お寺さんぽ Ver.03

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修禅寺 (静岡県・伊豆市)

2009年07月16日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は静岡県伊豆市は温泉地として有名な「修禅寺(しゅぜんじ)」について、です。

この修善寺町には、なんと縄文時代からの遺跡が発見されています。
しっかりと歴史に登場するのは、平安時代のこと。
大同二年(807)
かの「弘法大師・空海」とその弟子によって開かれました。
当時は密教形式の堂宇が建ち並び、伊豆ではトップクラスという大寺院であったようです。
それ以後四百七十年ほどは、真言宗に属していました。

なお、その頃は桂谷という地名そのまま「桂谷山寺」という寺名。
しかし、いつの間にか改名したらしく、鎌倉時代頃には現在の「修禅寺」と呼ばれています。
ちなみに、寺領であった地名もそのまま「修禅寺」とされたのでした。

建久四年(1193)
猜疑心の強い「源頼朝」から睨まれた弟「源範頼(みなもとの・のりより)」は、ここ「修禅寺」に幽閉されて誅殺。
さらに、権力闘争に巻き込まれた二代将軍「源頼家(みなもとの・よりいえ)」も元久元年(1204)に「修禅寺」へ幽閉され、暗殺されるのでした…。
源氏にとっては微妙な歴史の残るお寺なんですね。
続いて建治元年(1275)
中国から来日していた禅僧「蘭渓(らんけい)」ですが、大陸からのスパイであると容疑をかけられ、この地へ逃亡。
もともと臨済宗を広めにやってきた彼が長く滞在していたためか、以降二百二十年は臨済宗となりました。
ちなみに、庶民人気の高い(※)五代執権「北条時頼」もこちらの「蘭渓」によって深く臨済宗に帰依しており、一時期は宋の皇帝から勅願が下るほど中国でも有名になっていたのです。
(※時代劇”水戸黄門”のように諸国漫遊をしたとされる)

南北朝時代の康安元年(1361)
伊豆国守護・関東管領であった「畠山国清」の謀反に巻き込まれて被害を受け、さらに応永九年(1409)の大火災によって、伽藍のほとんどを焼失してしまうのでした。
それ以降は荒れ果てた「修禅寺」ですが、時は流れて戦国時代。
伊豆を攻め取って韮山城に入った「北条早雲」は、荒れ果てたお寺を見て莫大な寺領を寄進。
名刹再興したのでした。
現在の本堂は明治に再建されたものだって。
ちなみに、最終的には曹洞宗になってます。


※温泉「大師の湯」 湯気出てたんですけど…わかるかなー??

寺宝として「修善寺物語/岡本綺堂」の原作となった古面ほか、貞観年間(平安時代・初期)頃の作と言われる「大黒天」などもあるこちら。
…なにげに、こちらの手水は温泉「大師の湯」である点が最も驚きました
あったかいのよ。


[住所]
 修禅寺 伊豆市修善寺964 (※寺名と地名で漢字違うの)

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※そんな訳で水戸黄門です。
「北条時頼」の世直し諸国漫遊ってのも面白いと思うんですが…どう?