Dancing on the B-Road

サッカー中心だけどスポーツ全般。クルマやバイクも。好奇心の向くがままにツレヅレに、を目標にしております。

年の瀬に。

2007-12-31 18:18:44 | 日々雑記
ここ数年は,年の瀬という意識が薄かったように思います。

 元日が締めくくりの日,という感じだったからでしょうか。
 サッカー・バカとしては,2日に元日気分が味わえるというのも,コレはコレで良いものなのですな。
 でも幸か不幸か,今年はカレンダー通りに年の瀬だな,と思います。

 ご先祖さまへのあいさつをすませ,掃除をしつつ。
 だからと言って,ドタバタなのに違いはないんですけどねェ。

 やっと一段落しましたので,ちょっと店主としてあいさつを。

 サッカーばっかり扱っているかと思えば,そうでもなく。
 クルマ関連で語り倒すかと思えば,単純に呑助の習性をただ書いてみたり。
 物欲大将であることもバラしておりますし。
いささか多方面に思考が広がっている(広がりすぎている)ことを露呈しているようなブログでございますが,お付き合いいただきまして,感謝であります。

 また変わらぬごひいきをお願いして,今年最後のエントリとしたいと思います。

霞ヶ丘のリアリズム(天皇杯・準決勝)。

2007-12-30 21:07:10 | 観戦記
この時期,競技場に足を運ぶと。


 ときに,こんな呪詛の言葉が口を突きます。


 「この風,どうにかしろよ!」


 季節風にさらされる,というわけです。国立霞ヶ丘ですと,JR線方向から青年館方向へと吹き抜けていきます。この風が,スタンドに吹き降りてきたりするものだから,ビックリするくらい体感温度が下がってしまうのです。


 ですが,準決勝の国立霞ヶ丘は,意外なほどに快適でした。今回は,鹿島と川崎とで戦われた,天皇杯準決勝について書いていこう,と思います。


 虚心坦懐に見なければならないのがナンですが,夕刻から友人と約束をしていたので,せっかく都内に足を運ぶならば,と千駄ヶ谷へ足を運んでみたわけです。


 さて。端的に感じたことを書くならば,鹿島の戦いぶりは徹底していたな,と思います。確か,FCWCで優勝したACミラン,その指揮官であるアンチェロッティさんは浦和戦の時に「隙が生じるのを待っていた」というコメントを残しています。鹿島の戦い方は,どこかミランの戦い方と似ているな,と思うのです。


 攻撃の組み立て,という部分を取り出すならば,恐らく川崎の質の方が高いだろうと思うのです。ボールをどのように動かすか,など。
 でも,その組み立てが相手に対する脅威になりきらなかった,と感じるのです。それだけ,鹿島守備陣の守備応対は安定していたわけですが,チャンスをフイにすることがいささか多かった。


 サッカーは,決めるべきチャンスに決めることができないと,逆にやられる可能性が高くなる競技だったりします。不思議なものですが,リズムを悪くしてしまうんですね。
 川崎は,ハッキリとリズムを悪くしたようには見えなかったけれど,確かに隙を生じた時間帯がありました。その隙を的確に鹿島は突いてきた。縦にシンプルな攻撃を仕掛ける。彼らが標榜してきているはずのブラジル・サッカーではなくて,どちらかと言えば古典的な,キック・アンド・ラッシュをすごくシンプルにしたような攻撃から,鮮やかなボレーを決めたわけです。


 ビハインドを背負った川崎は,再び攻撃の組み立てを強めていくのですが,鹿島守備陣は決して崩れませんでした。といいますか,崩された局面もあるにはあるのだけれど,最終的な部分でキーパーに阻まれたり,攻撃が勢いを失ったり。


 川崎は幸運を引き寄せきれなかった,という側面もあるかも知れませんが,鹿島は川崎をコントロールしていた(川崎の強みを抑え込むような戦い方を徹底できていた),と言うべきなのかも知れません。


 局面ごとではすごくお互いの持ち味が出たいいゲーム。だけど,攻撃が結果に結び付く,という部分ではリアリストである鹿島に軍配が上がる。そんなゲームだったように思います。

ほっとしました。

2007-12-28 17:34:03 | サッカー版雑記
タイトルに掲げた言葉が,偽らざる心境です。

 いささか川淵会長の口が軽いのが相変わらず気にはなりますが。
 でも,オシムさんが順調に回復されていることが分かった,という部分では口の軽さに感謝すべきかも知れませんね。

 オシム前監督“長嶋部屋”で第一歩(スポーツニッポン) - goo ニュースという記事であります。

 この記事を読む限りでは,でありますが。
 オシムさんの頭の回転は,相変わらず鋭いようですね。
 通訳氏にちょっとした軽口を叩いてみたり,川淵会長が持っていったセーター,その柄をチェックするなり「スコットランドに行けということか?」なんてブラックな笑いをとってみたり。

 ああ,やっと帰ってきやがったか。
 近い将来,スタジアムで姿を見せてくれよ。
 品のない表現ですが,そう思いましたね。

 さて,この記事にあるようにオシムさんが,若年層の指導に携わるとなれば。
 コレ,個人的には最も歓迎すべきことのように思うのです。

 シロート目ではありますが。
 オシムさんの指導から感じるのは,どれだけ瞬間的に複数の選択肢を頭に描き,決断できるかという部分です。一時期,オシム・フォーマットによって選手たちが萎縮しているのではないか,もっとチャレンジを,なんて批判があったことを記憶していますが,実際にはオシムさんはチャレンジを否定するタイプではないようです。
 むしろ,積極的にチャレンジしていくことを狙ってもいるようです。

 そんな姿勢は,発想が柔軟な若年層ならばごく自然に吸収してくれると思うんですね。

 オシムさんは,かつて帝京高校を率いていた古沼さんとも親交があり,ユース年代(高校生年代)のサッカーにもすごく興味を持っていたようです。実際,ユースの試合が行われている競技場に足を運んだこともあるようですし。

 オシムさんが代表監督に就任するときに語った,「日本サッカーの日本化」は,若年層から意識すべきことのようにも思うのです。
 1998年ワールドカップでフランス代表にジュール・リメ・トロフィーをもたらしたエメ・ジャケさんは確か,育成部門の統括責任者をしておられました。同じ役割を,オシムさん(と,できるならば古沼さんに)お願いしたいですね。

夏休み、な冬休み。

2007-12-27 19:35:18 | サッカー版雑記
いささかおかしい表現ではありますが。

 UKの冬休み(クリスマス休暇)の時期は,ちょうどお盆休み感覚だなあ,と思うんですね。それはサッカーの世界でも同じようなものであります。

 ということで,今回はいつもとは違ってブログ記事のご紹介を。

 ロンドンでサッカー観戦三昧を!(スティーブ・マッケンジーのロンドン通信)であります。

 このエントリを読んでいて,うらやましいなと思ったのは,かつてのプレミアシップ(恐らくはディビジョン1と言った時代)の話です。サッカー・ファンとしてはどうしても強く意識してしまうダービー・マッチが多かったという。

 いまでこそ,プレミアシップ・クラブの競技場では全席指定ですから,肩を寄せ合って立ち見席,なんてことはありません。
 でも当時は,木製の手すりがところどころに設置された「テラス」が当たり前で,そこに子どもも,おとなも一緒にいたはずです。いまはスタジアムのそこかしこからちゃんと(応援歌)が響くような環境になってしまっていますが,当時はいまのJリーグと同じように,熱いサポータが集うテラスがあったと聞きます。
 たとえばオールド・トラフォードならばストレットフォード・エンド。アンフィールドならばコップ・エンド。そんな立ち見席では,おとなが子どものような反応を見せている。スティーブさんの記事にもあるように,キレのない選手にはクリスマスを絡めたチャントをぶつけるわけですね。
 そんな環境ですから,子どもはそのおとなの反応をマネしてみたくなるのも道理ですよね。「クリスマス・コート!」なんてのは,まさしくそんな感じでしょう。

 教育的には望ましくはないでしょう。
 でも,スタジアムの空気というのはこんな雰囲気の中で受け渡されていったんだろうな,と思うのです。

 そんな雰囲気を見てみたかった,というのはありますね。

 ・・・あともうひとつ。

 パブでエールを傾けながら,ゲームを振り返る時間が多く取れるというのは,呑助さんなサッカー・フリークにとって“パラダイス”だな!と思いますね。やっぱり,スターバックスでサッカー談義をするよりは,パブでパイント・グラスを片手に侃々諤々やる方が楽しいし。

 なかなか年末にUKというのは難しいけど,行ってみたいな!と思うですよ。

マイクロバス事故に思うこと。

2007-12-25 22:03:34 | 日々雑記
車速感応式のドアロックでもあれば,この悲劇は避けられたかな,と思います。

 運転のコーチら逮捕 「バスのドアロック忘れた」 小5転落死(産経新聞) - goo ニュースという記事であります。

 このマイクロバスは,ドア開閉が自動でも手動でもできるように,スイッチがステップ近くに装備されているそうです。
 少年サッカーなどですと,恐らくマイクロバスは即席のロッカールームとしても機能しているはずですから,ドアを頻繁に開閉する機会はあるでしょう。となれば,ドアを自動にしていると不便が生じるかも知れません。
 となれば,停車中は手動扱いになっていたとしても不思議はないところです。

 となれば,なんで運転手さんはスイッチを切り替えなかったのかな,と思うところですが。

 選手全員がバスに乗り込むのを確認して,自分が同じ後部ドアからマイクロバスに乗り込んで,ドアを閉めてしまうと,ともすればスイッチの切り替えまでには気が付かないかも知れません。
 選手全員が乗り込んでいることを自分の目で確認して,そのまま車内を通って,運転席に座ってしまったとすればなおさらに。何より,開閉スイッチを操作することなくドアを閉めていることになるわけですから。

 そんな気がするんですね。
 であるならば,「機械」の方で運転手さんがつくり出してしまう隙を埋めるという考えもあっていいかな,と思うのです。

 それゆえ,高級車などに導入されている、一定車速以上でドアロックが下がる機構が仕掛けられていたらな,と思うのです。

 ともかく。ひとりのお子さんの命が失われたのは確かなことです。
 でありますれば,責任論も必要な要素になります。
 重大な結果が実際に引き起こされている以上,その結果にかかわったひとが責任を問われるかも知れない,というのは避けられないことです。
 ですが,責任論だけにとどまるのではなく,この事故から自動車メーカができることは何か,など,同じような悲劇が繰り返されないように,各方面が知恵を絞ることが求められるのかな,と思います。

20万円のCPは。

2007-12-24 19:49:28 | 日々雑記
20万円。絶対値で考えると,決してお安くはありません。


 ただ,20万円をある種の先行投資と捉えてみると,ちょっと考え方も違ってくるのではないでしょうか。


 【年の瀬記者ノート】東京 渋谷温泉施設爆発 20万の出費渋った代償(産経新聞) - goo ニュースという記事であります。


 同じエリアに住んでいる「ご近所さん」への約束ともなっていたガス検知器の設置を,費用負担の問題がこじれたことで怠ってしまう。


 東京ですと,かなり深いところまで掘り込めば温泉が出てくる可能性があるといいますが,同時にメタンも掘り出すことになるのだとか。そこで,ガスを分離し,大気解放するなどの対策が必要となるのだそうですが,対策を取っていたとしてもガス漏出は避けきれないとのこと。
 となれば,ガス濃度をシッカリとチェックし,爆発の可能性がある濃度にまで達すれば警告を発するようにしておくなどというのは,ある種当然の対策だと思うのです。ガス漏出対策のきっかけになるガス検知器が,費用負担の問題で付けられない。


 その費用が,20万円。


 で,この20万円をケチったおかげで,被った損失を金銭換算するとどれだけになるでしょうか。この事故では,人命までもが失われています。少なくとも,20万円の引き替えにすべきものではないでしょう。


 この運営会社は,恐らく見えるところでの投資は惜しまなかったのでしょう。
 そして,ロケーションにも気を使った。
 「松濤」という名前は,相当意識していたはずです。
 でも,最悪の事態を想定するという意識には欠けていたし,ムダ金にも「必要なムダ金」というものがある,という考えにまでは至らなかったことになります。バックステージだって大事な要素なのに。


 あれだけの損失を回避するための原資が20万円,という捉え方ができるならば,費用対効果はビックリするほど高い(安い投資)ということが言えるはずです。その想像力こそ,ホントに求められることなのでしょうね。

放射線と環状線と。

2007-12-22 21:00:08 | クルマ生活版日々雑記
バランスしていないと,いささか不便であります。


 いまでこそ外環道や圏央道などによって,都内にまで入り込まなくとも高速道路を(ある程度)つなぎ合わせることができますが,まだ十分とは言えません。


 いま住んでいるエリアを基準にして言うならば,関越道から中央道,あるいは東名道へとつないでいこうと思うと,一度環状線(一般道)を経由しなければなりませんでした。また,17号線から首都高5号線を使って環状線に入り,そこから4号線や3号線へ入るという形になっていました。


 この手間が,ちょっとだけ少なくなるのは確かでしょうね。
 中央環状、新宿-池袋開通 首都高の渋滞2割減少(共同通信) - goo ニュースであります。


 この路線によって,中央環状線が主要な高速道路につながることになります。
 また,3号渋谷までの延伸が竣工することで東名高速への直結が可能となり,品川線が開通すれば,湾岸エリアを走る首都高速へのバイパスとしても機能することになります。


 それにしても。高速道路の意識が放射線ばかりに集中していたというのは確かでしょうね。どのようにして,地方と東京をつないでいくか,には意識が回ったのでしょうが,その高速道路同士をつないでいくという発想にまでは至らなかった。
 また,用地取得が難しいはずですから,技術がないと地下へ道路を回すというわけにもいかないだろうし。


 いまのタイミングでやっと,という感じはしますが,少なくとも開通したのはいいことだと思います。

0系、退役。

2007-12-21 20:12:17 | 日々雑記
鉄道ファン,というわけではないんですけども。

 やっぱり,子どもの頃には書いた記憶がありますね。
 すごく印象に残りやすいデザインでしたし。

 初代新幹線「団子っ鼻」0系、来秋に引退(朝日新聞) - goo ニュースという記事であります。

 確かに,長く親しまれた車両が引退するというのは寂しさを感じます。
 ダブルデッカーと言えば,なルートマスターが現役を引退するときもやっぱり寂しさを感じました。実際,ルートマスターが日常だった私にとっては,このニュースはショックだった。0系が日常だったひと,そして0系に憧れを持っていたひとがこのニュースを聞けば,同じようにショックだろう,と想像します。

 同時に,「時代の流れ」には逆らえないな,というのも感じます。

 本家である朝日新聞さんの記事にもありますが,0系の性能では「ダイヤ編成上でのネック」になっていたとか。
 また,老朽化という要素も大きいでしょうね。
 クルマと違って,大幅なオーバーホールを実施しているはずですが,それでも経年変化から完全に逃れられるわけではありません。部品調達面を考えても,難しさは増していくでしょうし。

 となれば,退役させるという判断以外にはないのでしょう。

 ならば,でありますが,「歴史的な先駆者」なのですから複数編成を残しておいてはくれないかな?と思います。ルートマスターも,一部路線で運行をしていますが,不定期に0系の運行をしてもらえるような配慮があるといい,と思うのです。

 お正月とか,お盆の時だけ,運行できるといいんですけどね。

3のような1クーペ。

2007-12-20 17:07:46 | クルマ生活版日々雑記
なかなか,実際には難しいですけど。


 長距離移動には,ある程度の排気量と大きさを持ったクルマがいいな,と思います。走行車線でクルーズするにも,加速態勢を整えながら追い越し車線へと飛び出していくにも,「余裕」があるとないとでは違うんですよね。
 それゆえ,イロイロな事情が許すならば5シリーズとかA6,中古ならばXJシリーズなどがすごく気になります。


 ですけども。街中を走るときには違ったクルマがほしくなります。
 また,ちょっとツイスティな峠道なども。


 このときに,大きすぎるクルマは鉄製の鎧を着たまま歩かされるようなもので,不便きわまりないと思うのです。駐車場を見つけるにも一苦労だし,峠道で神経を使いながら走るのもちょっと。もっと軽やかに走りたい。
 と考えると,最近のクルマはいささか大きくなっております。


 かつてのイメージよりもワンサイズ下のクルマで,ちょうどピッタリくるような感じ。それはBMWでも当てはまるように思えてきます。





 BMW1シリーズに追加されたクーペ・ボディについて,DrivingFutureさんの記事をもとに書いていこうと思います。


 この記事を書かれた木村さんによると,この1シリーズはかつてBMWの主力車種だった“02”をイメージされているのだとか。
 なるほど,と思うと同時に,個人的には3シリーズ,特にE30当時の2ドアを思い出します。
 グループAを席巻したM3のベースにもなったボディシェルです。
 E36になるとクーペ・ボディと言うに相応しい伸びやかさを持ったスタイリングへと変化しましたが,E30はまだ質実剛健な雰囲気を濃厚に漂わせていました。その雰囲気をどこか感じるのです。


 で,搭載されるエンジンは3000㏄の直6ツインターボ。
 と言っても,最近のターボはトルクを分厚くする方向性で使われますね。
 排気量を拡大したのと同じ効果を意識したセッティング,が多いようです。
 それはともかく。重量配分は50:50で,パワー・ウェイトレシオはポルシェ・ケイマンを凌ぐレベルなのだとか。となれば,木村さんが「サーキットでは水を得た魚のよう」などという表現をしたとしてもおかしくはありません。


 E30時代から思えば,3シリーズはセグメントが上がったかと思うほどに大きくなっています。衝突安全性であったりを意識すれば,ボディシェルは大きくならざるを得ないし,重くもなります。
 でありますれば,下のクラスであっても「ジャストサイズ」という感じが出てきます。さらに,動力性能を思えば,グループAのベース車両だった時代のM3のようでもあります。


 いかにも,な格好をしているわけじゃあないけれど,「走らせてナンボ」な部分を濃厚に持っている。こういうクルマはハッキリ言って,ツボど真ん中です。個人的には,すごく興味をそそられるクルマです。

3回戦総当たり。

2007-12-19 21:21:52 | サッカー版雑記
サッカーのお約束。2回戦総当たりです。

 「ホーム・アンド・アウェイ」ですな。

 となると,リーグ戦に参加するクラブ数から1を引き,求めた数に2を掛けたのが試合数となる。わけなのですけれど,リーグ戦に参加するクラブが少ないと,試合数も少ない。

 対して。サッカー・クラブの経営を安定させるには,スポンサーさんからのおカネも大事ですが,スタジアムに足を運んでくれるひと,彼らが購入するチケット代金も大きな要素です。
 となると,試合数を確保したいということになるのだそうで。

 結果,Jリーグは「3回戦総当たり」という方向性を打ち出します。
 ちょっと,そんな話など。

 さて。この不思議なリーグ戦が採用されるのは2部(ディビジョン2)です。
 今季までは4回戦総当たり制を採用しておりまして,ホーム・アンド・アウェイを2回繰り返すことになっておりました。
 確かに試合数は確保できるのでありますが,3回目,4回目の対戦ともなると相手の研究が進んでしまうし,試合が途切れることなく訪れるような感じになってしまって,選手の皆さんが疲弊してしまうような気もしておりました。

 さらに,来季は参加クラブが2つ増えて,15クラブ体制へと変更されます。
 これでは4回戦総当たりを維持するわけにはいきません。
 かといって,単純にホーム・アンド・アウェイを維持する形で28試合にしてしまうと,試合数が大きく減ってしまいます。

 そこで落としどころが「3回戦」というアイディアです。

 で,問題が。

 3回目の対戦をどうするんでしょう。
 自分たちの本拠地と,相手の本拠地で1試合ずつ。
 これはいいとして,3回目の対戦をどこでするか。たとえば,抽選をするとか,対戦クラブの中間距離くらいにあたる中立地開催の原則を敷くか。それとも,どのクラブも本拠地として指定していない(確か,してはならないことになっている)国立競技場での開催ということにするか。

 恐らくは,国立競技場での開催なんてのが落としどころとしては分かりやすいでしょうね。土曜日ならばさらに可。サッカーの聖地で3回目の対戦。悪い気はしませんよね。
 想像はともかくも。どういうやり方をリーグがするんでしょう。ちょっと興味があります。