お寺さんぽ Ver.03

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聖護院門跡 (京都)

2006年08月25日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都は左京区の聖護院(しょうごいん)です。

写真があるので、確かにココ行っているはずなんですが、まったくひでるさん記憶ありません。
時間が遅かったか…あるいは、予約が必要だったのかな……聖護院HPには予約うんぬん書いてありましたが、必須という記述はなかったです。
なんだっけ?まぁ、いいか。

さて、この聖護院。
添付した写真の看板に「総本山」という文字が見えると思うんですが、ここは「本山修験宗」の総本山です。
修験道…ならわかりますが、「修験宗」なんては知りません。
なんなんでしょう?

えっと、そんな訳でこれを調べたんですが、文にするとエラク分かりづらいので、箇条書きにてお送りいたします。


い) 増誉大僧正
時代は平安。
ここに増誉大僧正(ぞうよ・だいそうじょう)という方がおりました。この人葛城山で厳しい山岳修行を行い、最終的には”天皇の護持僧”にまで出世した、たいそうすごい方なんです。

ろ) 白河上皇
護持僧であったその増誉さんは白河上皇の熊野三山参拝の案内役に抜擢されると、これを見事に務め、その功により寺をもらいます。
このお寺こそが「聖体護持」の二字を取った、「聖護院」なのです。

は) 熊野三山・検校職
よほど「増誉」の案内が行き届いていたのか、聖護院を貰っただけでなく、「熊野三山検校職(くまのさんざんけんぎょうしょく)」にも任ぜられています。

この熊野三山ってのは「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの神社でして、昔から修験道の地として有名だったところなのです。
でねでね、「熊野三山検校職」はその修験者(神社)たちの最高責任者みたいなものなんですよ。最盛期は全国二万という末寺を抱える、一大修験集団にまでなったそうなのです。
ちなみに、
伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり
なーんて言われるほど、一時期は熊野参拝が盛んであったのでした。

に) 静慧法親王
静慧法親王(じょうえほっしんのう)は「後白河上皇」の皇子さまさまです。
その静慧法親王が「聖護院」に入ったことで、代々の法親王も入寺していく「宮門跡寺院」としての地位を固め、当時属していた天台宗内でも特に重要な地位を占めることとなるのです。
さらに、「後白河上皇」は熊野に自領を有しておったんですよ。
それがため、熊野との結びつきもここでより一層強くなっていくのです。

ほ) 本山修験宗の設立
その後、ほとんどの京都寺院同様に「応仁の乱」など数々の戦火によって度々焼失。再建と移転を繰り返し、現在の位置に落ち着くのは延宝四年(1676)、江戸時代では将軍「徳川家綱」の頃でした。

その後、明治元年(1868)の「神仏分離令」、明治五年(1872)の「修験道廃止令」によって一時は天台宗に属しますが、昭和二十一年(1946)に本来の教えに近くなる「修験宗」を設立。
さらに昭和五十七年(1982)には現在も続く「本山修験宗」が設立されるのでした。

…と、まぁそんな訳で、こちらには修験道に関連した「役行者」や「蔵王権現」があり、さらに本尊は平安時代作の「不動明王」なのです!
興味ある方はぜひどうぞ!事前に予約しておけば完璧なはずです!


[住所] 聖護院門跡 京都市左京区聖護院中町15

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