでジャニーズ入りは早めにあきらめたってわけさハハハ、、、

爺さんが系図を金かけて残してくれたのでこんなこともわかりました、、、、とさ。

 

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