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九頭龍川合戦の宗滴さま (朝倉宗滴)4

2006年10月29日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は宗滴(そうてき)の名前が有名な、越前は朝倉家の英雄、「朝倉教景(あさくらのりかげ)」です。

守護大名、富樫氏を滅ぼして加賀を支配した「本願寺」一向一揆勢。
指揮する蓮如の子「本泉寺蓮悟(ほんせんじ・れんご)」はなんと越前侵攻の気配を見せるのでした。
檄文によって集合した門徒衆は二十から三十万。
越前は、日本は百姓・本願寺門徒の国となってしまうのか?!
出撃する宗滴さまの両肩には日本の未来がかかっていたのでした。
…ちょっと大げさですが。


■永世三年(1506) [九頭龍川合戦]

圧倒的な大軍勢によって侵攻する「本願寺」一向一揆勢。
この当時は越前全域を支配下としていた朝倉家ですが、さすがに独力で抵抗はできません。
九代「朝倉貞景」はやたら勢力を拡大して目障りな「本願寺」と対立していた寺社勢力に目をつけ、こちらと結びます。
それら反対勢力を加えても、兵力としては「本願寺」一向一揆勢の十分の一程度であったようです。
とりあえず篭城か?一か八か出撃するか?

ここで総大将に指名されたのは我らが「朝倉宗滴」さま。
宗滴は「斉藤民部丞」「朝倉景職」ら主力を率いて、九頭龍川(くずりゅうがわ)に布陣。
出撃する積極策をとったのです。
これは富樫氏の時と違い、援軍が期待できなかったこともあるでしょう。

九頭龍川にて激突した初戦では、圧倒的な兵力差で押されていたものの、宗滴指揮のもと朝倉勢は互角の戦いを見せていました
おそらく宗滴はこの初戦で攻略の糸口を掴んだのでしょう。
後の判断、そして指揮は見事なものでした。

続く戦いで宗滴は「本願寺」一向一揆勢の機先を制し、九頭龍川を強制渡河します。
川の流れが急であったため、朝倉勢の来襲は予想外のものでした
不意をつかれた「本願寺」一向一揆勢はこれで大混乱に陥ります。

元々烏合の衆であり、また圧倒的な兵力で勝っていたことで油断もあったのでしょう。
防戦することもままならず、総崩れとなるのでした。
ここで敗れたのは全体の一部に過ぎませんでしたが、そちらの壊滅によって他の部隊も途端に浮き足立ち、収拾することもできぬまま加賀へと敗走するのでした。
宗滴率いる朝倉勢はこうして最大の危機回避に成功するのです。


九頭龍川合戦に大勝した朝倉勢は多くの門徒衆が集う一揆勢の拠点、「吉崎御坊」(※越前国吉崎)を続いて攻略。
さらに、国内の関連末寺をことごとく破棄し、越前から「本願寺」一向一揆勢の掃討に成功するのです。

滅亡の危機を救った「朝倉宗滴」の名声は大いに高まり、以後も数々の合戦にて指揮・活躍をすることとなるのです。

⇒つづく 次回は「東奔西走の英雄、宗滴さま」


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※一向一揆でチョイスしてみました。
 朝倉家がどれだけ実力があっても、天下を取れない理由のひとつがコレ。
 対抗するならば、それこそ信長のように” 根絶やし ”にしないと無理でしょう。
 事実、後に「前田利家」は徹底的な殲滅作戦をとっているのです。


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