みる きく よむ

読んだ本などを忘れないように書き留めるメモ。

村上春樹『海辺のカフカ』

2008年12月10日 17時31分30秒 | 文芸書


数年ぶりに読み返した。
まだちゃんと整理できないけど、思いついたことをざっと書く。

ベースは『オイディプスの悲劇』。

本作品以前は、「井戸掘り」、つまり、自らの深奥に入り込み損なわれた自己を取り戻すこと、井戸を出て、失われた関係性を取り戻すことが主題だった。しかも、それは、他者と自分との関係性だった。

それが突如、父親、母親ときたから驚きだ。だって、これまで、それは無いものとして村上の物語は進んで来たのだから。

村上の小説世界またはエッセイを含む言説に、妻や恋人は、頻繁にと言っていい程登場するが、家族は全くと言っていい程、存在しない。

勘違いでなければ、この小説は集大成というよりは寧ろ、「もうコレ書くしかないよね。」という、ある種の決意のように感じる。

もう随分語られていると思うけど、エヴァと重なる。

少年カフカ=シンジくん
田村浩一(父)=ゲンドウ
さくらさん=綾波レイ
エヴァに乗る=佐伯さんと交わる

『誰も僕を必要としていないんだ』と、父も母もいない、思春期の少年が思う。
その設定だけで、もうエヴァ。でも、カフカは知的で格好良くて、母(佐伯さん)も、父への思念(ナカタさん)も死んで、最終的に四国を出る。

「アメリカ陸軍報告書」形式の章も、お洒落ですね。「付帯資料請求番号は…」とかそういうの、格好いいよね。
素朴さ。カワムラさんとのディスコミュニケーション
思春期の切羽詰まった感、

血 少年ナカタが目を覚ました時。ナカタさんと暴力。



2009/7/18

本日、再び読み返した。
この本のモチーフは『オイディプスの悲劇』なわけだが、
この物語自体も、もはや神話だなぁと思う。
「入り口の石」とか、何か神話っぽいもんね。
あと、「何が何の象徴である」っていうより、
物語自体が原型というか。解釈を許さないというか。
感じれば分かるって思った。

『1Q84』が発売され、二つの物語が同時進行し近付いてゆく、
という形態がまた繰り返されたけれど、
村上春樹はどうしてこの物語の進め方を選んだのだろう。
書いたらそうなったって感じなのかな。

父親の悪しき魂はホシノくんが滅してくれたし、
たくさんの痛みを経て、母親を赦すことも出来た、カフカ君。
でも多分、『海辺のカフカ』はずっとカフカ君の部屋に飾られるだろう。
逃れることなんて出来ないんだろうな。

だから、「世界一タフな15歳にならなければいけない」んだろう。どこへ行こうとも。
でも、物語冒頭と最後では、この言葉の意味は違ってくる。
本当にタフになるために、乗り越える対象を探し当てたって感じなんだろう。この結末は。

中島美嘉『ORION』

2008年12月01日 19時30分35秒 | 音楽
このヒット曲が、頭から離れない。

まあ、凡庸な曲だけれど、頭から離れないのは、きっと、
「泣いたのは 僕だった」という歌い出しのフレーズが、
傑出しているから。

この一言から、色々なシーンを想い描くことができる。
泣いたのは、君じゃなくて僕だった。
泣くのは、君だと思っていたのに。
もしくは、全然、涙を流すようなシーンじゃなかったのに。
時間が止まったようで、君と僕しかいないような夜、
コートの袖が雫をはじいて、気付いたら、
泣いたのは 僕だった。

みたいな。
その言葉の前後の物語が、広がりを持つが、
その後の歌詞世界で、それを説明するわけでは無い。
そんな、膨らむ言葉が、凡庸さの中に豊かさを産んで、
頭から離れない。

この曲の作詞作曲は、百田留衣という人。
最近、ヒット曲を色々作っているみたい。
こういう、「陰のヒットメーカー」みたいな人って、
結構存在し、結構稼いではるんやろうな。

この曲に関連して…
日本のヒットチャートには、「星月夜」というモチーフが繰り返し登場する。
スガシカオの『夜空ノムコウ』、絢香の『三日月』、BUMP OF CHECKEN の『天体観測』等々。
起源(?)は、坂本九の『上を向いて歩こう』かな。
そういうのって、日本だけなのかなあ。

洋楽って聴かないし、外国人の心理も分からないけれど、
夜空の星や月を見上げながら、色々に想いを馳せること、
それに共感する人、同じモチーフが繰り返され、連綿と続くこと。
そういう感性って、凄く日本的と思う。

とか何とか言いつつも、振り出しに戻ると、『流星の絆』が面白いです。
クドカン凄いなあ。二宮君、格好いいなあ。戸田恵梨香、超可愛いなあ。