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痛みを忘れる頃

飯を食いながらパソコンを開く人は多分いないと思うので書くのだが(万が一食べていたら読むんじゃないですよー)婆さんにトイレに大事なものを落としたから拾えと言われる。取り敢えず足が置けるようにとアイロン台が肥溜め槽の中に渡してあるのだが、そこに短パン1枚で入れと言うのだ。嫌だと言いつつもなぜか台の上に乗ってしまった。なんで今頃、汲み取り式トイレ・・しかも肥溜めの中に入らなければならないのかと悩みながら・・・そこで、目が覚めた。

清々しい日曜の朝から何でこんな夢を見んといかんのだ。頭にきて『つまらん用を頼むな』と家に電話する。そんなもん、文句を言われても知るかという婆さんに『いっつも嫌な事は俺に押し付けて逃げただろ。そのトラウマが夢になったに違いない』と非難を浴びせたが・・ま、はっきり言って、八つ当たりですな。

夢の原因はともかく、トイレに潜った訳は想像が付く。先日DVDで見た『シンドラーのリスト』のせいだ。とにかく凄まじい作品だった。ポーランドで段々と自由を奪われてきたユダヤ人達に追い打ちが下る。労働許可証を持っていない者はすべて収容所に入れられたのだ。

そこで彼等は囚人以下の生活を強いられ、看守の機嫌で生死が決まる。看守だけでは無い。丘の上にある官舎のベランダから、所長は捕囚に向かい、面白半分にライフルの引き金を引く。ここでは死が日常なのだ。そしてある日、この中で役に立たない人達をアウシュビッツに送るため、収容所の中で人間狩りが行われる。

逃げ遅れた子供があちこち隠れようとするが、総て先客がいる。意を決し、彼はトイレの汚水槽に飛び込むが、そこにも数人の子供が隠れていた。このシーンが脳裏に焼き付いていたのだと思う。

人間が人間に対しなんでこんなことが出来るのか、つくづくそう思った。ナチだけのせいでは無い。数に多少の食い違いはあるが、南京で日本軍が民間人相手に行ったジェノサイドは間違いの無い事実だ。人間が狂気に支配された時、考えられない事をしでかす。

やりきれないのは、こんな惨劇を生き抜いてきた人達が、他民族になぜ同じことが出来るのだろうということだ。映画の中ではゲットー(ユダヤ人居住区)の中にある日突然壁が作られる。この壁を見た時、ぼーずはパレスチナの大地に打ち込まれたコンクリートパイルを思い出してしまった。
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