Memorandums

知覚・認知心理学の研究と教育をめぐる凡庸な日々の覚書

心理学と進路指導 1

2005-02-04 | Education
 高校の教員の方から、高校生を対象とした進路決定についての講演の依頼を受けた。1,2年生5~600人に心理学の立場から進路をめぐる話題を提供するという趣旨である。この機会にこれに関連する問題について少しメモを残しておきたい。
 以前に就職委員を経験したこともあり、学生・生徒の就職について心理学、特に認知心理学の観点から資することがあればと考えてきた。今年の認知心理学の講義では、意思決定の認知心理学的モデルを題材に、日常の意思決定行動について説明したが、大学生においても進路決定は差し迫った問題なのであろう、この問題には関心が比較的高いように思われた。
 ところで、就職などの進路決定についての心理学的貢献といえば、一般に就職適性診断のような検査の利用が考えられるが、ここではもう少し基礎的な問題から考えてみたい。つまり、意思決定における「意思」の問題、意思を「決定」する過程とその規定要因、個人の「能力」という観点の問題点、職業あるいは仕事が個人においてもつ意味、そして決定を実現・達成するために必要な知識・技能の習得、「指導」あるいは支援の方法とその意味・限界などについてである。
 以下、次回。
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卒業生を送る

2005-02-04 | Education for 3,4年
 まもなく卒業される学生諸君に、ささやかな言葉を送ることで新たな門出を祝したい。諸君がこれまで学ばれたことをもう一度振り返りながら、その意味を自分なり整理することで、これからの生活がさらに充実したものになることを祈りたいと思う。
 さて、諸君はこれまで何をどのように学んでこられたであろうか。近いところでは、卒業論文のための研究と執筆をとおして、各自が学ばれたことを少し振り返っていただきたい。
 教師も含めた第3者の評価とは別に、自分がそこから何を学んだか、である。たとえ成績評価をよかったとしても、諸君自身がそこから何を学んだかは別な問題であろう。教師に言われるままにデータを収集・分析し、原稿にまで事細かに手を入れられなければなかったとすれば、それは何を意味していたであろうか。すでにある論文をそのままなぞり研究をまとめたとすれば、たとえ評価が良かったとしても、それはあなたにとってどのような意義があったのであろうか。剽窃することや傀儡としての研究は自律的な学習とは言えまい。
 教師や他の研究からあなたが何を学び、そこから何を考えたのか。そしてどのような困難に直面し、それをいかにして克服しようとしたのか。たとえそれがうまく行かず不十分であろうと、学問・研究の見えない重要な部分を学ぶ機会がそこにはあったはずである。
 もちろん、1ヶ月や2ヶ月でこれらを片付けようとすれば、不十分な結果しか得られないことは、謙虚に受け入れなければならない。そのようなことも含めて、各自が何を大学での学習・研究をとおして考えのか、それこそが諸君のこころの糧となるものと信じている。
 4年間は長いようで、このようなことを学ぶには短かすぎるかもしれない。これからは、さらに思いどおりには行かない壁が現れるかもしれない。他の人々との共同作業や、あなた方自身の新たな学習が必要となるであろう。大学で学ぶことは、そのような作業が、知的な楽しみを生み出すことであり、またそのようにしてわれわれは「知識」を積み重ねてきたということを知ることである。
 これからも、あなた方の生活のなかで、生きた知識を学び、そして伝えてほしいと思う。諸君のこれからの人生が、そのような意味で味わい深いものとなることを期待して、送る言葉としたい。
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