自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

“大阿闍梨”酒井さんの死

2013-11-27 | 随想

今年お亡くなりになった方のうち,酒井雄哉(哉のノなし)の死は一際こころに残るものがあります。

酒井さんは,比叡山天台宗大阿闍梨で,延暦寺長寿院不動堂の住職であった方です。46歳で千日回峰行を始めて,なんとこれまでに二度もそれを成し遂げられたのです。ひとことで二度というのはたやすいことですが,過去千年で三人しかないといいます。荒行ゆえに回峰行の多くは30代での達成であるのに対して,酒井さんは二度とも53歳,60歳という高齢での満行です。年齢を考えただけでも,途方もなく困難な壁を乗り越えた意志力の持ち主であることがわかります。(講演で「自分にはそれしかできない」とじつに謙虚ないい方で振り返っていらっしゃる姿は実直そのものでした)

手許に,酒井さんの口述をもとに書かれた古い本があります。書名は『行道に生きる』,著者は作家の島一春さん。カバー表写真は幽谷の山中を回峰行で歩き続ける酒井さんがポツンと写っています。白装束から,行道の荘厳さが伝わってきます。カバー裏面は回峰行で使い古した草鞋の列。荒行の経過を物語っています。

 

表表紙を開けると,酒井さんの署名があります。

 

 

その経緯について触れておきましょう。

生き方や考え方について真摯に語り,黙々と実践に徹する人には,どこかこころが惹かれるところがあります。酒井さんのそれは,わたしにはかなり強烈な印象を与えました。『行道に生きる』で語れられていることばは,まことのやさしさ,ごまかしのない厳しさを感じさせてくれます。押し付けのない,普段着のことばに,生き方の指針を感じとることができます。

学校管理職時代,わたしは文中のことばをよく思い出し,ときには引用もさせていただきました。それほどにわたしのしごとに影響を与えた本なのです。

あるとき,酒井さんが神戸市に講演に来られるという情報が入りました。主催は神戸市教育委員会です。もちろん,まずはなんとか聴講できないかと思いました。当時わたしは教育委員会勤務だったので,比較的時間の都合がとりやすい立場にありました。それで仕事の都合をつけ,会場である神戸市総合教育センターに出かけていくことにしました。

初めて目の前で話をお聴きする酒井さんは,気さくな,柔和なおじさんという感じでした。ぼそぼそとした口調で語られる話は,流暢な話術と正反対で,とても親近感が感じとれました。ちっとも,えらそぶったところがないのですから。ご自分の生い立ちや考えてきたこと,回峰行のこと,今考えていること,そんなことを赤裸々に平易なことばでとつとつと話されていきました。

講演が終わって,わたしは窓口に行き,酒井さんとの面会を是非お願いしたい旨を申し出ました。係の方が確認に行かれると,「すぐに来てくださいということです」とおっしゃって,わたしを部屋に案内してくださいました。そこには,酒井さんや関係者がいらっしゃいました。わたしは手早く面会を希望した趣旨を伝え,著書にサインをしていただけませんかとお願いしました。

すると,酒井さんはわたしの持っているマジックではなく,部屋にあった筆ペンを手にして,「そういうことなら,サインをさせていただきしょう。わたしの好きなことばです」といいながら,書かれていきました。なんとも気安く。

その日の出来事がくっきり脳裏に刻み込まれています。酒井さんのこころは文字として残り続けます。酒井さんの人となりは,わたしのこころに残り続けます。合掌。

 


ヒメハラナガツチバチのからだ

2013-11-27 | 昆虫と花

キンケハラナガツチバチのメス個体を見てから数日後,こんどはヒメハラナガツチバチのオスが訪れました。 

腹部の黒さ,その光沢感が際立っています。黄色い帯紋もまた艶があります。その後縁には黄色い毛が並んでいるように見えます。

 

触覚の立派さはオスのシンボルです。体長の半分の長さはあるのではないでしょうか。からだで花を抱え込むようにして蜜を吸っています。これでは,他の昆虫は近寄れないでしょう。 

 

口吻が花の奥に入り込んでいます。いかにも突き刺している感じがします。ゆっくりゆっくり吸っていました。 

 

さらに近寄って,からだの横側から観察しました。頭・胸・腹,それに脚もしっかり毛で覆われています。 

 

動きが機敏だなあという印象はありませんでしたが,あっさり花から離れたのには驚きました。パッと飛び上がったかと思うと,羽音を残して,舞い上がっていきました。その滑らかな動きは威風堂々としたものでした。