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「トルコと日本」

2016-01-17 16:17:59 | 物語
「トルコと日本」


トルコ人が日本人を大好きなのは、いくつかの理由がある。

そのうちの1つは、
トルコの天敵のロシアを

日本が日露戦争で打ち破ったことに対する感謝と尊敬の念からだ。

ロシア帝国とオスマン帝国の両雄は、

16世紀半ばから第一次世界大戦に至るまでの

350年間に計12回も交戦。

とりわけ1878年の露土戦争では、
バルカン半島のスラブ人の同胞を

トルコから解放するという大義名分を掲げた

ロシアがトルコに戦いを挑んで勝利した。

その結果、

セルビア、モンテネグロ、ルーマニアが独立したほか、

トルコは多くの領土を失った。

そのにっくきロシアを

極東の小さな島国の日本がやっつけたのだから、

トルコは大いに溜飲を下げたに違いない。

特にバルチック艦隊を撃破した

連合艦隊司令長官の東郷平八郎や

乃木希典の名前はトルコ全土に響き渡った。

そんなことから、
当時のイスタンブールには「トーゴー通り」や「ノギ通り」があったほか、

英雄にあやかろうと自分の息子に
「トーゴー」「ノギ」と命名したトルコ人の父親は少なくなかった。

いくらアメリカ贔屓の日本人がいたとしても、
子供に「ケネディー」「ジェファーソン」などと名づける親は見かけない。


また第一次世界大戦の敗戦後にトルコ革命を指揮し、

今も

"新生トルコの父"

と慕われているトルコ共和国の初代大統領に就いた

ケマル・アタチュルクは
明治天皇を敬愛し、その写真を机の上に飾っていたと言う。

政教分離、トルコ語の改革(アラビア文字からラテン文字)、女性の権利拡大、

苗字法の施行、農業改革など、

西欧化・近代化を急いだアタチュルクの口癖は、

「日本を見習え!」だった。


しかし、

トルコ人が日本人をこよなく愛する理由はほかにもある。

1890年9月16日、皇族の小松宮夫婦がトルコを訪問した返礼として、

トルコ政府は約50人の将校を含む609名の特使を乗せた
軍艦「エルトゥールル号」を派遣した。

その帰途、

船は和歌山県大島村(今の串本町)沖合で嵐に遭遇して沈没し、

587名の死者・行方不明者を出す大惨事となった。

このとき、村人が自分の食料や飼っていたニワトリをつぶして

必死に介護したことで、69名の命が救われた。

これを知った明治天皇は、

現地に医者や看護婦を送って看病に当たらせたのち、

二隻の軍艦で生存者をトルコまで送り届けさせた。


また、

トルコ人のために何かしたいと義援金を募ったのが
茶道の家元の山田寅次郎で、

事故から2年後には5,000円(現在の約1億円)を届けにトルコへと旅立った。

トルコ皇帝は寅次郎の真心をことのほか喜び、
そのままトルコに残るよう提案。

その後、

寅次郎は日本語教育や日本文化の普及に努め、
トルコで、計20年近くも暮らしたという。

このとき彼が士官学校で

日本語を教えていた生徒の中には、
ケマル・アタチュルクの姿もあった。

なお、

寅次郎が皇帝に献上した先祖代々の家宝の甲冑は、現在もトプカプ宮殿に大事に保管されている。

この話には、後日談がある。


イラン・イラク戦争のさなか、

突然、フセイン大統領は

「今から48時間以内に、

敵国のイラン上空を飛行する飛行機は

すべて撃ち落とす」

と宣言。

そのとき、イラン国内にいた215人の邦人はパニックに陥った。

当時は、JALもANAもテヘランには乗り入れていない。

邦人は外国機を使って必死の脱出を試みたが、

どの国の旅客機も自国民を優先して助けてくれない。

一方、

すぐにでも救援機を飛ばしたい日本政府だったが、

イラクから航行の安全を保証してもらえず身動きが取れなかった。

そんなとき

タイムリミット1時間15分前に、
スーパーマンのように日本人を作って救出してくれたのは

トルコ政府だった。

トルコの特別機を

テヘランに向かわせた当時のオザル首相は、

「なぜそんな危険を犯すのですか?」

とマスコミから質問されたとき


「それは日本人だからです…」

と答えた。


救出劇の舞台裏では、

在イラン日本大使が窮状を訴えたことに加え、

オザル首相と個人的に長い付き合いがあった日本人商社マンの友情に応えたものだった。


しかも

トルコ航空内で救出に向かうパイロットを募ったところ、

パイロット全員🌸が志願✊したという。


「エルトゥールル号の事故について、

大島の人たちや日本人🇯🇵がしてくださった献身的の救援活動を

今でもトルコ国民は忘れていません。

私も子供のころ歴史の教科書で習いました」

と語った、

ネジアティ・ウトカン在日大使の言葉が忘れられない。


(「日本人になりたいヨーロッパ人」片野優・須貝典子著より)


日本を見習う外国が多いことを誇りに思います。(^_^)

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