お寺さんぽ Ver.03

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対立する後見者たち (三好家の人々)4

2009年06月14日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
戦国時代に”三好政権”を築き上げた、畿内の覇者「三好長慶(みよし・ちょうけい)」
しかし、その晩年から広がった暗雲は、三好家の前途に暗い影を落とすのでした…。
そんな訳で今回も「長慶の死後にいったい何が起こったか?」をお送りいたします。


永禄七年(1564)
養子「三好義継」は三好三人衆の後見を得て、家督を相続しました。
その翌年、三人衆と「松永久秀」は何かと邪魔であった将軍「足利義輝」を襲い、これを自害させてしまうのです。
とりあえず三人衆と歩調を合わせていた久秀ですが、そんな関係はあっさり崩壊するのでした


切っ掛けは、色々取りざたされています。
禁中で預かっていた将軍家の神器「小袖鎧櫃(こそでよろいびつ)」を久秀が勝手に持ち出したとか。
大和を支配した久秀に対し、興福寺がその排斥を訴え続けていたとか。
幽閉されていた「覚慶」を取り逃した責任問題を彼になすりつけたとか。
…ともかく、そういった様々な切っ掛けがため、「成りあがり者」といままで押さえていただろう感情が爆発してしまったのでしょう。

永禄九年(1566)
三人衆の「岩成友通」、「三好政康」らは後継者「三好義継」と共に和泉へと出陣。
また、松永勢に追われていた筒井家の当主「筒井順慶(藤勝)」も、この際に三人衆らと結び、松永勢の攻撃軍に加わっております。
一方の「松永久秀」は、紀伊に逃れていた仇敵「畠山高政」、根来衆らと結び応戦しました。

しかし、「安宅信康」率いる淡路水軍が摂津へと上陸し、久秀方の城を次々と包囲。
久秀が河内に出陣して留守となっていた大和でも、三人衆からの援軍を得た「筒井順慶」が自らの居城・筒井城を奪還し、翌年の「上芝合戦」では三人衆の軍勢と共に久秀勢を打ち破っております。
さらに阿波より「篠原長房」の援軍を得ていた三好勢は終始優勢で、ほどなくして畿内を制圧したのでした。
年末頃にはついに彼の本拠地である大和まで兵を進め、居城・多聞山城を包囲するまでに至ったのです。
久秀、大ピンチです

永禄十年(1567)
しかし、「松永久秀」と戦う前後あたりから、三人衆らはなんと主君であるはずの「三好義継」とも対立するようになっていました
これは、当主となったものの傀儡であることを期待された義継が反発した事が原因なようです。
真実かは不明ですが、その対立をさらに久秀が煽っていたとも言われ、両者の対立は決定的なものとなるのでした。

この、多聞山城包囲の際にはほぼ軟禁状態であったという義継ですが、無事に脱出。
久秀に迎えられた義継は、三人衆に対抗したのです。
(※おそらく義継自身には力ないでしょうけれど、正式な後継者である彼を迎えることで大義名分を得ることができます)
こうして、大和での戦いは激しさを増し、戦火はたちまち周囲の寺社へ被害を及ぼしました。
その最たるものが、あの有名な”大仏殿の焼失”なのです。

⇒ つづく。
  次回は「久秀、東大寺を焼き打ち」(5/9)

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※こないだ知りましたが…なにげに「松永久秀」が登場するようです。
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