楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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小林一茶「七番日記」(旧中山道を歩いて気づいた事6)

2013年01月20日 09時30分51秒 | つれづれなるままに考えること
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(猫じゃらし)

(旧中山道群馬県には行って最初の 新町宿)
岩波文庫の小林一茶の「七番日記」に、
興味深いことが巻末に記されているので紹介したい。

「七番日記」の頃の生活と題して、巻末に解説がある。
その中に菊という女性と結婚した一茶は、
(夫婦仲むつまじく、「婦夫月見」文化十三年八月十五日、
「菊と中山萱刈 萱取 栗拾い」同年九月五日、
といった微笑ましい記事も散見する。
一茶の結婚生活はひとまず順調にスタートを切ったらしい。
しかし、時にはいざこざもあったらしく、日記の八月二日の項に、
夕方菊女の姿が突然見えなくなったので、
「古間川まで探すところ不見、
然所家尻に洗濯していたりしとかや」という事件があった。
川まで捜しにいったというところに、一茶の狼狽振りが窺がわれる。

翌日の記事には
「春さしたるボケ、青々と葉を出したる所
菊女一旦の怒にひきぬく」とあり、
余憤いまだ収まらずの感がある。
菊女は赤川の実家に帰り、相談などもしたらしいが、

八日には
「夕方一雨(中略)菊女かえる、夜五交合」
とめでたく和合している。

それよりしばらく「寒 夜雷雨(中略)三交」とか、
「墓詣 夜三交」
「通夜大雷 四交」とか記事が続き、
この前後には、強精用の薬草を採取する記事も見える)
とある。

日記だから人に言えぬようなことを書いているが、
一茶の生活ぶりが如実に窺がえ、微笑ましい。
(岩波文庫:巻末の解説からの抜粋)

しかし、如何に精力絶倫とはいえ、
夫婦生活は、実際には一夜に五交、
四交など余ほどの若さでないと実行不可能である。

ボクは結婚したのが28歳で当時は晩婚であった。
当時定年は五十五歳であったので、子供を定年までに
大学を卒業させて置きたいという願いから、
33歳までに産み終えておきたいと思った。
だから、すぐにも子供が欲しかった。
しかし、結婚して三ヶ月たち四ヶ月たっても、兆候が無い。
そこで産婦人科に夫婦で通うことになった。
夫婦共に異常は見つからなかったが、カミさんが毎朝体温を
測ることになった。
一ヶ月二ヶ月経ち、体温表をグラフにして産婦人科に通うこと三ヶ月。
その第二週に入った時、医師から

「今日から三日以内に、頑張れば子供が出来る」と言われた。

この時、ずいぶん「頑張って、それでも夜三交」であった。
そして長男が生まれた。  

 参考までに・・・
コメント (8)
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