あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

百レボと愉快な仲間たち 3

2015-08-11 | 


ホシコタケノリというのがフルネームだが、星の子と書いて星子。
すごい苗字だな。
年のころは30代半ば。長身にスキンヘッドで作務衣なんぞ着ているのでそのまま坊さんで通りそうだ。
今回は彼が百レボでどかーんとやっつけられ、その勢いで蒲生の里へ百レボの著者、伯宮さんを訪れた。
ゴールデンウィークを利用して奥さんと2歳になる娘、そして友達の小正と4人で東京から車で来て、そこに僕が合流した。
星子そして小正は大学時代からの友達だそうで、ぶっとんだ和尚のような星子に対しイケメンで普通にインテリっぽい小正の組み合わせがよい。
聞くと星子は人の体を治す仕事を、小正は人に物を教える仕事をしていると。
なるほどね、そんな感じがするわ。
初対面だが西やんから繋がってきているので話は早い。
互いに遠慮をすることなく、深い話がバンバンできる。
昨日から一部始終祭りを見ている星子と小正がいろいろと説明をしてくれる。
800年以上続いている祭りで、神子と呼ばれる3人の子供達を神様の使いとして祭りを進める、などなど。
二人ともにスピリチュアル的なものも感じるようで、祭りの一環でお供え物をした時には神様が降りてきたのを肌で感じたそうな。





そんな話をしていたら渡御が出る、神子や神輿が出るというので近くへ行ってみた。
その時は知らなかったが、どうやらこれが祭りのクライマックスだったらしい。
神輿のある拝殿では巫女さんとか神主さんが何やら儀式をやっている。
近くと言っても距離は十数メートルは離れていたのだが、そこにいた僕はその儀式の時に出た『気』に打たれてフラフラになりぶっ倒れそうになった。
ただでさえ9年ぶりの日本で、その辺の神社に行っただけで手がピリピリと痺れるぐらい『気』に対して敏感になっているのである。
それが800年も続いている本物の祭りを目の当たりにして、すさまじいばかりの気に当たってしまった。
こんな感覚は、昔チベットのお寺に行って仏像を見て、あの独特の目に吸い込まれぶっとんでしまったが、それ以来だ。
星子も小正もやはり同じように感じていたらしい。
「ダメだこりゃ、何か飲まなきゃ正気を保てないや」というところで意見が合い、とりあえずビールだなということで意気投合、一致団結でビールを求めて神社を一時離れた。





このタイミングで星子が百レボの筆者、伯宮さんと連絡を取り合流。
星子たちはこの前日にも会っているのだが、僕は初対面である。
年は僕よりも少し上ぐらいの素朴な感じの人だ。
あの本の内容からして一回り、もしかしたら二回りぐらい上の人を想像していたのだが、思っていたよりも若い。
はあ、この人があの本を書いちゃったのか、すごいな。
伯宮さんの奥さんの祐代さんとも会った。着物を着ているのはお祭りだからか、素敵な人だ。
聞くと、日野は祐代さんの出身地だそうで、北関東の方に住んでいたのだが最近こちらへ移り住んだと。
先ずは何はともあれみんなでビールで乾杯。
ビールを一気飲みして、やっと人心地ついた。
そこからはお喋りをして屋台の物を食べビールを飲みそぞろ歩きをして、という具合に祭りを楽しむモードに切り替わった。
星子は以前から地球祭りというのを考えていて、百レボを読んでスパークしたそうな。
「あの本は僕のイメージと全く一緒なんです。あれのラストは僕が書きました」などという言葉を筆者本人の目の前で話してしまうところがすごい。
僕も伯宮さんに感想を求められたが上手く言葉にできずに、なぜか話題を変えてしまった。
深く感動した本の筆者に会えるなんてそうそうあるものではない、ましてやニュージーランドに住む身である。
何故もっとあの時にもっと百レボの事について話さなかったのか、それは自分でも分からない。
本についての話はあまりできなかったが、それ以外にいろいろと話もできたので、まあそういうものだったのだろう。





来る時にはゆっくり見られなかった屋台やお店も覗く。
ちょっと気になった木彫りの工芸品を見ていると祐代さんが来て「うちの父です」と紹介をした。
ああ、こういうのは偶然ではなく、なるようになっているのだなと、気になっていた勾玉の形をしたネックレスを女房に買った。
祭りの行列が通りを通る。
竹の棒で地面をバンバンと叩きながら「やーれ、やーれ」という掛け声をかけながら街を練り歩く。
星子がその掛け声に合わせて「やーれ、やーれ」と言い始めた。
そうか、祭りは見るものではなく参加するものだな。
僕も自然と声を出した。
声を出すと不思議な事に一体感という物が感じられる。
ブラブラと歩きながら神社へ戻る途中で、祐代さんの親戚を紹介されて曳山に乗せてくれるというので行ってみた。
順番を待つ間にコップを渡され日本酒を注がれ乾杯をして、何を話したのか全く覚えていないが妙に盛り上がり、曳山の事なぞすっかり忘れてしまった。
周りで笛と太鼓の祭囃子が速いリズムで鳴り響く。
この音楽がこれまたヤバイ。ヤバイという言葉はあまり使いたくないけれどヤバイ。
エンドレスで延々と同じ調子で続くのだが、これが妙に感覚を麻痺させるのか、夢うつつにするのか、現実離れした感覚に人を酔わせる。
神社という環境が持つ気、延々と流れる音楽、そこで行われる人間の営み、当たり前のように出される酒、仲間との語り合い。
全てが絡み合い、僕はすっかり祭りに酔ってしまった。





祭りも落ち着いてきた夕方。
そろそろ帰ろうかという時分に小正が言い出した。
「神社の裏へ行ってみませんか?本当に大切なものは隠してあるんですよ。簡単に人目に触れられないように。何があるか分からないけど行ってみましょうよ」
全員異存なし。小正を先頭に星子、伯宮さん、祐代さん、そして僕の5人は神社の裏に向かった。
ナルホドよく見ると、裏へ続く踏み跡が壁に沿って続いている。
そこを抜けて神社の間裏に廻ってみると、何やら立っている。
近づいてみるとそれは五角形の木の柱だった。
「これがご神体だあ」
見るとその前に大幣(おおぬさ)と呼ばれる神道の道具が5本。
そのうち1本が倒れていた。
小正がそれをなにげなく直した。
ああ、これをするためにここに呼ばれて来たのだな。
ご神体をよく見ると神様の名前が書いてある。
どうやらここに祭ってある神様は五人、そして居合わせた僕らも五人。
5人そろってご神体にお祈りをする。
近くには大きな木があり、白いヒラヒラが貼ってある。
これがご神木なんだな、ご神木にもお祈りを。
ご神体のある場所はは特別な場所ではなく、近くを通る車も見える。
ただ向こう側からは茂みに覆われ、言われなければ気がつかないだろう。
本当に大切なものはすぐ近くにあるものなのだ。





そこで僕ははっきりと感じた。
自分が日本にやってきた理由を。
それはこの場に居合わせるために来たのだと。
もちろんこれだけが全てではなく、家族に会ったりトークライブをやったり友達に会うというのも大切なのだが、この場に来るというのはある意味使命のようなもので自分がやるべき事の一つなのだと。
この場にこうやって僕ら5人が集まるのは誰が欠けてもありえなかったことだ。
伯宮さんがいればこそ、百レボがあり、心を震わせた人が集まった。
祐代さんがいればこそ、この日野という街に皆が集まった。
行動力のある星子がいればこそ、このタイミングで伯宮さんに会いに行こうとなった。
霊性の強い小正がいればこそ、神社の裏をお参りすることになった。
そして僕がいたから星子と小正は百レボに出会い、こういう流れとなった。
誰が偉いという話ではなく、皆がそれぞれに個性を生かし、一つになった。
大きな流れの中で自分の役割という物をはっきりと感じた瞬間でもあった。
全てが繋がった。
最後の最後まで予定が決まらずこの日だけポッカリ空いていたことも、西やんとのつながりも、クィーンズタウンの家にこの本があったことも、偶然は何一つなく全てが起こるべくして起こり、今ここに自分がいる。
ああ、自分の道は何も間違っていない。
今向いている方向にこのまま進んでいけばいいのだ。
包み込まれる母なる大地の愛とはちょっと違う、何か大きな力で背中を押され自分の足で前に進めと示唆されている。
あえて言うなら大いなる父のごとく、そんなイメージが心に浮かんだ。




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