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魂でもいいから、そばにいて②

2017-04-09 12:09:14 | お話
🌸🌸魂💕でもいいから、そばにいて🌸🌸②


「ラブレターには何て書いたのですか?」

とたずねると、秀子さんは

「そんなことまで訊くの?」

と言いながら、

「コピーしてないから忘れたけど、お父さんのこと、いっぱい誉めてあげたよ」

と、うれしそうに言った。

「少しでも内容を覚えていませんか?」

「そこまで言うの?」

「ええ、愛していたとか」

「へへっ、まぁ、そんなもんだね。

便箋の上には『愛するあなたへ』と書いたからね。

あらら、のろけちゃってごめんね」

「ラブレターは一通だけですか?」

「一通だけだけど、便箋で5枚くらい書いたんじゃないかな」

「結婚する前もラブレターはよく書いたんですか?」

「書きましたよ。今でも大切に… 。

私たちは2人でデートしたことがないの。

あの時代だから、親の目がうるさくて、誰かと一緒でないと2人だけで会うことなんてできなかったのよ。

だから、ラブレターは私たちにとってデートがわりだったの」


僕はご主人の写真を見せて欲しいと言った。

何枚か見せてくれたが、その中には2人だけで写った写真は1枚もなかった。

「津波で流されたんですか?」

とたずねると、秀子さんは

「それがねえ」と可笑しさをこらえながら言う。

「娘の結婚式のときに一緒に撮りたかったのに、

お父さんは照れくさがって逃げるのよ。

だからないの。

おかしな夫婦だよね」

そしてまたカラカラと笑った。

距離はあるが、かろうじて夫婦のツーショットでカラオケを歌っている写真がある。

今はその写真を枕元に置いて寝ているという。

結婚する前、秀子さんは気仙沼の鹿折というところに住んでいて、

母は生徒をとって和裁洋裁を教えていた。

「うちに来ていた生徒でダンスが好きな人がいたの。

ダンスといっても社交ダンスじゃなくてフォークダンスよ。

その人に誘われて公民館に行ったら、お父さんが教えていたわけよ。

あのとき、みんなが見ている前で、その生徒とお父さんがワルツを踊ったのね。

その踊る仕草がまた綺麗でね。

素晴らしかったのよ。

それに魅せられちゃったのね。

それからお父さんとは先生と生徒の仲になり、グループでお付き合いが始まったわけ。

いつも母がそばにいるからデートするとこともできないのよ。

初めてのデートというとき、母親から『どこさ行く』と聞かれたので、

『テレビ塔』と言うと、

『おらも行ったことがねえから連れていけ』

だからね。

だから、2人で歩いたのは一度もないのよ。

結婚するとなると、父は大反対だったね。

無理もないよ。


だって、向こうは兄弟が9人だよ。

お父さんの家はクリーニング屋で、職人さんも2人働いていたから、その人たちの面倒も見ないといけない。

そこに嫁ぐというのは大変だったのよ。

父は苦労するからやめろと言ったけど、私は、

『絶対にやり抜く。大丈夫、お年寄りとも話が合うからうまくやっていける』

なんて啖呵を切って結婚したの。

実際、私は仕事を休んだことがなかったし、

正月やお盆は休みだけど、お父さんの兄弟が来るからもっと忙しくなるの。

だから結婚してから、私は実家に戻っても泊まったことがなかったわね」

「大家族で住んでいたんだから、家は広かったんでしょうね」

と僕は言った。

「いえいえ、30坪ほどの小さな家ですよ。

一階が全部お店だから、みんな二階に寝ていたんです。

部屋が4つだから、1部屋に何人か "川の字" になって寝るの」

昔の典型的な庶民の家だった。

夫、娘、義父、義母、義姉、義妹…、

それはそれは賑やかな家だったという。

ここで秀子さんは、朝4時から、遅いときは深夜まで働いた。

もちろんクリーニングした衣装を届けるのも秀子さんの仕事だった。


僕は話題を変え、「ご主人との心残りはありますか?」と尋ねた。

秀子さん即座に「それはありますよ」と目を細める。

「働くことばかり考えないで、もっと2人の思い出旅行とかしたかったなぁ。

あぶくま洞に行こうって誘われたこともあったのに、

あの頃はお金を貯めて早く家を建てたい一心だったから『やめよう』って断っちゃったけど、

行けばよかったと後悔しています。

お父さんはね、本当は学校の先生になりたかったんですって。

それを、後継者がいなかったもんだから、自分が継いだんです。

その反動だったのかな。

交通指導員をやる、スポーツ関係の役員をやる、

宮城県のゲートボール連盟の副会長までやったし、

祭りがあると交差点の真ん中で笛を吹いて交通整理もしていました。

お父さんは幸せ者ですよ。

自分の好きなことをやってこれたんだから。

そのかわり、祭りなんかで家族そろって歩いたことがないの。

手をつないで歩いている家族を見ると、本当にうらやましかったね。

私といえば、商売が好きで、寝る時間もないほど忙しくても平気でした。

だから、お父さんと旅行したこともなかったわ。

新婚旅行で福島へ行ったのを除けば、2人で旅行したのは鳴子温泉に1泊しただけ。

それ以外に、私は気仙沼から出たことがないんです。

商売やってると、出るに出られない様のよ。

きっとお父さんは、どこにも連れて行ってやれなかったと思って、

あの日、布団の中に入ってきたんだと思うの」


「それで秀子さんが文句を言わなかったのだから、すごいですね」

「自分は嫁なんだ、嫁なんだと思いつづけて頑張ってきたんです。

だから、苦労したとは思ってないの。

あの時代だったから許せたのよ。

今だったらすぐ別れてるわ。

でも、楽しかったよ。

私は仕事が大好きだったからね。

それに2人の娘たちがいたから」

「それでもお父さんが好きだった?」

「それはそれはそうよ。
お父さんは、私にないものをいっぱい持っていたからね」

「どんな?」

「たとえば、人前で堂々と話をするとか、自分が指示して人を動かすとか…。

それにお父さんとの間に、あんないい娘たちがいたから何でもできたの。

娘たちは最高の財産ですよ」

秀子さんは、ひと呼吸おいてこういった。

「まあ、あの世に逝ったら、お父さんとゆっくり休ませてもらいます。

そしてね、2人で手をつないで、お空をふわふわ歩くの」


震災の前年、ご主人の義雄さんは心臓のバイパス手術をする予定だった。

入院してその説明を受けているときに秀子さんの母親が亡くなった。

一時退院したが、それっきり バイパ手術はうやむやになってしまった。

秀子さんは、

「きっと生きていたら苦しい思いをしたんだろうな。

そんな思いをしなくて、あっちに逝っちゃったから、かえって良かったかも」

と、最近は思えるようになったという。

秀子さんの不思議な体験は、義雄さんの遺体が発見される前後だけだが、

その後は夢にばかりあらわれるという。

「陰膳をやるようになってから夢に出てきたんです。

本当に魂ってあるんだと思いました」

と秀子さんは微笑む。

ただし、夢に登場する義雄さんは、なぜか、子供たちがまだ小中学生だった30代から40代の元気いっぱいだった頃で、

それもなんの変哲もない日常のシーンばかりなのである。


「旅行もせずに、家の中で働くことばっかりだったから、

家族で夕ご飯を食べるとか、そんな日常的なことしか出てこないのね。

子供がまだ小学生か中学生だった頃のことが、しょっちゅう夢に出てきます。

それ以外は出てこないのだから不思議だね。

残念ながら、2人だけのルンルンの夢はないんだけど、

小学生の子供たちと一緒にちゃぶ台を囲んでワイワイ騒いでいる夢だったり、家の周りで遊んでいる夢もあったわね。

どの夢も、あの当時の幸せだった何気ないワンシーンなの。

あの頃のお父さんはいつも家にいなかったけど、

こうもしたい、ああもしたいって1番充実していて楽しかったんだと思う。

夢に出てくるのは元気なお父さんだから、夢を見た日はうれしいね。

いいことばっかり出てくるんだから、私は幸せだよ。

きっと私を悲しませないようにって、楽しかった夢を見せてくれているんだね。

お父さん、ありがとう」


義雄さんは自治会長などさまざまな役職を務めたが、

今は秀子さんがそのあと引き継ぐように地元の世話役をしている。

そのせいか、ひっきりなしに電話がかかってきた。

地区の会合があったのに、僕のために欠席したのだが、

やはり秀子さんがいないと困るという催促の電話のようだった。

秀子さんは「すいませんねえ」と僕に何度も頭を下げて出かける準備を始めた。

外は夏の日差しが降り注いでいた。

靴を履こうとすると、玄関の上がり框(がまち)にネギが置かれている。

裏の畑でとれたのだろう。

「いいネギですね」

と僕が言うと、秀子さんから反射的に返ってきた。

「太っとい "シモネタ" ネギ」

「下仁田でしょう」

「アハハハ」

秀子さんは僕を最後まで笑わせてくれた。

秀子さんの人生は、僕たちには想像もつかないが、

それでも、「つらかった」とは1度も言わなかった。

涙がこぼれそうになっても、秀子さんはカラカラと笑い飛ばした。

そして、時々下ネタで笑わせてくれる。

聞いているだけで、秀子さんの幸せそうな表情が浮かんでくる。

きっと、秀子さんにとって義雄さんは、最愛の人だったのだろう。


(おしまい)

(「魂でもいいから、そばにいて」奥野修司さんより)

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