近況中況遠況

今の話、少し前の話、昔の話を気の行くままに書いていく。

ストーム

2021-12-03 00:59:09 | 日記
大学に入って最初の一ヶ月は歓迎コンパの連続である。
学部の上級生が主催するものはオリエンテーションを兼ねていて単位の取りやすい講義とか出席を取らない講義とかを教えたりしていてこれは有益なものであった。
サークル、高校の同窓生、同郷生、同じアパートの者等のコンパもあったがこちらの「歓迎」は単に酒を飲みたいがための口実のようであった。

寮でもあった。
エッセン(食堂のことをそう呼んでいた)に集められて上級生が丼に酒をなみなみと注いで飲み干すまで離れない。
皆が酔っ払った頃を見計らって「これから女子大の寮までストームを駆けます」と号令をかける。
1kmほど離れた所に短期大学の女子寮がありそこまで走って行く。
毎年のことであるので女子大の寮生も心得たものでバケツに水を溜め窓口に集まり寮生が来るのを待ち構えている。
寮生が到着すると一斉に水を撒いてはしゃいでいる。水を掛けられた方もびしょ濡れになりながらもはしゃいでいる。
新入生は飲みなれない酒に酔っぱらっているから道路のあちらこちらに倒れる者がいて上級生がリヤカーを引いて収容して回る。

寮の中でもストームはあった。
何かの会合で最後に酒盛りになった後に寮の通路や廊下を奇声を上げながら走り回る。
「〇〇委員会の諸君がストームを敢行します。寮生の皆さんよろしく」と寮内放送がある。
寮生は要所要所に待ち構えて水を掛ける。
寮内であるのでパンツ1枚や裸の者もいる。

若気の至りとはいえ実にくだらないことに情熱を傾けていたものである。
しかし時代は大きく変わろうとしていた。

大学紛争の波は全国に広がっていて、それに加えて米軍機が構内に建設中の建物に墜落するという事故が起こり、もうコンパどころか授業さえ満足にできない状態に陥った。
更に1年後には全学無期限ストに入り半年後機動隊が突入して封鎖解除するまで大学の敷地内にも入れなくなった。
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京都の紅葉

2021-11-30 02:05:11 | 旅行
京都に泊り掛けで紅葉見物に行ってきた。
日帰りでも十分間に合うのだが夜ちょっと贅沢な食事ができるのと翌朝早くから動けるので数年前からこのようにしている。

去年はGOTOを利用して奈良に行ったが紅葉に関しては見るべきものはなかったので今年は定番の京都に行くことにした。

初日は日曜日で有名どころは込むだろうからと下鴨神社と府立植物園を選んだ。
下鴨神社は紅葉は余り多くなかった。
神社の脇を流れる小川の畔を葵祭の祭列が通る若葉の季節の方が似合うと感じた。




府立植物園は広葉樹の林のあちらこちらに各種の植物のエリアがあり、深山をさまよって思いがけず美しい花に出会ったという配置である。
花の盛りは過ぎていてバラやコスモス位しか咲いてなかったが今は紅葉がその役割を担っているようだった。




ホテルは四条河原町の高島屋の裏側の閑静な環境にある新しい建物で全室シャワーのみでバスタブ無しという変わったホテルであった。
そのシャワーも変わっていてお湯を出す前に温度確認が出来、下の方にノズルがあり胴や足にも直接シャワーが掛かるような仕組みになっていた。
いつもシャワーで済ませている私には市販されているならぜひとも購入したいものだった。


2日目は紅葉のニュースでは確実に取り上げられる東福寺である。
平日だから空いているだろうとの思惑は駅を降りた時から外れたと分かった。
切れ目ない人の列が続いて迷う心配もない。
紅葉はさすがに見事であった。
よくもこれだけの紅葉を植えたものだ。
最初に植えた人はこれが寺に収入をもたらすとは思いもしなかったであろう。
桜でなく紅葉というのも鑑賞可能期間を考えたら偶然ではあろうが結果論として先見の明があったとしか思えない。






午後は丸山公園に出向いたが小振りの木が多く東福寺を見た後では何の思い入れもなかった。
スマホのバッテリーが無くなりそうだったので写真は撮っていない。

このスマホは最近入手したもので一部で変態スマホと言われているものである。
後日触れる。
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歯無しの話

2021-11-27 18:38:47 | 日記
10日ほど前久し振りに外食した。
肉の4種盛りを注文したらホルモンのミノもあった。
単品では先ず注文しない部位である。
食べずに残すのももったいないと思い一生懸命に噛んだが、これがいけなかった。
入れ歯の縁が歯茎を圧迫して抉れたようになっていた。
上下の歯が少しでも当たると鋭い痛みが走る。
2日ほどスープ、ゼリー、ヨーグルトと流動食で過ごしたが
これではいけないと入れ歯を外しバナナやパンを牛乳に浸したものを前歯でチマチマと食べるようにした。
入れ歯を外したままだと既存の歯並びが乱れて入れ歯が奇麗に収まらなくなる。
食事の時は入れ歯を外し、食事以外の時は入れ歯を入れて過ごすという本末転倒の生活になった。

日にちが経てば自然に治まると思ったが1週間経っても痛みは変わらない。
口内の様子を鏡で見ようとしたが歯茎の内側なので見ることができない。
その代わり前歯の一本が黒ずんでいるのが見えた。
爪を当てると根元の一部が欠けている。
痛みや染みはないがこちらも問題がありそうだ。

ということで歯医者に行ったが目視とレントゲン検査の結果前歯は治療できないと判断され切断することになった。
歯茎の際で切ったと思っていたが結構上の方まで残っている。
差し歯になると思うが年内に完成するか微妙なところである。


この歯は最後の自分の歯で、これを切ったことで私の歯は全て入れ歯と差し歯だけになってしまった。
これが歯無しの話である。

歯茎の方は入れ歯の台座を削ったりしたが塗り薬を塗ったら不思議なほど速攻で痛みは消えた。
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チケット交換の話

2021-11-24 01:23:16 | 旅行
ローマにある国立歌劇場でのことである。
立見席のチケットを入手し道路脇にある入り口付近で待機していると、若い女の子が来てチケットを交換してくれといってきた。
話を聞くと彼氏と一緒にオペラを見る約束だったが彼氏は立見席のチケットを買い彼女はボックス席のチケットを買っていたので一緒に観られない。
それでチケットを交換したいとのことだった。
ボックス席のチケットは10000円はするだろうと思われる、対して立見席の値段は1000円位である。
どう考えても私の方に利がある。
スリ、引っ手繰り、悪質バーの客引きに出会ったのは全てローマであったことを考えると何か裏があるのではないかと考えたが思いつかない。
チケットを見たが日付も合っており本物のようである。
私のチケットを取り上げるためにわざわざ偽物のチケットを作る時間や技術を持っているとも思えないし、その必然も全くない。
交換することとして「チケットの差額はいかばかり支払えばよろしいか?」と訊いたら、お金はいらないと想像していた通りの返事であった。
その後私は正面玄関から入って舞台を45度の角度で見下ろす3階のボックス席に着いた。
演目はプッチーニの『マノンレスコー』で甘美で芳醇な舞台をゆったりと楽しむことができた。

先にちょっと触れたがローマの治安について経験したことを述べる。

●ひったくり
テルミニ駅の広場の端の方を歩いていた時いきなり上着の内ポケットに手を突っ込まれ中のものをひったくられた。
後ろから二人の少女が忍び寄ってきての一瞬の出来事で、何が起こったか理解できた時には20m程の距離があり追いかけることも出来なかった。
少女等は裸足でくたびれた服を纏った浅黒い肌の明らかにイタリア人とは違う人種であった。

事前にローマの治安についての注意勧告文を読んでいて、そのような場に遭遇しても大丈夫な対策(貴重品は小さな洗濯袋に入れ首から下げて肌着の下に着ける)
をしていたので私の被害は観光案内所で貰った地図1枚だけだった。
そもそも追いかける必要もなっかたのである。

●悪質バーの客引き
ホテルに帰る途中の信号待ちをしている時、一人の外人に声をかけられた。
アルジェリアの橋梁設計技師で打ち合わせのためローマに来ていると言う。
昨日うまい酒を飲ませる店を見つけたので一緒に行かないかと誘われた。
これも注意勧告文に書かれていたので無視すればよかったのだが、彼の話が全て理解できるし、私が話すことも相手に確実に伝わっているようで会話がスムーズにできるので、私の語学力も上がったものだなと感じ、しばらく話そうという気になったのである。
でも、やはり危ない雰囲気はあったので数人の日本人が歩いてきたのを潮に、彼らと同じグループで食事の時間が迫っているので酒の話は又にしようと言って別れた。

簡単な語句に分かりやすい文章で話しかけ意思の疎通ができると思い込ませるのはこの手の人々の常套手段であり、国を問わず同じであることはのちにいろんな国で実感することができた。

●スリ
これも信号待ちをしている時のことである。
テルミニ駅での少女等と同類と思われる中年女性が寄ってきて小さな段ボール紙を胸のあたりに置いて目隠しとして、私のコートのポケットに手を入れようとしてきた。
手を払ったら離れていった。
近くにいた老人に気をつけなさいよと言われたが、こんな単純な動作でスリができると思っているのかと思うと可笑しくなってきた。
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団塊の世代

2021-11-19 13:49:17 | 日記
団塊の世代は人が多すぎて競争意識が強いとか言われているが、その中にいる者にとってはそれが普通の状態であるから大変だったとか苦しかったとかの感想は一切ない。
しかし人が多かったのは事実であるから当時の事を思い出してみる。

小学校に入学した時は一クラス60人で5組まであった。
さすがに多すぎるというので5月の連休明けにクラス替えがあり、一クラス50人で6組に変わった。
中学校は1学年13組まであったが、隣の校区では24組まであった。
高校は今のままでは収容しきれないとのことで新たに学校を造ることになった。
高校は私の家から徒歩10分ほどの所にあり、二人の兄も通っていたので私もそこを受験する予定であった。
しかし、その学校は遠く離れた所に新しく建てられた校舎に移り、残された校舎が名前を変えて新設校として誕生することとなった。
我が家の兄弟はみんな同じ校舎に通ったが校名は上2人と下2人で違う。

私らは新設校の3期生として入学し全学年が揃い、学校としての体裁は出来上がった。
校名を広く周知させるための方法としてスポーツ選手を全国から集め好成績を出し名前を売るという方法もあるが、普通科の学校であったので校長が採ったのは大学合格者を大勢出すという手法であった。
クラス編成は成績上位者を集めた男子だけのクラス一つ、次位の男子と成績上位の女子を集めたクラス一つとその他大勢組のクラス七つという構成であった。
成績上位のクラスは特別クラスと呼ばれ、普通の時間割の前後に補習授業があり特別待遇を得ていた。
教員は手弁当での奉仕であったが学校の評判を上げようと必死であった。
そのような努力をしても合格者は既存の普通科高校よりも少なかった。

私はもちろんその他大勢組で勉強よりもクラブを創ることに没頭していた。
アマチュア無線をやりたかった私は同志を集めてクラブ創設を学校に図ったが、単一の趣味的なものは認められないと言われ放送部として出発することとなった。
朝礼や集会の時放送機器の操作をするのも活動の一部で生徒の列に並ばなくて済んだのはありがたかった。
レコードコンサートを開こうと計画し、ポスターを作って貼ったりしたが誰も来なくて部員だけで寂しく聴いたこともあった。
アマチュア無線の資格を取るため隣の県まで受験しに行ったこともあった。
無線機器購入の予算は降りず顧問の先生が自腹を切って買ってくれた。
完成品は高いので100点以上の部品を半田付けするキット品を購入し一週間程かけて作り、一発で作動したときは感動した。
放課後は部室に入り浸りで「CQ、CQ、こちらはJA6ABC(相手が聞き取りやすいようアラバマ、ボストン、シカゴとか言っていた) QSOお願いします」などと交信相手を探しては他愛のない話に夢中になっていた。

そんなこんなで勉強に本腰を入れたのは3年生になったからであったが、何とか志望校に滑り込むことができた。
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