ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

将棋文化検定想定問題(戦後編)

2012-10-14 12:20:18 | 将棋文化検定
 戦後は案外ネタがないですねえ。あまりに有名でみんなが知ってる話か、ある人の全盛期は強すぎてネタがないかで。
 やむなくいろいろネット上で探していると、久々に将棋パイナップルに出会いました。いやあ、ここの話は大変面白いのですが、やはり問題になりづらいことばかりで…。それにしてもmtmtさんはお元気でしょうか?これだけの資料になることを作成された業績は大に思います。その意味ではこの検定って、皮肉にもmtmtさんのための検定であることに気付きました。もちろんひげめがねはお会いしたこともお話したこともないですし、あの一件以後のことも存じ上げませんが、将棋界の発展に更に寄与できる環境ができることを心より祈念しております。

 では問題。いつも良問ばかり出題できるとは思っていませんが、今回のは特に良問ではありません…。

Q19. 第二次世界大戦後に発足した日本将棋連盟の初代会長の姓名を記せ。

Q20. 1948年3月、第7期名人戦挑戦者決定三番勝負の第3局が行われた場所はどこか?
ア 伊勢神宮  イ 高野山  ウ 陣屋

Q21. 戦後初めて三冠王になった棋士の姓名を記せ。

では前回の答え。
Q16.1935年、ある棋士の昇段をめぐり将棋連盟が分裂した。その棋士の姓名を記せ。
神田辰之助。神田事件は2級ではマストでしょうか?この辺の話は複数出題の可能性もあるので、次問に続く。

Q17.1936年に組織が再統一してできた会の名はどれか。
ア 十一日会  イ 将棋大成会  ウ 日本将棋連盟
答えはイ。将棋連盟の歴史的変遷は覚えますか。下記のとおりです。

1924東京将棋連盟
1927日本将棋連盟
1935「将棋連盟」「革新協会」(神田事件により分裂)
1936将棋大成会
1947日本将棋連盟

Q18.雑誌「将棋世界」の初代編集長の姓名を記せ。
金子金五郎。これは超難問。花田、金子は神田事件の絡みもあるので出題してみた次第。

 ちなみに神田事件をひも解けば、その当時の代表的棋士がすべて出てくる。神田事件で分裂した際、花田長太郎も金子も神田側についてしまったが、当時の花田も金子も将棋が強くスターだったので、連盟側とすれば役者不足に陥ってしまった。しかも、2人とも関根金次郎一門(花田が弟子、金子が孫弟子)なので、時の名人関根は中立を装っていたが実のところ多いに困惑した。そこで、かつて兄弟子で当時は実業家になっていた小菅剣之助に頼んで、この事態を終息してもらった。ちなみに仲裁に行くときに帯同したのが木村義雄(のちの十四世名人)。小菅はこの功績によって名誉名人の称号を与えられた。統一後、唯一将棋大成会に所属しなかった有力棋士は阪田三吉のみである。これをみると、現在につながる棋士像は、神田事件によって色づけられたと思わされる。
 後年、第3期名人戦(1942年)で「神田君、時間だよ」事件が発生し、翌年に神田は帰らぬ人に。勝負師にとってはより過酷な時代であったのですねえ。そして、だからこそその時代強かった木村義雄は真の意味での「大名人」になりえたのでしょう。


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