晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大栗峠考(35) 2/8

2012-02-08 | 山・峠

2012.2.8(水)曇

 謎解き形式で大栗峠を考えてきたが、もし多くの方が楽しみとして峠を巡る日がくるのなら、整理をして大栗峠七つの謎などとして公開してらどうだろう。色々推理をしながら峠を訪ねるのはとても楽しいことだろう。
 わたしの提起した謎は実はどうでも良いようなものもあるし、重要なものもある。どうしても謎解きをしなければというものもあるし、放って置いてもいいかというものもある。
 最後に粟野道の謎を提起したい。
 まず、弓削道が車馬に対応した広い道であれば粟野道も当然その広さが必要である。敢えて言えば上粟野から先もそれなりの広さが必要なわけである。大栗峠を越える人たちは上粟野が目的地ではなかっただろうからだ。上粟野から先もどこを通ったんだろうと疑問は膨らむばかりなのだが、とりあえずは上粟野までの旧道を確定したいものだ。Img_3357

シデから長老が岳方面を望む。里村紹巴が大栗峠を越えていたら、あまたの坂はこの山並みとなる。



 少なくとも上粟野の地蔵小屋から尾根に上がるまでは不確定な道である。林道が出来たことと、山の家をつなぐハイキング道が整備されたことがかつての街道を破壊しているのではないだろうか。P1000374
 
明治26年の地形図ではこの谷の右側、尾根の末端から取り付いている。


 今ひとつは大栗峠の東の尾根を上粟野の集落に直接下る尾根である。731mのピークの西のわたしたちがシデの山と呼んでいるピークからも下れるようだが、かなりはっきりした尾根道らしい。国土地理院の地形図には大栗峠の道は記されていないがこちらは途中まではっきり記されている。初めて大栗峠を訪れたとき(2011.6.24)峠から南東に下る道があったように思うのだが、その道が例の尾根道につながるものか試してみたいと思う。またこの尾根道が如何なるものか、古道の遺跡など無いものか歩いてみたい気がするのだが、明治の地図には道はなく、単なる作業道かもしれない。
 そして最後に峠下のお地蔵さんの謎である。「北山の峠」にはかつて六地蔵があったのにその後他の五体はどこにいってしまたのだろうとある。盗難にあったとしたら一体だけ残すのは変な気もするし、先日の情報交換の席でも誰も記憶には無かったようである。P1000380
 
あとの五体はいずこに。


 現在は峠のお地蔵さんも雪に覆われていることだろう。雪が解けて温かくなったら謎解きの山行に出かけよう。大栗峠考も一旦筆を置いて、新たな展開があったときに再度続きを書くことにしたい。

今日のじょん:まだ少し屋根の雪が落ちたみたいだけど、やっぱりゴミがほりだされている。ほんの少しなんだけど。P1000995 P1000996  

 

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