釣れズレ愚さ

小説・アニメ・漫画のズレた馬鹿な感想など。タイトルの「釣れ」は、数々の作品に「釣られた」という意。

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コードギアスとナショナリズム??――社会批評とアニメ批評の間――

2010-03-18 20:04:51 | 雑文
さて、「コードギアスが若者の間にヒットしたところから、最近、若者の間でナショナリズムが流行している」というとんでも主張をしていた学者の先生がいた。いや、大分前のニュース記事でみたものだが。あえてリンクとか貼らない(だって元の文章にあたる価値がないから)。

理屈は簡単だ。①「日本」という国家に帰依する群衆が描写されている。そして、②コードギアスは、若者でヒットした。③それゆえ、これは、若者にナショナリズムが受け入れられている証拠だ。

何回か元の文章を読み直したが、こういう理屈でしかなかった。

さて、この文章のどこに問題があるのだろうか。まず、「日本」に帰依する群衆が描かれているということであるが、これだけではその通りである。確かに、「イレブン」と呼ばれ虐げられ、「日本人」の尊厳を取り戻そうとする描写は多々見られる。

しかし同時に、その負の側面も――きちんと否定的に――描写されている。たとえば、初期の話では、ルルーシュは、日本解放戦線の一部がブリタニアの民間人を殺したことを、正義のないことだとして切り捨てている。何よりも、主人公たるルルーシュが目指したのは、「日本」が世界征服することでもない。

②若者の間でヒットしたことも確かにそうだろう。第二期の視聴率は低かったものの、DVDの売り上げとかをみれば、ほかの作品に比べれば、ヒットした作品であることは明らかであろう。

ただ、問題は、ナショナリスティックな描写が若者に受けたのかということである。ネットで語られるのは、CC派か、カレン派か、シャーリー派かということであったり、ルルーシュとスザクをどういう関係として理解するのかとか、そういうことであったりする。つまり、受容の観点からみれば、ナショナリスティックな点がうけたかは、大いに疑問の余地がある。

つまり、コードギアスは、ナショナリズムとはほとんど関係ない。いやきちんと視聴者にアンケートとかしたわけではないので、本当はそのような視点で見られているかもしれない。しかし、先の記事の主張は、そのようなアンケートに基づいているわけではない。

ここから引き出される教訓は二つ。

①Aという主張が描写されているからといって、Aという主張に賛同することになるわけでは必ずしもない。反Aという主張も同時に描写されている可能性があるからである。

②仮にAという主張が肯定的に描かれているとしても、しかし、その主張に賛同する形で、視聴されているわけでは必ずしもない。一定のアンチを引き寄せているという現実もあるだろうし、視聴者は、全く別の視点で見ている可能性がある。

以上の点は、アニメ作品の批評を通じて、社会を批評しようとするとき、注意しなければいけない点である。暴力作品が多く流通しているからと言って、社会という現実の中で暴力が欲望されていることには必ずしもならない。

アニメ作品を語ることは、必ずしも社会を語ることにはならない。その間には大きな距離がある。
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