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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

大古事記展 ~奈良県立美術館にて~

2014-11-30 23:48:09 | 博物館へ行こう
 新聞報道で、七支刀を現物を見ることができるのは、11月24日までというニュースを見つけ、にわかに見てみたくなって、一路近鉄電車に乗って奈良へ。近鉄奈良駅を降り立ち、地下から下界へ出ると商店街があり、そこから県立美術館へ向かった。たぶん、初めて行くんではないだろうか?奈良国立博物館は、よく行くのだが、案外県立博物館には行かなかったりする。
 とは言え、ニュースとかの影響だろうか、思ったより見学に来られている人が多かった。

 

 博物館の入り口には、「大古事記展」の大看板が設けられていた。入り口の左側にはせんとくんもお出迎えしていた。
 
 今回の「大古事記展」のテーマは、「五感で味わう愛と創造の物語」ということで、美術、民俗学、国文学、考古学あらゆる視点から古事記を味わい尽くすとなっており、展示の構成は下記の通りである。また、この展覧会は、古事記編纂1300年のイベントの一つのようです。

 第1章 古代の人々が紡いだ物語
 第2章 古事記の1300年
 第3章 古事記に登場するアイテムたち
 第4章 身近にも息づく古事記
 第5章 未来へ語り継ぐ古事記

 最初の展示室に少し並んで入る。太安万侶像が飾られている。そういえば、太安万侶の墓誌が出土したのは、僕が小学校6年生の頃だったと思う。学校の文集でこのことを取り上げたところ、校長先生からお褒めの言葉をいただいた記憶がある。
 展示室には古事記に書かれている物語を主題にした絵画等がある。安田靫彦や前田青邨といった著名な歴史画家の絵画もあった。展示の中で、前田青邨の画に書きこまれている土器等が、実物の見本があるというのはなかなか面白かった。考えて当然のことのようだが、意外と気づかないものかもしれない。ただ、縄文土器と弥生土器が一緒に書きこまれているのは、ご愛嬌といったところかな。

 古事記の研究は、近世になってから、国学が盛んになってからなされたようだ。本居宣長の「古事記伝」が展示されているのだが、一人の研究者が、コツコツと成果を積み重ねた偉業を目の当たりにすると、その努力と熱意に恐れ多いものを感じる。ただ、読んでみようと思うも、なかなか刊行本にはなっていないのが残念。(最近、講談社選書メチエで「『古事記伝』を読む」が出版されてたな。)
 日本の歴史の中で残念なことは、戦前の皇国史観等の宣伝の材料に使われたため、日本の神話となると胡散臭いものを感じてしまうところ。もう戦後70年、そういった呪縛から逃れてもいいのかもしれない。(ただ、そういったことに使われたのだという歴史は、忘れてはならない。)
 
 古事記に登場するアイテムたち、古事記には確かに、穢れを振り払うため、または自己の正当性を証明するためなど様々な理由で色々な道具が出てくる、勾玉やら剣、弓矢そして鏡などそういったモノに着目し、考古資料を集めた展示。そういう視点が面白いと思った。ゲームなども神話をモデルに作られていることが多いし、アイテムをどうやって手に入れるのかというのが、そのゲームのステージをクリアしていくのに大切なことで、それは、神話の世界にも共通している。

 そして、次の展示室で、見たかった七支刀が展示されている。一本の刀に左右3つづつ枝が出て、異形な形をしている。奈良の石上神宮に神宝として伝来されており、国宝に指定されている。剣自体はかなりさびていて、真っ黒になっているが、刀身には金象嵌で銘文が刻まれている。

 銘文には以下のように書かれているのだそうだ。
  (表)「泰月十六日丙午正陽造百練鋼七支刀辟百兵宜□供候王□□□□作」
 (裏)「先世以来未有此刀百済世□奇生聖音故為倭王旨造伝示後世」

 読み下し文以下の通り。(山尾幸久著「日本古代の国家形成」参照)
(表)「泰和四年五月十六日、丙午正陽、百錬の鋼の七支刀を造る。生(すす)みては、百兵を辟(しりぞ)け、候王を□(復)(ふ)み供(つつし)むに宜(よろ)し。□□なり。□□作る。」
 (裏)「先世以来、未だ此(かく)の刀有らさるに、百済王の世□(子)、聖音に生くるを奇とし、故(ことさら)に倭王の旨(こころざし)の為に造り、伝えて後世に示す」 

 読み方には、諸説あるので確定はしていないようだ。そうした中、山尾氏は、七支刀が示す歴史的事実としては、倭王の朝鮮出兵があって、朝鮮半島の南部に任那という直轄領ができたということを示すのではなく、逆に372年ごろ、百済王と倭王との間に初めて国交がひらかれたという歴史的事実を示しているのであるとされている。
 また、古事記の応神天皇の条に、「百済の国王照古王、牡馬壱疋・牝馬壱疋をもちて、阿知吉師付けて貢上りき。また、横刀または大鏡を貢上りき。」とある横刀が七支刀のことであるという。この辺りから、古事記の記述と歴史的事実とが重なり合うところが出てくる。

ヤマト王権が、この後倭の五王の時代に突入し、中国、朝鮮との国際関係が重要になってくるのである。

古事記という書物は、歴史書でありながら、文学作品としての色合いを持っている。その中で、須佐之男命、大国主命、倭建命が、3大ヒーローといっていいような気がする。僕は、比較的小さい時から、古事記の神話に触れている。家に子ども向けの古典全集があり、その中の、「日本神話物語」が古事記の神話を元になっていて、その本をよく読んでいたものである。この展覧会を見ていて、そういった小さい時のことを今更ながらに思い出した。考えてみれば、家には、子ども向けの古典全集、日本史の全集が揃っており、日本史に興味を持たざるを得ない環境にあったのだ。しかしながら、子どもたちはあんまり興味を持ってくれない。なんででしょう。



 展覧会を見終わって、外に出るとそこは晩秋に奈良、奈良公園の周辺が紅葉が非常にきれいでした。(今年の紅葉は、例年にも増して美しく感じられるのは私だけだろうか?)



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