妻の出身地で今も義母・義姉など親族が住む村は、ウドンタニー県の端の郡のそのまた端に位置する農村だ。
戸数は4-5百あり、タイ東北部=イサーン地方としては大きい村だろう。
上の写真でも見えるように赤土{ラテライト}の土質で、栽培できる植物が限られる。
ここでの農業は、米・タピオカいも・さとうきび栽培などが主な物。
このほか、竹で編んだ「チップ・カオ{おこわ入れのかご}」の生産が盛んだ。
新婚時代1年間をノンカイで暮らした私と妻は、義父のさそいもあり、この村に家を新築して暮らすことになる。
この家は最初、柱が12本の大きい高床式木造住宅として新築。その後1階部分レンガで囲い、広い居間として使用してきた。上の写真は1階部分も作ってからのもの。
長女・次女の誕生、そして子育てをここで8年間してきた。
今はこの家に義母が住んでいる。
14年前、子供たちの教育のためノンカイに家を購入し、家族で移り住んだ。
ノンカイに住みだしてからも妻は度々村に帰るが、私はノンカイで留守番のことが多い。
今回、村に帰るのは1-2年ぶりかな?体調が優れないこともあった。
私が居た頃から比べると、この村もいろいろ変化している。
まず、1-車の所有が大幅に増えている。あの家もこの家もという状況。
20年前、私が「イスズ・ロデオ号」を購入した時は、この村で「新車購入2番目、初めての4輪駆動車」ということだった。
2-鉄筋コンクリート造りの家が増えた。
木材の価格が高くなり、コンクリート造りのほうが安上がりという。
3-村出身の娘とファラン{白人}の結婚が多くなった。
私も小さいころから顔見知りの妻のいとこの娘も、そうだということだ。
パタヤあたりに誰かが働きに行きだして、その繋がりで増えたのだろう。
新しいコンクリート造りの家の多くは、そのミヤ・ファラン{白人と結婚したタイ妻}が建てたもの。もちろん、資金は夫が出したのだ。
4-前にも増して、海外への出稼ぎが多い。
妻の親族でも、次兄は台湾やリビアに行ったし、長兄の嫁は韓国で働いていた。そして今、姉の長男が韓国のサムスンの工場で稼いでいる。
こういう変化を、どう評価すべきなのか・・・。
集落の学校の教育レベルが低くて
読み書きや乗除算でさえ怪しくなるようです。
私が住む集落の学校へ通うのは貧困家庭の子供だけで、
集落の子供の半分以上は街の学校へ通います。
私はそれを知らなくて郊外へ住みましたが
なんとか街へ通えるので
家を建て直さなくて済みました。
それでも送迎の手間や燃料費の負担は大きいです。
確かに村の学校では教育程度が低く、陽子の年上のいとこ達は、勉強では陽子に敵いません。(マジ)
もし村の家に住みながら街の学校に娘が通うと、毎日朝夕の2回の往復で100km以上も掛かり、ガソリン代も馬鹿になりませんので、長期的に考えて我が家は街に、新しく娘の為の家を建てたのです。
子供に良い教育環境を与えるのは、親の責任ですよね。
長女は集落の小学校付属の幼稚園に2年通いました。
最初の1年はベテランの教師で良く教えてくれたのですが、2年目の教師がダメ先生でした。公務員天国に甘えて、まともに教えてくれません。
それで、ノンカイに転居し、当時時間講師で勤務していたキリスト教系の私学に入学させました。長女は小学1年生、次女は幼稚園年少組への入学です。
1年生に入学した長女は、同級生と比べタイ語が附いていけません。この学校ではそんな生徒を特別学級に集め、タイ語の特訓をしてくれました。2-3ヵ月後になんとか元学級に復帰できました。
皆さん 同意見ですね。
また街に家があると、田舎の親族の「街の拠り所」になります。買い物や通院のたびに立ち寄ってくれます。