ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

デモ大国、フランス。妊娠中絶反対のデモに、4万人!

2011-02-02 20:41:42 | 社会
いつになっても「フランス革命」の興奮が忘れられず、何かというとすぐ街頭に繰り出す、といかに他の国々から揶揄されようと、フランス人はデモにより自らの意思表示を堂々と行います。顔を隠すこともなく、こそこそと陰で不満を述べるでもなく、堂々と。

そのため、繁華街を中心に、しばしばデモに遭遇することがあります。しかし、デモと言っても、横断幕を先頭に、主張を書いたパネルやバルーンを持ったり、仮装したり、時には歌ったりしながらの行進で、暴力沙汰に発展することは非常に稀です。

もちろん、デモ参加者が要求する事柄は、さまざまです。1月24日の『ル・モンド』(電子版)が伝えているのは、妊娠中絶に反対するデモ行進・・・

1月23日、警察発表で6,500人、主催者発表で4万人が参加して、妊娠中絶に反対するデモがパリで行われた。“grande marche nationale pour le respect de la vie”(生命の尊厳を訴える全国大行進)と銘打ったデモで、今回が7回目。前年は警察発表で3,100人、主催者発表で2万人。いずれの数字でも今年は参加者が倍増したことになる。

レピュブリック広場を出発したデモ行進の先頭には、“Unis pour défendre la vie”(生命を守るための大同団結)という横断幕が掲げられ、午後にはオペラ広場に到着した。親子で参加している家族も多く、子どもたちは赤と白のバルーンを持って歩いている。そのバルーンには、“En marche pour la vie”(生命を守るための行進)と書かれている。

参加者の中には、当然、カトリックの神父、プロテスタントの牧師も多く、フランス中から集まって来ている。妊娠中絶を合法化した法律(ヴェイユ法)の制定から今年で36年になるが、この法律を廃止することを目的として行われているデモで、列の中には外国からの参加者も混じっている。毎年、フランスでは、80万人の出生件数に対し、20万件の妊娠中絶が報告されている。

*ここで、各国の妊娠中絶の件数を。女性人口千人当たりの合法的中絶件数です(国により、2001年から2006年のデータ)。
  (左側:女性全体)(右側:20歳以下の女性)
ドイツ    :  6.2   6.7
イタリア   :  9.0   7.1
フィンランド :  9.1  14.1
日本     :  9.9   8.7
カナダ    : 11.8  15.6
イギリス   : 14.0  23.2
フランス   : 14.7  15.3
スウェーデン : 17.7  25.4
ロシア    : 40.3  28.9

*特に日本での中絶件数の推移を。
1955年=約117万件
1965年=約84万件
1980年=約60万件
2000年=約34万件
2008年=242,292件
日本では、1948年に衛生保護法、1996年に母体保護法が成立し、母体の健康を著しく害する恐れのある場合などで中絶が認められています。世代別では10代、40代に多く、既婚者に多いのが日本の特徴になっているそうです。

さて、再び、『ル・モンド』の記事に戻ると・・・

デモ行進に参加した団体は、「妊娠と同時に胎児に人間としての尊厳を認めること」、「妊娠出産に対する援助、生活苦を抱えた妊婦の受け入れ態勢の改善などを含む、生命と家族への支援策」を求めている。

デモを行う前に、ローマ法王・ベネディクト16世(Benoît XVI)から主催者側に支援のメッセージが届いた。真実と愛の果実である生命に対する新たな認識を確立しようと、たゆまぬ努力と勇気を持って真摯に取り組んでいるすべての人々を支援する、という内容のメッセージだ。8回目のデモが来年1月に行われることが、主催者から発表されている。

・・・ということなのですが、フランスにおける妊娠中絶。そこにも、歴史があります。
1556年 アンリ2世により、妊娠中絶と嬰児殺しが禁止される
1810年 刑法により、中絶を行ったものは死刑
1923年 中絶が重罪(le crime)から軽罪(le délit)へ
1975年 ヴェイユ法により、条件付きでの中絶が認められる
1979年 妊娠10週までの中絶が合法化
2001年 中絶可能期間が、妊娠12週目までに拡大

上記のヴェイユ法は、時のシモーヌ・ヴェーイユ(Simone Veil)保健相の尽力により成立した法律です。ヴェイユ女史は、アウシュヴィッツを生き延びたという人生経験を持っており、女性の保護、女性の権利拡張に積極的に取り組んできました。その金字塔のひとつが、妊娠中絶を認める法律の成立です。しかし、同じユダヤの民である、正統派ラビ協会からは、中絶の合法化とその推進は大量虐殺に匹敵すると批判を受けています。

現在でも妊娠中絶が非合法の国々は、東南アジア、中近東、アフリカ、中南米にまだ多くあります。その一方で、グレーなものも含めて年間20万件以上もの中絶が行われている国々もあります。母性の保護、女性の産む権利、闇中絶による死・・・女性と生まれてくる命のことを第一に考えるべきだと思うのですが、その両者の利害がぶつかり合ってしまう場合もある。そこに、伝統、価値観、宗教が重なってくると、収拾がつかなくなる。そうした状況で妊娠中絶を認める法律を成立させたヴェイユ女史の活躍は特筆すべきことだと思います。

死線を超える経験を持った人間の気力、執念は素晴らしい。ありきたりですが、そう思ってしまいます。せめて爪の垢を煎じて飲んでみたいものです。
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