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ダイエットのコツ

2016-05-28 18:49:11 | 色んないい物を勝手に応援!
🌸🌸ダイエットのコツ🌸🌸


少食や空腹感が心地良くなると、食に関してある事実に気づきました。

・食べるとすぐ眠くなる。
・食べると体が重くなる。
・食べると意識が低下する。
・食べると感覚が鈍くなる。

さらに、食へと誘う様々な感情にも気づきました。

・悲しい、寂しいと食べたくなる。
・暇になると食べたくなる。
・つまらないと食べたくなる。
・悩み事が増えると食べたくなる。

読んでいる皆さんも、ドキッとされたのではないでしょうか。

私も以前は、ほぼすべてに該当していました。

でも少食や空腹感を楽しめるようになり、

今のように一切の飲食を不要とする生活になってしまうと、

全て笑い話になります。

ちなみに私はダイエットや断食を推奨はしません。

そんな一時的な苦行ではなく、少食をずっと続ける方が、

よほど体には健康的です。

ダイエットや断食は
「ねばならない」という意識が強く、

そのような緊張感は、プラーナの摂取率を下げます。

だから
「食べてもいいし、食べなくてもいい」
という意識を持つこと。

ニュートラルな意識こそ、最も自由でリラックスできる状態です。

精神面でリラックスできれば、徐々にプラーナ摂取率が上がります。

その摂取率が上がった分だけ、

物質的な食事量が減っても大丈夫になります。

それで、食べたくなったら、適当にぜひ食べてください。

我慢は一切、不要です。

食べてはいけないという強迫観念も捨てましょう。

くれぐれも失敗と裁かないこと。

失敗という状況はありません。

成功か失敗かという「勝ち負け思考」ではなく、

3歩進んで2歩下がるという感じで、

ちょっとずつ、減らす進化を楽しんでください。

ゆるゆると続けると、だんだん体が慣れます。

これが最大のコツです。


~~~~~


以前、一緒に本(「食べない人たち」マキノ出版刊)を出した、

森美智代さんという大阪で鍼灸院を経営されてる方がいます。

脊髄小脳変性症という難病患い、医療から見放され、余命が5~10年と宣告された森さんが最後にすがったのが、

独特の手法で大勢の難病患者を救ってきた甲田光雄先生(2008年逝去)でした。

甲田先生は異端の医師と呼ばれています。

現代医療をことごとく否定し、数々の難病を治してしまったからです。

森さんの場合、生菜食にして食事量を減らし、

次に一日一回の少食とし、

さらにそれを超少食とし、

最終的には一日一杯の青汁だけという食生活に変えました。

一杯だと50キロカロリーくらいです。

おかげで暗黒状態だった体がウソのようによくなった森さんは、

今のような生活スタイルになってから他人のオーラが見えるそうです。

ヒーリング(癒し)能力が開花し、運営されている鍼灸院も繁盛しているそうです。

少食、つまり食べる量を少なくすると、主に3つのメリットがあります。

免疫力がアップする。
若返る。
寿命が延びる。

最先端の研究者たちは、すでにこの事実に気づいています。

そもそも人間の体は、過食に耐えられるようにできていません。

その逆に、ある程度の飢餓には耐えられるようにできています。

遭難者が長期間生きていて奇跡だと言われることがありますが、

これもそんな理由からで、

飢餓に耐えるという機能は肉体の進化をそのものです。

それは、かつての狩猟時代の環境が関係しています。

現在のようにマスプロダクション(大量生産)という仕組みのない時代、

今日獲物が獲れても、明日は獲れないという状況に体が慣れたのです。

逆に、体が過食に弱いのも明白です。

食べ過ぎると頭の働きが鈍くなります。

判断力も想像力も低下します。

太るので体のキレがなくなり、動くことが億劫になります。

適度にお腹が鳴る状況なら脂肪がたまらず、

消化効率が上がりますが、

常に食べていますから胃腸の休まる暇がなく臓器の効率が悪化します。

免疫力も下がり、病気になりやすくなります。

粗食にするとわかりますが、一日三回の食事が、二回になっても大丈夫になります。

私たち日本人は、江戸時代まで一日二食でした。

これだけで体が変わるのを実感できます。


~~~~~


食べる量を減らす、あるいは食べなくなると、自然界との「つながり」が見えるようになります。

見える、感じる、どんな表現でも良いのですが、

自分は自然界とつながっているのが「わかる」ようになるのです。

これは感覚が研ぎ澄まされた状態です。

研ぎ澄まされるということは、普段、鈍い感覚の状態では決して見えなかったものが見える、

つまり、「霞(かすみ)が晴れてクリアになった」状態です。

そんな状態だから、あらゆる存在と自分との結びつきが見えるのです。

例えば道端に顔を出す名前も知らない雑草を見ただけで、

その雑草と自分が太古からつながっていた事実を知ります。

蚊に対してもつながりが見えますので、一切殺さなくなります。

私も以前はさんざん殺していました。

でも今は蚊を殺すことで私に「痛み」が走ります。

自分の一部が傷つく痛みです。

蚊も自分の延長なのです。

ちなみに蚊を殺したいと思った瞬間、その蚊は半殺し状態であり、

生きながらにして死んでいます。

つながっているからです。

私も普通の人ですから蚊に刺されることくらいありますが、

刺されればかゆいものの、10分後には治癒しています。

寝ているときに刺されていても起床したときには治っており、

刺されことが気になりません。

植物や動物の気持ちも、自然とわかるようになります。

それをされると嫌だ、こうすると楽しい、

彼らの気持ちがまるでテレパシーのように伝わります。


つながりを実感するのが、こんなに幸せなことだったなんて、

それまでの私には考えもつきませんでした。

たとえが正しいかどうかわかりませんが、

赤ちゃんの気持ちがお母さんに伝わる瞬間に似ているのかもしれません。

この感覚を獲得してから、私が実践し始めたことがあります。

それは相手に対して愛を送ること。

するとその人がだんだん元気になることも判明しました。

ヒーリングの世界では昔から言われていることですが、

私はすべての存在と自分とのつながりが見えてから、

このエネルギー交換を知りました。

怒りや憎しみではなく「いつもありがとう」「あなたを愛しています」と念じると、

念を送られたほうは潜在的な意識で気づくようです。

不思議なことに、次第に言葉や態度が変わります。

別につながりが見えなくてもいいのです。

すべてがつながっていることを、頭の隅っこに置いてみてください。



(「不食という生き方」秋山佳胤さんより)

般若心経の解説44、"故説般若波羅蜜多咒"

2016-05-28 17:22:30 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀44


🌸🌸「故説般若波羅蜜多咒(こせつはんにゃはらみったしゅ)🌸🌸


読み下しは
「故に般若波羅蜜多咒(呪)を説く」となります。😄

実際の呪文は、のちにでてきます。

「羯諦羯諦…」ですが、説明🍀はそのときに譲ることにして、

ここでは「呪と写経」ということについて皆さまと考えることにしましょう。

まず「呪」(マントラ)とは、
インドの思想一般では、

「神々に捧げる讃歌🎵」をいい、

仏教はそれを取り入れて、
「ほとけの真実を伝えるで力ある言葉🍀」としたことをは、前に学びましたね。

ここでは、「羯諦羯諦」のみならず、
さらに広げて「般若心経」の一語一語が「呪」であると考えてよいでしょう。😄🎵

重要なことは、経文の一々を心💓をこめて唱え🎵あげることにあります。🌟

つまり、

ほとけを念じ、ほとけに祈りを捧げながら読誦することが大切🌸であるといえましょう。

また、

ほとけを念じ、ほとけにひたすら祈りを捧げながら、

経文の一字一句を書き写すことが
「写経」であります。✒️📜

したがいまして、「呪」とは自己のさまざまなはからいを捨てて、

ほとけを念じ、祈りつつ唱えられるべきものであり、

「写経」とは、同じくおのが雑念🌀を離れて、

ほとけを念じ、祈りつつ経文を写すことであるということができましょう。😄

ゆえに、「呪」も「写経」も、

「ひたすら祈りをこめて行う💕」ところに、

共通性🍀と重要性🌸を見ることができると思います。

「写経」を長く続けています、

いままでわからなかった経文の意味がわかってくることもあります。😄

ほとけの深い心💓を感じてくることもありましょう。

経文の一字一句を、まちがわないで書き写そうとつとめていますと、

心💓が、おのずと澄みわたって☁️☁️きます。

それを「澄心(ちょうしん)☀️」といいます。

そして、書き終わったとき、充足感🌸と爽快感🍀を覚えます。

それを「爽心(そうしん)🍀」といいます。

この「澄心☀️」と「爽心🍀」との二つが、

ほかではとても得られない「写経の功徳」であるといえましょう。😄🎵


(「あなただけの般若心経」より)