みなさまがとにかくとにかくご無事であることを祈ります。
昨日金曜日の午後、珍しく、
九段下にあるビル10FのオフィスでPCとにらめっこをしていました。
そして、「地震?!」と揺れを感じた瞬間、
免震構造のビルは、ぐらんぐらん揺れ始めました。
酔っ払うほどの大きな横揺れ。
誰よりも早く、机の下にもぐりました。
程なく、オフィスのキャビネ本棚ががちゃんと
派手な音を立てて倒れました。
これは、ちょっと、尋常じゃない!!
それからは、もうずーっと揺れているような時間帯が
体感的には長い時間続き、当たり前ですが、
仕事している場合じゃなくなってきました。
会社のリスクマネジメント担当のジャッジにより、
全員、ビルの外に非難することが決定。
荷物を抱えて、最寄の緊急避難場所である
靖国神社にみんなで向かいました。
何人いたしょう。
そのあたりの会社に勤める人々が全員集合したような
初詣以上のひとひとひと。
オフィス全員が非難したことを確認して、
また、指示がありました。
今日はここで解散です。
「家に帰ってください!」
すでにJR、地下鉄はすべてSTOP。
えー、本当にそんな選択?!?!
「無事についてたら、社員全員のメーリングリストに
メールをしてください!では、解散です!!」
とりあえず、渋谷、目黒方面組みで
8人のチームを組みました。
「よし、とりあえず、タクシー捕まるまで歩き出そう!」
それしか選択肢がないですからね。
全員で歩き出しました。
そのうちにタクシーつかまるだろうと思っていましたが、
さっぱりそんな気配はなく、あきらめました。
そして、決めました、家まで歩くことを。
ただ、こんな日に限って、久しぶりに履いたパンプス。
しかも7cmのハイヒール・・・泣
携帯電話はさっぱり機能せず、電話もメールも使えません。
途中、ワンセグでTVからの情報を確認しつつ、
ひたすら進みました。
『九段会館で1名死亡』
?!。
すぐそこで起きたことに動揺する暇もなく、
刻々と被害情報が入ってきます。
1時間ほど歩いて、青山一丁目交差点。
ここは渋谷組と、目黒組の分岐点です。
「無事に到着しますように!」
お互いのこれからの無事を祈りつつ、
渋谷組の5人と別れました。
広尾のO君、目黒のN君、そして私。
2人の陽気な後輩と一緒に、再度歩き出しました。
「ダイヤモンドさん、そういえば、近所なのに
一緒に飲みに行ったことないですね。
今度、目黒で飲みましょうよ♪」
いつも場違いな発言の多いN君ですが、
この時もその力を存分に発揮です。
ただ、このときばかりは、こう思いました。
「なんて、素晴らしい人だろう!!」
そう、いつだってN君はポジティブ。
「いつだって」、は本当に「いつだって」で、
これまでに感じたことのない、
ひどい地震が起きた時だって、でした。
おかげで、全く悲観的にならずに
3人で珍道中を楽しみながら歩くことができました。
すべらない話を3周して、西麻布の交差点。
彼女が出来たばかりのO君のオノロケ話を
聞いて、広尾に到着。
そこで、O君と別れて、N君と目黒に向かいます。
ピコピコピコ。
全然繋がらなかった私の携帯が鳴り出しました。
「ダイヤモンド様の携帯電話でしょうか??」
登録のない、電話番号。
「ご予約をいただいていたネイルサロンの●●です」
!!。
なんというサービスマインド。
きっと顧客に電話をかけまくっているのでしょう。
両親、妹、弟、大切な友人達、クライアント・・・
だれにも電話が繋がらないってのに、
よりによって初めに繋がったのが
ネイルサロンとは、驚きです。
顧客マインドに感動しました。
こんな時ですが、ロイヤリティはぐんとUP。
ずっとここに通おうと、心に誓った瞬間です。
そんな電話を切ると、今度はN君のお父様からの
電話が繋がったようです。
どうやら、N君のお父様の会社は、
全員会社待機という決定がなされたとのこと。
TV報道の枝野さんはこの時、
「無理に帰宅しないように」と呼びかけていました。
なので、正当な判断です。
「私達、無理な行動してるね」
「ダイヤモンドさん、無理してナンボっすよ。
無理するから成長するんすよ!」
訳の分からないことを言うN君に、
またもポジティブに生きるパワーをもらい、
首都高目黒線の側道を歩き続けました。
確かに、普段、車や電車でした通ったことのないところを
歩くってのは、なかなかエキサイティングで新しい発見ばかり。
目黒付近に近づき、今度飲みに行くお店を
たくさんチェックしました。
あっという間に目黒に到着。
ここまでで、靖国神社から歩き始めて3時間。
目黒の駅前で、N君とお別れしました。
楽しい時間をありがとう!
意識がなかったので気がつきませんでしたが、
さすがにパンプスでの3時間歩行は、足を疲弊させていたらしく
どっと足に疲れががやってきました。
「ダイヤモンドさん!!」
別れたはずのN君が、走ってやってきました。
「何々?どうしたの??」
「あのバスって、ダイヤモンドさんちの結構近くまで
行くんじゃないっすか?」
『大岡山小学校前行』とあります。
バス路線は全く分かりませんが、
大岡山駅まで徒歩8分の我が家ですから、
確かに近くまで行きそうです。
「よく分からないけど、確かに行きそうだね!
サンキュー、ありがとう!!」
ただ、ものすごい混み様です。
「歩いちゃったほうが早そうじゃない?」
「何言ってるんすか?まだ結構ありますよ。
絶対ちょっとでも乗れたほうがいいっすよ」
ここまで、完璧な状態で目黒まで連れてきてくれた
後輩の言葉を信じよう。
と言うわけで、満員バスにこじ乗りました。
「では、お気をつけて!」
あらためて距離を確認すると、
確かに暗い中、一人で歩くには長い距離でした。
やっぱりNくんの言うことを聞いてよかったと
バスの中でもう一度、N君に感謝するのでした。
道路は渋滞でのろのろ運転ではありましたが、
それでも自宅から600Mのところまで
連れて行ってくれることがわかり、安堵で満たされました。
環7も、これまでで見たことがないぐらいの歩く人の群れ。
すれ違う人がどこまで歩いていくのか分かりませんでしたが
あと数分で到着するのが申し訳ない気分になりました。
靖国から約4時間かけて自宅到着。
アレだけオフィスが乱れたんだから、
きっとすごいことになっているんだろうなと、
覚悟しながら鍵を開けました。
自慢のミニチュアディスプレイは、
全く地震対策はしていませんし、
グラスホルダーから吊るされた
ワイングラスもノーケアですから・・・
到着した時、玄関から見た図。
この白い棚が倒れていないだけでも、良しとしよう。
壁から30センチほど前に動いていました。
ただ、靴を脱いでお部屋に入ると、、、キャー!!
食器棚。
ここから、ちょっと動揺してしまい、
写真に残すのを忘れてしまいました。
悲しくもワイングラス、シャンパングラス、花瓶、
CD数枚、ワインボトル・・・ダメでした。
しょぼん。。。
いやいや、さっきN君が言ってたっけ。
「生きているだけで素晴らしい!!」
TVをつけると、ん?、つきません。
音は出るんですけどね。
配線を確認すると、いろいろ外れていたのでした。
結構な外れ具合いで、復旧するまで
30分も掛かってしまいました。
その頃です、色々な人と通信が少しずつ
出来るようになりました。
ようやく家族とも話せました。
これほど肩の力が抜けたことはありません。
そしてこの時、結構気が張っていた自分に
改めて気がつきました。
だって、『群馬県館林市で一人死亡』なんていう
ニュースが流れたばかりでしたから。
甥っ子、姪っ子の声も聞き、すっかり安心して、
生きている自分に感謝!と一人でとりあえず乾杯。
その後のことは、覚えていません。
きっと思いのほか疲れていたみたいで、
そのまま眠りにつき、気がついたら朝6時でした。
眠気まなこで携帯を確認すると、
たくさんの方から安否確認の連絡が。
地震が起きた瞬間に、オフィスから仙台にいる大切な友人の
一人に電話をしたら、「生きてるよ!」とだけ聞こえて
突然切れてしまったM。
メールが来ていました。
電話の後、すぐに逃げて生きていたようです。
あー、よかった。
被災地以外に住む私達が今出来ることは、節電。
PCだって、電気を使っているわけですから、
無駄にできません。
ブログもいつも以上に一気に書きました。誤字脱字お許しを!
それから、暖房を切りました。
普段、暖房をガンガンかけてTシャツでいることの多い私ですが
過去の自分が恥ずかしい。
ヒートテック持ってて良かった。
ヒートテックinセーター、家の中で初めて。
それから、正確な情報を発信。
正確じゃない情報は発信するのは止めましょう。
それから、寄付。
とにかく支援するために考えて、行動するのみだ。
明日、朝一で献血に行こうと思います。
とにかく、一人でも多くの命が救われることを祈ります。
昨日金曜日の午後、珍しく、
九段下にあるビル10FのオフィスでPCとにらめっこをしていました。
そして、「地震?!」と揺れを感じた瞬間、
免震構造のビルは、ぐらんぐらん揺れ始めました。
酔っ払うほどの大きな横揺れ。
誰よりも早く、机の下にもぐりました。
程なく、オフィスのキャビネ本棚ががちゃんと
派手な音を立てて倒れました。
これは、ちょっと、尋常じゃない!!
それからは、もうずーっと揺れているような時間帯が
体感的には長い時間続き、当たり前ですが、
仕事している場合じゃなくなってきました。
会社のリスクマネジメント担当のジャッジにより、
全員、ビルの外に非難することが決定。
荷物を抱えて、最寄の緊急避難場所である
靖国神社にみんなで向かいました。
何人いたしょう。
そのあたりの会社に勤める人々が全員集合したような
初詣以上のひとひとひと。
オフィス全員が非難したことを確認して、
また、指示がありました。
今日はここで解散です。
「家に帰ってください!」
すでにJR、地下鉄はすべてSTOP。
えー、本当にそんな選択?!?!
「無事についてたら、社員全員のメーリングリストに
メールをしてください!では、解散です!!」
とりあえず、渋谷、目黒方面組みで
8人のチームを組みました。
「よし、とりあえず、タクシー捕まるまで歩き出そう!」
それしか選択肢がないですからね。
全員で歩き出しました。
そのうちにタクシーつかまるだろうと思っていましたが、
さっぱりそんな気配はなく、あきらめました。
そして、決めました、家まで歩くことを。
ただ、こんな日に限って、久しぶりに履いたパンプス。
しかも7cmのハイヒール・・・泣
携帯電話はさっぱり機能せず、電話もメールも使えません。
途中、ワンセグでTVからの情報を確認しつつ、
ひたすら進みました。
『九段会館で1名死亡』
?!。
すぐそこで起きたことに動揺する暇もなく、
刻々と被害情報が入ってきます。
1時間ほど歩いて、青山一丁目交差点。
ここは渋谷組と、目黒組の分岐点です。
「無事に到着しますように!」
お互いのこれからの無事を祈りつつ、
渋谷組の5人と別れました。
広尾のO君、目黒のN君、そして私。
2人の陽気な後輩と一緒に、再度歩き出しました。
「ダイヤモンドさん、そういえば、近所なのに
一緒に飲みに行ったことないですね。
今度、目黒で飲みましょうよ♪」
いつも場違いな発言の多いN君ですが、
この時もその力を存分に発揮です。
ただ、このときばかりは、こう思いました。
「なんて、素晴らしい人だろう!!」
そう、いつだってN君はポジティブ。
「いつだって」、は本当に「いつだって」で、
これまでに感じたことのない、
ひどい地震が起きた時だって、でした。
おかげで、全く悲観的にならずに
3人で珍道中を楽しみながら歩くことができました。
すべらない話を3周して、西麻布の交差点。
彼女が出来たばかりのO君のオノロケ話を
聞いて、広尾に到着。
そこで、O君と別れて、N君と目黒に向かいます。
ピコピコピコ。
全然繋がらなかった私の携帯が鳴り出しました。
「ダイヤモンド様の携帯電話でしょうか??」
登録のない、電話番号。
「ご予約をいただいていたネイルサロンの●●です」
!!。
なんというサービスマインド。
きっと顧客に電話をかけまくっているのでしょう。
両親、妹、弟、大切な友人達、クライアント・・・
だれにも電話が繋がらないってのに、
よりによって初めに繋がったのが
ネイルサロンとは、驚きです。
顧客マインドに感動しました。
こんな時ですが、ロイヤリティはぐんとUP。
ずっとここに通おうと、心に誓った瞬間です。
そんな電話を切ると、今度はN君のお父様からの
電話が繋がったようです。
どうやら、N君のお父様の会社は、
全員会社待機という決定がなされたとのこと。
TV報道の枝野さんはこの時、
「無理に帰宅しないように」と呼びかけていました。
なので、正当な判断です。
「私達、無理な行動してるね」
「ダイヤモンドさん、無理してナンボっすよ。
無理するから成長するんすよ!」
訳の分からないことを言うN君に、
またもポジティブに生きるパワーをもらい、
首都高目黒線の側道を歩き続けました。
確かに、普段、車や電車でした通ったことのないところを
歩くってのは、なかなかエキサイティングで新しい発見ばかり。
目黒付近に近づき、今度飲みに行くお店を
たくさんチェックしました。
あっという間に目黒に到着。
ここまでで、靖国神社から歩き始めて3時間。
目黒の駅前で、N君とお別れしました。
楽しい時間をありがとう!
意識がなかったので気がつきませんでしたが、
さすがにパンプスでの3時間歩行は、足を疲弊させていたらしく
どっと足に疲れががやってきました。
「ダイヤモンドさん!!」
別れたはずのN君が、走ってやってきました。
「何々?どうしたの??」
「あのバスって、ダイヤモンドさんちの結構近くまで
行くんじゃないっすか?」
『大岡山小学校前行』とあります。
バス路線は全く分かりませんが、
大岡山駅まで徒歩8分の我が家ですから、
確かに近くまで行きそうです。
「よく分からないけど、確かに行きそうだね!
サンキュー、ありがとう!!」
ただ、ものすごい混み様です。
「歩いちゃったほうが早そうじゃない?」
「何言ってるんすか?まだ結構ありますよ。
絶対ちょっとでも乗れたほうがいいっすよ」
ここまで、完璧な状態で目黒まで連れてきてくれた
後輩の言葉を信じよう。
と言うわけで、満員バスにこじ乗りました。
「では、お気をつけて!」
あらためて距離を確認すると、
確かに暗い中、一人で歩くには長い距離でした。
やっぱりNくんの言うことを聞いてよかったと
バスの中でもう一度、N君に感謝するのでした。
道路は渋滞でのろのろ運転ではありましたが、
それでも自宅から600Mのところまで
連れて行ってくれることがわかり、安堵で満たされました。
環7も、これまでで見たことがないぐらいの歩く人の群れ。
すれ違う人がどこまで歩いていくのか分かりませんでしたが
あと数分で到着するのが申し訳ない気分になりました。
靖国から約4時間かけて自宅到着。
アレだけオフィスが乱れたんだから、
きっとすごいことになっているんだろうなと、
覚悟しながら鍵を開けました。
自慢のミニチュアディスプレイは、
全く地震対策はしていませんし、
グラスホルダーから吊るされた
ワイングラスもノーケアですから・・・
到着した時、玄関から見た図。
この白い棚が倒れていないだけでも、良しとしよう。
壁から30センチほど前に動いていました。
ただ、靴を脱いでお部屋に入ると、、、キャー!!
食器棚。
ここから、ちょっと動揺してしまい、
写真に残すのを忘れてしまいました。
悲しくもワイングラス、シャンパングラス、花瓶、
CD数枚、ワインボトル・・・ダメでした。
しょぼん。。。
いやいや、さっきN君が言ってたっけ。
「生きているだけで素晴らしい!!」
TVをつけると、ん?、つきません。
音は出るんですけどね。
配線を確認すると、いろいろ外れていたのでした。
結構な外れ具合いで、復旧するまで
30分も掛かってしまいました。
その頃です、色々な人と通信が少しずつ
出来るようになりました。
ようやく家族とも話せました。
これほど肩の力が抜けたことはありません。
そしてこの時、結構気が張っていた自分に
改めて気がつきました。
だって、『群馬県館林市で一人死亡』なんていう
ニュースが流れたばかりでしたから。
甥っ子、姪っ子の声も聞き、すっかり安心して、
生きている自分に感謝!と一人でとりあえず乾杯。
その後のことは、覚えていません。
きっと思いのほか疲れていたみたいで、
そのまま眠りにつき、気がついたら朝6時でした。
眠気まなこで携帯を確認すると、
たくさんの方から安否確認の連絡が。
地震が起きた瞬間に、オフィスから仙台にいる大切な友人の
一人に電話をしたら、「生きてるよ!」とだけ聞こえて
突然切れてしまったM。
メールが来ていました。
電話の後、すぐに逃げて生きていたようです。
あー、よかった。
被災地以外に住む私達が今出来ることは、節電。
PCだって、電気を使っているわけですから、
無駄にできません。
ブログもいつも以上に一気に書きました。誤字脱字お許しを!
それから、暖房を切りました。
普段、暖房をガンガンかけてTシャツでいることの多い私ですが
過去の自分が恥ずかしい。
ヒートテック持ってて良かった。
ヒートテックinセーター、家の中で初めて。
それから、正確な情報を発信。
正確じゃない情報は発信するのは止めましょう。
それから、寄付。
とにかく支援するために考えて、行動するのみだ。
明日、朝一で献血に行こうと思います。
とにかく、一人でも多くの命が救われることを祈ります。
あのまま働いてたら仕事で石巻とか気仙沼に通ってたはず。
できることから、していきます。
余震気を付けてね。
こんな出来事でしかもブログで再会とはちょっと複雑だけど、
すえっちも無事だったってことで、嬉しい。
連絡ありがとう~(泣)
って今、どこ?さっぽろ?
ホントだね、陸前高田とか利府とか、もう気が気じゃない。
大学ゼミの同期、全員とは連絡つかない。
お世話になった教授にも連絡してるけどレスなし。
とにもかくにも一人でも多く助かって欲しい。
あの大混乱の中、4時間もかけて家に帰ったんだね。
ニュースでは、目を疑う光景ばかり。
今日は胸が苦しい一日でした。
被災した地域は、思い出の場所だものね。きっと心配でしょう・・・。
一人でも多くの命が助かりますように・・・。
私も何かできることをやってみるよ。
幸か不幸か一人身だから身軽だけど(苦笑)
精神的には、なかなか不安なもの。
私がそう思うのだから、独り身の年配の方などは辛いよね。きっと・・・。
そうそう、遠くからでも出来ることはたくさんある。
協力しよう!行動しよう!!
うちのかあちゃん一人でさいたまに居るからちと不安なのさ。金曜も帰宅難民になったみたい。
札幌も被害あったみたいだから、なにせスエが無事でよかったよ。
それにしても、10年前のまさに今の時期にウインドしてた野蒜海岸が、あんな状態ってショックすぎる・・・。
確か、バリバリのキャリアウーマンなお母さんだけど、お一人で不安だろうから、うざいぐらい励ましてあげてね。
どんなことでもできることを見つけて実行しよう!