こんにちにゃ。
先日に引き続き、またまたS社長のご好意により
観劇のご相伴に預かり
野田秀樹作・演出「エッグ」を観に行って来ました。
出演者は、妻夫木聡、深津絵里、仲村トオルなど豪華な顔ぶれで
お客さんも、3階席(客席数:1,200超)まで大入り満員!
前回の観客が、9割9分女性ばかりだったのに対し
さすがに今回は、老若男女それ以外、幅広い客層で
演劇文化を支える層の厚さを感じました。
演劇マニアのS社長は
今回も「この演目を観るのは3回目」という
衝撃的な偏執ぶりをサラリと暴露した上で
「1回目で観た東京公演では、観客も業界関係者が多いせいか
客席の温度感は割と冷静な感じだったけど、
2回目の地方公演では、演劇好きの一般の人たちが主で
この公演を純粋に心待ちにしていた期待感にあふれていた。
その空気感のせいもあってか、役者さん達は
東京の時よりずっとノビノビと良い演技をしていた。
今回の舞台も、期待されたし。」
と、さすがリピーターならではの解説をしてくれました。
役者さんの実力を計るモノサシを持っていない
演劇ド素人の七吉どんにとっては
今回の北九州公演が、いかほどの好演だったのか
観終わった後も、結局よく分かりませんでしたが・・・。(^_^;)
観劇終了後は、小洒落たレストランになだれこみ
いつものようにガールズトーク炸裂飲み会。
先ほどのステージのホットな感想や
ここ数ヶ月のお互いの近況報告から
経済・教育・文化といった、でっかい分野まで広がり
話は尽きることなく
終電ギリギリまでしゃべり倒しました。
かろうじて間に合った終電の新幹線に乗り込み
おしゃべりと酔いの興奮さめやらぬ頭で
ついさっきまで過ごしていた楽しい時間を反芻しつつ
「なぜS社長とのおしゃべりはこんなにも盛り上がるだろう?」
とぼんやりと考えていたところ
ふと「抽象化」というキーワードがひらめきました。
「具象化」の反対、「抽象化」です。
例えば、「演劇」というキーワードを例に取ると
「演技」「台詞」「衣装」「舞台装置」という風に
細分化していくことができます。
演劇マニアのS社長であれば、それらの一つ一つについて
いくらでもウンチクを語ることはできるのでしょうが
ど素人の相手に対し、そんな野暮なことをしても仕方が無い。
そこで、逆に上の概念にのぼって
・「演劇」とは、「芸術」というジャンルの1つである。
(「芸術」には他にも文学・音楽・美術・などたくさんある)
↓
・「芸術」とは、「感動」を喚起する活動の1つである。
(「感動」を喚起する活動は、他にも
スポーツ・自然や子供との触れあい・恋愛・などたくさんある)
↓
・「感動」とは、「人間」の心の動きの1つである。
(「人間」の心の動きは、喜び・悲しみといった基本的感情から
閉塞感・倦怠感みたいなモヤモヤしたものまで、たくさんある)
というように、大きな次元まで広げていくと
「演劇は、その広い位置づけの中での一つでしかない」
と捉えることができます。
「演技」「台詞」「衣装」「舞台装置」といった
具象化されたテーマについておしゃべりしようにも
演劇を見慣れていない七吉どんには
的外れな意見しか口にできませんが
抽象化していくほど
自分が持っている知識や経験との共通項が出てくるので
テーマをうまく繋ぎ合わせながら
自分なりの意見を出すことができます。
S社長のように「抽象化」の能力が高い人とおしゃべりしてると
自分も「会話の引き出しがたくさんある面白い人」になったようで
非常に愉快、愉快!(^O^)
そう考えると逆に、サラリーマンの赤提灯なんかだと
「○○部長からこんなにひどいことを言われた。」
「俺なんか、△△専務からこんな仕打ちを受けた。」
と、各人が具体的なエピソードをたくさん持っているものだから
そういったネタに終始しがちです。
個人的経験・個人的意見を、互いに交換することで
いろんなことが分かったような気分になって
「だからウチの会社はダメなんだ。」
という安易な結論にならざるをえないのかもしれません。
今後もし自分が、したくもない愚痴話に巻き込まれたときには
「抽象化」を意識したレスポンスを返して、話をまぜっかえすよう
意識してみようと思いますだよ。
先日に引き続き、またまたS社長のご好意により
観劇のご相伴に預かり
野田秀樹作・演出「エッグ」を観に行って来ました。
出演者は、妻夫木聡、深津絵里、仲村トオルなど豪華な顔ぶれで
お客さんも、3階席(客席数:1,200超)まで大入り満員!
前回の観客が、9割9分女性ばかりだったのに対し
さすがに今回は、老若男女それ以外、幅広い客層で
演劇文化を支える層の厚さを感じました。
演劇マニアのS社長は
今回も「この演目を観るのは3回目」という
衝撃的な偏執ぶりをサラリと暴露した上で
「1回目で観た東京公演では、観客も業界関係者が多いせいか
客席の温度感は割と冷静な感じだったけど、
2回目の地方公演では、演劇好きの一般の人たちが主で
この公演を純粋に心待ちにしていた期待感にあふれていた。
その空気感のせいもあってか、役者さん達は
東京の時よりずっとノビノビと良い演技をしていた。
今回の舞台も、期待されたし。」
と、さすがリピーターならではの解説をしてくれました。
役者さんの実力を計るモノサシを持っていない
演劇ド素人の七吉どんにとっては
今回の北九州公演が、いかほどの好演だったのか
観終わった後も、結局よく分かりませんでしたが・・・。(^_^;)
観劇終了後は、小洒落たレストランになだれこみ
いつものようにガールズトーク炸裂飲み会。
先ほどのステージのホットな感想や
ここ数ヶ月のお互いの近況報告から
経済・教育・文化といった、でっかい分野まで広がり
話は尽きることなく
終電ギリギリまでしゃべり倒しました。
かろうじて間に合った終電の新幹線に乗り込み
おしゃべりと酔いの興奮さめやらぬ頭で
ついさっきまで過ごしていた楽しい時間を反芻しつつ
「なぜS社長とのおしゃべりはこんなにも盛り上がるだろう?」
とぼんやりと考えていたところ
ふと「抽象化」というキーワードがひらめきました。
「具象化」の反対、「抽象化」です。
例えば、「演劇」というキーワードを例に取ると
「演技」「台詞」「衣装」「舞台装置」という風に
細分化していくことができます。
演劇マニアのS社長であれば、それらの一つ一つについて
いくらでもウンチクを語ることはできるのでしょうが
ど素人の相手に対し、そんな野暮なことをしても仕方が無い。
そこで、逆に上の概念にのぼって
・「演劇」とは、「芸術」というジャンルの1つである。
(「芸術」には他にも文学・音楽・美術・などたくさんある)
↓
・「芸術」とは、「感動」を喚起する活動の1つである。
(「感動」を喚起する活動は、他にも
スポーツ・自然や子供との触れあい・恋愛・などたくさんある)
↓
・「感動」とは、「人間」の心の動きの1つである。
(「人間」の心の動きは、喜び・悲しみといった基本的感情から
閉塞感・倦怠感みたいなモヤモヤしたものまで、たくさんある)
というように、大きな次元まで広げていくと
「演劇は、その広い位置づけの中での一つでしかない」
と捉えることができます。
「演技」「台詞」「衣装」「舞台装置」といった
具象化されたテーマについておしゃべりしようにも
演劇を見慣れていない七吉どんには
的外れな意見しか口にできませんが
抽象化していくほど
自分が持っている知識や経験との共通項が出てくるので
テーマをうまく繋ぎ合わせながら
自分なりの意見を出すことができます。
S社長のように「抽象化」の能力が高い人とおしゃべりしてると
自分も「会話の引き出しがたくさんある面白い人」になったようで
非常に愉快、愉快!(^O^)
そう考えると逆に、サラリーマンの赤提灯なんかだと
「○○部長からこんなにひどいことを言われた。」
「俺なんか、△△専務からこんな仕打ちを受けた。」
と、各人が具体的なエピソードをたくさん持っているものだから
そういったネタに終始しがちです。
個人的経験・個人的意見を、互いに交換することで
いろんなことが分かったような気分になって
「だからウチの会社はダメなんだ。」
という安易な結論にならざるをえないのかもしれません。
今後もし自分が、したくもない愚痴話に巻き込まれたときには
「抽象化」を意識したレスポンスを返して、話をまぜっかえすよう
意識してみようと思いますだよ。
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