SANGO! キジトラ猫と魚と私

4キジトラ珊瑚・醍醐・苺・林檎の楽しい毎日や猫グッズのお話です
時々旅行・ダイビングについても書いてま~す

小野川温泉に行ってきました(6)

2017-04-11 12:00:00 | 旅行(国内)
マリンハットもレースのスタイも可愛いですよね
珊瑚も苺も、これでデートはバッチリかしら
3COINSさん、またペット用品の企画をお願いしま~す


それでは小野川温泉旅行記に戻ります

上杉藩と言えば、名君「上杉鷹山」が最も有名です
第9代米沢藩主(上杉治憲)

寛延4年(1751年)に日向高鍋藩主、秋月種美の次男として生まれ、
宝暦10年(1760年)、10歳で米沢藩8代藩主重定の娘幸姫の婿養子となりました
14歳の頃から細井平洲に師事し、君主としての知識を磨きます

鷹山は17歳で家督を相続しますが、当時の米沢藩は莫大な借財をかかえて身動きが取れない状態でした
この困窮した藩を立て直すために、
•民の父母の心構えを第一とすること
•学問・武術を怠らないこと
•質素・倹約を忘れぬこと
•賞罰は正しく行うこと
を掲げ、鷹山は復興を誓います

しかし、建前や伝統を重んじる年上の家臣と 若い藩主の鷹山でしたから、
最初から上手く改革が進んだ訳ではありませんでした

大倹約令の実施
江戸藩邸での藩主の生活費をおよそ7分の2とし、
日常の食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中も50人から9人に減らしました

農業開発と籍田の礼
中国の例にならい、遠山村で藩主が自ら田を耕す「籍田の礼」を執り行い、
農業の尊さを身をもって示しました
以後、刀を鍬に持ち替え家臣あげて荒地開発や堤防修築などが次々に実施されました

殖産興業
もともと米沢藩の特産品であった青苧を使い、武士の婦子女に内職として機織りを習得させました
その後、桑の栽培と養蚕を奨励し、絹織物に移行します
その他にも製塩、製紙、製陶などの産業も興しました

藩校「興譲館」の創設
鷹山は「学問は国を治めるための根元」であるとの強い考えを持ち、
安永5年(1776年)、城下の元篭町に藩校「興譲館」を創設しました

学生は有能な家臣の子弟から20名選んで無料で入館させました
この興譲館からは、現在に至るまで多くの偉人が輩出されています

しかし、そんな米沢藩を天明の大飢餓が襲います
天明4年、米価は1俵が平年の2倍から5倍にも跳ね上がったため、
鷹山は新潟や酒田から米1万俵を買い上げ領民に分け与えました
この政策により米沢藩は1人の餓死者も出しませんでしたが、
藩財政は大きな打撃を受けてしまいました

飢餓救済の手引書「かてもの」の発行
この経験から藩政の重臣にいた莅戸善政は、日頃から代用食となる動植物の調査、研究が必要と考え、
藩の侍医矢尾板栄雪らに食用となる動植物の研究を命じました
そして、自ら飢餓救済の手引書を執筆します

その内容は、草木果実約80種類の特徴と調理法について、
また、食料の保存法や味噌の製造法、魚や肉の調理法について詳しく書かれています
執筆から2年後の享和2年、鷹山の意をくんで「かてもの」
(かて物・主食である穀物とともに炊き合わせ、食糧不足に陥った際に節約するための代用食となる食物)
と命名され、1575冊を刊行、藩内を中心に配布されました


天明5年(1785年)、鷹山は35歳という若さで家督を上杉冶広に譲り隠居します
(↓御隠殿跡の餐霞館遺跡です)

その際に君主としての心得を記した「伝国の辞」を冶広に残しています
 一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
 一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候

引退後も、鷹山は冶広の強い要請によって、相談役として藩政に参与しました

「寛政の改革」では上書箱を設けて、藩財政再建のための意見を家臣のみならず、広く領民からも求めました
その意見を集約して藩費を半減し、残る半分を借金返済に向け、
16年で完済するという思い切った計画をたてました

また、寛政6年(1794年)には、米沢の北部に総延長32kmにおよぶ農業用水「黒井堰」工事に着手します
同11年(1799年)には飯豊山に導水トンネルを掘って置賜の白川に引水するという大工事に取り組み、
置賜の田畑は潤うことが出来ました

文政5年(1822年)3月12日、体調をくずしていた鷹山は、72歳でこの世を去りました
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」
は鷹山が残した有名な言葉です。

平成19年(2007年)、読売新聞が日本の自治体首長に行った「理想のリーダー」アンケートでは、
上杉鷹山が1位に挙げられています

今の政治家にも、鷹山先生の教えを学んでいただきたいものです
本日の解説も米沢観光ナビから引用させていただきました

松岬神社(上杉神社)
明治35年、上杉神社に上杉謙信とともに祀られていた上杉鷹山が
松岬神社に分祀されました

鋭い視線を感じると

最初に出会ったハチワレちゃんとは正反対の、
ワイルドなにゃんこでした

上着も片肌脱ぎで 役者さんみたいね

「おべんきょうしたら はやくかえれ!」と言ってるようで

数枚だけ撮影してその場を離れました

バスの時間まで スイーツを食べながら待ちます

黒蜜・きな粉・小豆がトッピングされたソフトクリーム
美味しかったです〜

明日はいよいよ 小野川温泉のお話です


おきてがみをはじめました
足跡代わりにご利用くださいませ
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コメント (15)
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