ひだまりクリニック~産んだ後にも母親学級~

杉並区で小児科医がひらいている母子で集えるクラスです。

支援者とはどうあるべきか(勝手におもってることですからね)

2015-02-11 11:15:26 | 母親への支援

うお座のメッセージ本を読んでたら、思ってることをすぐに行動しろとあったので、

今日は書いてみます。

(思ったときがマックスで、それがいいことにつながるんだって、持続性がないからね、うお座は。思ったことを書かないままということあるんです、結構)

 

今、ひだまりクリニックをどうしていこうかと考えている最中です。

もちろん、今の状態は一番大事です。

これからも来てくださる方にベストのことをしたい。

でも、母親を支援することでもっとできることがあるかもと思ってて。

グリーフケアというものに年末に何回か触れる機会があり、

それをひだまりでできないか、とか。

最近、続けて実際におっぱいで困っている方がいらっしゃってて、

私にできることはしているのですが、やはり、限度があって。

もっと助産師さんと協働できないかと考えたり。

で、多くの方々と話し合う中で、もう一度、支援というものを考えてみました。

今の自分の支援者はこうあるべきと思うことをしっかり書いておきます。

これは、誰かを非難する文章ではないです。

私に向かって書きます。

私が、どんなに忙しくっても傷ついた状態であっても、守らなければ!とおもっていることです。

年末に「自分の一年、一文字の漢字にすると?」というワークショップがありました。

私はちょうど忙しさの真っただ中にあったのもあって、

思い浮かぶ漢字は「忙」とか「慌」でした。

心が「亡い」「荒れている」状態は支援する人のいい状態じゃないと反省しました。

で、こんな風に考えました。

 

1 支援するとき、支援者は、常に支援される人のことを第一に考えていなければいけない。

2 自分の技量・度量を常にあげていく努力をしなくてはいけない。

医療者なら、常に勉強をしなくてはいけない。エビデンスもわかっていないといけない。国にお墨付きをもらっっている医療者なんですから。

医療技術や知識についても、コミュニケーションスキルについても。

3 自分の発する言葉の影響を常に意識しなくてはいけない。

特に特殊な状況の人に対して、その影響力を意識しなくてはいけない。

4 この人はこういう人と、決めつけてはいけない。

そこからは学びがなくなる。

自己の考えに凝り固まってはいけない。

5 自分の余裕を持たないといけない。

6 一人で抱え込んではいけない。信頼できる仲間を作っていき、違いを信頼で乗り越えないといけない。

7 自分の人間関係も守り、健全なパートナーシップと境界線を認識しなくてはいけない。

8 支援者は自分の立ち位置をしっかり考えないといけない。決して、支援者が上に立つようなことになってはいけない。

支援する人と支援される人は対等でないといけない。

9 学ぶ姿勢は、常に持つこと。支援される側から学ぶことが多いので、支援しつつ学んでいることを忘れてはいけない。先生であると考える。

10 支援者は、支援される人が幸せだと思うことにつながる支援をしなければならない。

幸せや納得は一定の形ではない。特に医療ではそうである。

11 支援者が一番尊重するのは、支援する人の気持ちである。どうしたいのかを大事にして、できることを一緒に考えていくという姿勢でいること。

12 支援される人の価値観を尊重すること。

13 支援者は成長できるように見守ること。手出しをしすぎないこと。

依存関係を作らないこと。その人が自分できるように教えて見守り待つこと。

支援が支配になってないか、常に考えること。

14 支援することが幸せでありたい。

15 自分の幸せも求めるべきである。よい支援は不幸だと思ってる人には難しい。

16 人に信じてもらえる人間にならないといけない。

人に信じてもらうためには、人を信じないといけない。

(ただし、限度はあり。犯罪に巻き込まれてはいけない。あたりまえ)

 

さて、いろいろと書いてみて・・・推敲もできてないけど。

いつも気を付けているつもりの大切に思っていることなんですが。

でも、私が意識してないところで、傷つけている人もいるだろうと思います。

というか、そういうフィードバックをきちんと受けたこともあります。

(この場を借りて、ごめんなさい)

産後とか病気を抱えてるとか、悩んでいる人は、とても傷つきやすいから。

傷ついた人の言葉で多いのは

「その人にそんな悪気がないのはわかってるんです」なんですね。

だけれど、傷つくのです。

きっと、私にも悪気なく傷つけてしまった人がいる。

何人もいることだと思う。

言い訳をしてはいけないと思う。

一生懸命してても、ベストでやってるつもりでも、傷つけてしまうことがある。

怖い仕事だと思う。緊張感の必要な仕事だと思う。

けれど、本当に小さい赤ちゃんとお母さんと接することのできるこの仕事が好きだ。

赤ちゃんが成長すること、お母さんが成長すること、そばで見ていられる仕事。

なんと幸せなことかと思います。

頑張りたい。

地域で連携して、よい支援ができるようになりたい。

妊娠出産子育てを流れの中で支えたい。

お母さんと子どもの笑顔があふれる街にしたい。

心からそう思います。

支援って、子育てに似てるね・・・と思いました。書きながら。

 

熱くて長い文章、おつきあいくださってありがとうございました。

 


クレオの講演会 杉山春さんのお話しをきいてきました。

2015-01-14 00:22:31 | 母親への支援

「ルポ 虐待」を読んで以来、いつか直接お話しを伺いたいなと思ってた杉山春さんのお話しを伺えるということで思い立って(いつもこれ)行ってきました。
とってもよかった。

虐待するのはなぜか?

・支援を受けられることを知らない、助けてもらえると思えない(助けてもらったことがない)社会を信頼することができない、深い社会への不信
・虐待してしまうことの自責の念が強い。
・自信が全くない
・「母なら育てられるはず」という社会通念をそのまま取り込んでいる。
・育てられない自分を受け入れることができない、それを外の人に知られるのが怖い

そうだよなぁとうんうんとうなづきながら聴いてました。

「ルポ 虐待」は、大阪二児放置の事件についての詳しい丁寧な取材から書かれた本ですが、お母さんはとてもひどい虐待と性的暴力を受けた経験を持つ人でした。
過酷な過去があっても誰もがするわけではないけれど、逆にいうと、自分がそういう経験をして、絶対私は虐待なんてしないといえる人っているのかな?
自分のことに引き寄せて考えられない社会だから虐待がなくならないんだと思います。

もちろん、どんなひどい虐待を受けていたとしても、虐待をしない人はしないのかもしれない。

でも、自覚のないところで、支えている人がいたのかもしれない。

杉山さんと安藤さん(ファザリング・ジャパンの)の対談で「虐待が減っていく要素が今の日本の社会には見出せない」という話が出てきて、このような活動を熱心にされている二人がおっしゃっていることに、とても悲しい現実を垣間見ました。

私は、産後ケアに虐待予防の一つのとっかかりをみているのだけれど、違うだろうか?
母親が子どもを産むとき、その子の幸せな将来を願いながら産むはず。

虐待しようと思って産む人はいないし、離婚しようと思って結婚する人もいないはず。
きっと、母親が大事にされて尊重されて人を信頼することができれば、助けてもらうこと人に頼ること、頼っていいこと抱え込まないでいいことを知ることができると思うのだけれど。なんとか社会のどこかとつながって助けを求めることができるのではないかと思うのだけれど。

 そんな単純なことではないという声も聞こえてきそう。

そして、簡単な答えはないし、万全な正解もないように思う。

けれど、できることをするしかない、自分ができると思うこと、いいと思うことを信じてするしかない。

信じることを、できることを、祈るような気持ちでやっていくしかない。

何かこまったことがあったら、ぜひ思い出してね。

何もできないかもしれないけれど、何かできないか一生懸命一緒に考えるからね。

そんなことを口にしたりしたことはないけれど、そう思いながら仕事をしてます。

 


里帰り先でも、赤ちゃん訪問が受けられるという話

2014-11-12 23:49:00 | 母親への支援

里帰り中でも、住民票のある場所と里帰り先の場所の管轄保健センターに連絡したら、

新生児訪問(こんにちは赤ちゃん事業というのかな、全戸訪問になってます)が受けられます。

杉並区の子育て支援課に先日確認しましたが、杉並区に里帰り出産した方も、可能です。

電話でお願いしてみましょう。

住民票のある自治体の依頼書が必要かもしれませんので、その方法などは教えてもらえるかと思います。

今日、ひだまりクラスがあり、助産師さん向けの雑誌の記者さんが見に来てくださり、

「助産師さんに対してのお話しが何かないですか?」という質問にお母さんが答えてくださって、

その話がでました。

訪問助産師さんにとても感謝しているという話でした。

おっぱいを見てくれて、適切なアドバイスをくれて、という話。

赤ちゃん事業で訪問を受けるときはなるべく「助産師さんをお願いしますといった方がいい」と

産院でもアドバイスをしてもらってたそうです。

なるほど~

助産師さんは病院でお仕事されているばかりではないんですよ。

保健センターで仕事をしてる人や地域で保健センターからの訪問をされている人、開業して母乳相談をされている人、

子育てサークルをされている人、保健所で働いている人・・・

いろんな働き方をされてます。

女性と赤ちゃんのために・・・と。

里帰りでいろいろな場所に帰って出産されている人も、居住地でないから無理だとあきらめず、

可能かどうか、一度問い合わせることをお勧めします。ダメ元で。

自治体の財政力とかも関係あるかもしれませんが。

予防接種も依頼書があれば、無料で接種するところと、それは無理とされるところ、いろいろです。

ちなみに、杉並区では、杉並区に里帰り出産されている方の場合、

依頼書があれば、赤ちゃん訪問も無料でするし、予防接種も無料でできます。

とのことです。

えらい!杉並区! 

 

 


支援と指導はどう違うのか・・・を考えてみました

2014-07-06 07:00:35 | 母親への支援

今まで、子育て中のママパパに医療情報をお伝えするという講座担当は何回かしていますが、

今月はたまたま子育て支援のプロにお話しする機会が二回も。

「子育て支援とは」というまさに、そのテーマも含めてのお話をすることになりました。

保育士さんの卵さんたちにするお話が昨日あり、無事終えることができました。

講演というのは、いつも緊張しますし、届けたい思いがあっても、どれほど届いているかしらと不安ではあります。

漠然とした思いを届けるために言葉にする、それも、伝わる言葉にするというのは、なかなか私には難しいです。

(でも、こういう機会があるからこそ、自分でも気持ちを確認できる作業になりありがたいのですが)

今までとってもお世話になってきた保育士さんへの感謝を込めて、これから保育士さんとして働こうという方にお話しました。

病気や事故やけがの話は、ママパパにするお話と基本的には同じです。

親が見ていない情報は確実に伝える、その情報をもとに親が受診することになる場合は特に重要なことです。

だから観察・記録・伝達はとても大事ですね。

その話だけでなく、今回はどうしても盛り込みたい話がありました。

保育士さんたちに届けたい応援する気持ちです。

母親を支えるあたたかい手と目は多ければ多いほどいいと思います。

その一部が医療であり、保健福祉ですけれど、やはり普通の日々は保育士さんや幼稚園の先生に支えられている部分が大きいです。

働くお母さんにとっては、その支えはとても大きなものです。

保育士さんとお別れのときに交わす一言で、へとへとだったのにご飯を作る元気が出るってこともあります。

「お疲れ様。今日も頑張ったね~」と言われて、心の重荷を少しおろすことができることもあります。

悩んでいたことが解消することもあるし、プロの技にびっくりすることもあります。

でも、プロとして言わないといけない!と思うことがある場合もあるでしょう。

医療面でもあります。

生活リズムや食習慣など・・・は特に保育時間の日々の生活に影響しますから、こうすべきなのに・・・とおもうこともあるでしょう。

私自身、健診の仕事で言うべきことは言わないとと思っています。

なぜなら、お母さんしかその子の生活を変えることはできないからです。

そして、それは親ができる一番のプレゼントになるからです。

病気を予防することにもつながる、元気に毎日遊べるもとになる、健やかに育っていく日々の基本になるからです。

けれど、その指導がきちんと伝わるか・・・は別問題です。

若い時は一生懸命で、経験がない分プロとして正しくないとという気持ちが強くて指導しなくちゃ、正しいことを伝えなきゃという気持ちになりがちで、ときどきお母さんに対して強く言い過ぎてしまうという失敗をしがちです。

ひだまりクリニックには、保育士さん・先生・医者・看護師・助産師という方たちが見えますが、多くの方がいうこと・・・

「今まで出会ってきたお母さんに謝りたい~」

私もそうです。

もっとどうしてやさしく言えなかったか・・・

なんで、当直の晩、あんな態度で接してしまったか・・・

子育ての苦労をして心配をして初めてこれほどわが子のことは心配で不安でということがわかりました。

だから、子育てをした人が現場に戻ると、そこも踏まえた指導ができるのだろうなと思います。

指導と支援という言葉を初めて意識したのは、保健センターの健診でのあるできごとでした。

予防接種がいやで予防接種欄が真っ白だったお母さんに出会ったときに、いろいろお話して・・・

仕事が終わった後に、保健師さんに聞いた一言です。

「最近は保健師さんってあまり指導的なことは言わないような気がする。

以前の保健師さんは、もっと正しいことを伝えようという意識が強かったし、

(ちょっと言いすぎな人もいたかも、そういう点ではよくなってるのだけれど)

今はどちらかというとクレームは困るというような意識があるのでは?」と聞いたところ、

「入職時の研修では、指導よりも支援をということを何度も繰り返し強くいわれる」とのことでした。

「指導よりも支援」か・・・なるほど・・・

とは思うものの、やはり伝えたいことは伝えたい。

では、指導が支援になる方法を探せばいいということだと考えました。

指導が支援になるようにするにはどうしたらいいのか。

その人の背景をよく知り、信頼関係を築き、どうしたらできるのか変えられるのかを考えていくことなんだろうな…と思います。

指導が一方的にならないようにして、

指導が生かされるにはどうしたらいいか、何を工夫すればいいのか一緒に考えること。

そうすることで、指導が支援として活きてくるのだと思います。

指導には上下関係のイメージがありますが、私は支援では上下関係を作りたくないと考えていて、

役割があるととらえています。

つまり、子どもを健やかに育てるために、それぞれができる役割を果たすということです。

親は親として、医療者は医療者として、保育者は保育者として・・・

結局、知ろう小児医療 守ろう子どもたちの会で医療のことを言っていることと内容が同じことになってます。

病気の子どもをケアするために、信頼しあって医療者は医療者として親は親としてできることをする。

子どもの育ちに関して、その子どもの周りの人間が信頼しあって、できることをそれぞれにする。

同じことなのです。

保育士さんの目は、集団の中で子どもたちを見守る、その関係性も客観的にみることができる、という点で、

とても貴重な視点だと思います。

親はどうしても近視眼的になりがち。

その補正を何度私もしてもらったか・・・

そういう点でも、とても貴重な目です。

保育士さんたち!頑張って!

日本の未来である子どもたちを健やかに育てる仕事。

親を育てることもできます。

私は保育士さんや先生方に育てられたと思っています。

そして、その仕事は保育士さん自身も育てるんですよね。

支援が上下関係でないというのは、仕事をしながら思っています。

私は医師という仕事をしているけれど、その仕事を通じて、多くのことを目の前のお子さんと親御さんから学んでいる。

つまり、子どもたちおかあさんたちは先生なんだ・・・ということ。

それが実感できたら、まったく上下関係だなんて思えるどころじゃありません。

その仕事が楽しくて、こどもがかわいくて、悩んでいる一生懸命なお母さんが切なくて愛しいと思えるので、

私は本当に自分の仕事が大好きで、この仕事ができることに感謝だなぁと思います。

(こういう話は全く長くなっちゃいますね~

 

 

 

 

 

 

 


母性って種みたい

2014-03-31 00:50:07 | 母親への支援

かなり昔・・・

やっと、自分らしい子育てができるようになってきたな、と思ってた頃に書いた文章をここに書いてみます。

私の、一番大事にしている部分です。

お母さんを支えること。

それが子どもに対しても結局はよいことになっていくということ。

頑張ってるお母さんを応援したいなと、そのころからずっと思ってきました。

やっと念願かなってひだまりクリニックで仕事ができるようになったのは、この文章を書いた11年後でした。

仕事のことで悩むお母さんは多いけど、まだまだこれから!いろんなことができるってことですよね。

妄想、大事です。私も11年温めていました。

このころの文章の内容、基本的に全く今と同じ気持ちです。

二人目でお世話になった産婦人科医院の子育てサークルの会報に書いたもの・・・

お母さんへのエールになったらいいなと思うので、ここにも・・・

     「母性って種みたい」

私は、自分の経験を通して、育児のためには、まず納得できる幸せな出産ができるように考えるところからだと考えています。

そして、それを伝えたいと思っています。

一人目は夫の勤める病院で、切迫早産で10週間の点滴入院をした後に出産しました。

痛いと言ってもまだまだと一人にされ、自分もぶざまな恰好をさらしたくないういいかっこしい(見栄っ張り)で、

助けを求めないまま限界まで我慢した挙句、介助が間に合わず、ひどい会陰裂傷になり、一週間後に手術を受けました。

自分のことで精一杯で子どもに心が向かないような不自然な感情に悩まされました。

「知識は健康を作らない」ということを日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)がおっしゃっていますが、まさにそのとおりの育児でした。

小児科医なんて恥ずかしくて誰にも言えないひどい育児でした。

親としての自信は何もなく、ただ人の目や平均というものが気にかかり、

ありのままの子どもを受け入れず、どうしてこの子はこうなんだろうと悩む日々・・・・

私の不安や悩みを反映していたのでしょう。とても不安定で神経質でよく泣く子でした。

(今、優しくて明るい子に育っています)

小児科医として復帰して、子どもを持っていたからこそ気付いたのは、自分の育児のおかしさでした。

ある拒食症の女の子との面談で、その子が口にした言葉が私を大きく揺さぶりました。

人間が生きる上で乳幼児期の「自分はかけがえのない存在だ。愛されているんだ」という実感がいかに大事かよくわかったのです。

病気とつきあいながら20歳になった彼女は、

「親が私を愛していなかったのではないのは頭ではわかるけど、私には、愛は伝わらなかったんです」

といいました。

愛していても伝わらない・・・なんて悲しいことでしょう。

このままでは母親としても小児科医としても中途半端なままで後悔すると思い、

今度こそちゃんとお産と向き合おう、納得の子育てにしていきたいと思いました。

念願かなって二人目を授かり、

もう納得できない疑問ばかり残る出産はもういやだという一念でさがしあてたのが産婦人科医の大野先生でした。

妊娠中の精神状態はよいものではなかったのですが、今度こそは納得できるお産をしたいという気持ちはいつも強く持っていました。

また、そのための努力も自分なりにしました。

多くの人に見守られる中、迎えた自宅での出産は、本当に多くのことを教えてくれました。

あたりまえで本質的で大事なこと、だけど、便利で効率重視のこの世の中で、忘れられがちなことでした。

それまでの苦しさゆえに学んだとも言えるし、それゆえにたどりついた幸せだとも思います。

こういうと、一人目は否定されてかわいそうとか、一人目でできなかったことを二人目で取り戻そうとしているみたいといわれることがあって

辛いのですが、苦しかったことをも認めるところから、一人目の子との新しい関係に踏み出せたのだと思っています。

それには、一人目の時の妊娠出産をしっかりふり返り理解する必要が私にはありました。

二人目の納得できる幸せなお産のあと、当時の自分と小さな赤ちゃんを思いだし、どれほど泣いたかわかりません。

支えられていない私がかわいそうでかわいそうで。

だから、育児に悩むお母さんは、私にとってほとんど分身、本当に切ない存在です。

納得できるお産は自然な母性感情の第一歩だと思います。

赤ちゃんを産んで抱けばだれでも母性を本能的に感じるかといえば、これは否でしょう。

自然な場から離れて生活し、便利なものに囲まれ、知性を持った人間は、動物的な感性を忘れていて、母性を感じにくいのではないかと思います。

私のように自分の身体や心の傷で辛い人・納得できない思いを抱えている人は、自然な母性が育ちにくい状態だと言えます。

経済的な不安、家族からの支えがない場合、孤立、夫からのDV・・・子どもや自分の病気・・・などなど、悪条件はいくらでもあります。

もちろん、個人の資質の問題も大きいし、周りのサポートは大きな因子でしょう。

でも、まず最初の満足できる納得できるお産と医療の場の温かなケアは最初の大きなポイントです。

母性って種みたいだと思います。

人がいろいろであるように、種にもいろいろあります。

固くてなかなか芽がでないものや、とても芽がでやすいもの。

育つのに時間のかかるものやら、すくすく育つもの。

夫の愛情や支えという肥料がとても芽を出しやすくしたり自分で大切に育てることが出来たり。

この場合、蒔かれた大地というのはお産そのもの、産む場所での温かい介助ということでしょうか。

最初に水をあげて手入れをするのは、お産に臨む自分と介助者でしょう。

そして、赤ちゃんと出会ってからは、赤ちゃんに鍛えてもらうこともあり、夫や家族、友人や先輩、素晴らしい本との出会いが肥料になることもあります。

赤ちゃんが母親に託されているということは、種の蒔かれた大地におひさまが当たっているということのように思えます。

試されているというか・・・頑張りなさいという天からのメッセージのような気がします。

幸せは簡単には手に入らない。

でも、あなたのいるその場所で、毎日一日一日を一生懸命生きてごらん、焦らなくても大丈夫。

そんな声がやっと聞こえてきたなぁと母親になって8年目にやっと思えるようになってきました。      

 (2012・2 あすかネット 9号から一部改変)

 

懐かしい・・・若い母親でした。

でも、お産に対する思い、母親を支援しなきゃって思いは全くかわってないですね~ 

この時と変わっているといえば、もう少し緩やかな感じになっているかと思います。

思っているのと違うお産になる場合だってあります。

どんなに努力してても、どんなに順調な経過であっても・・・

誰にだって、それは起こりえます。

どんなに医療が進歩してもです。

だから、そうなったときのことも考えてほしいということをより強く言うようになったかなと思います。

理想と違っても・・・預かった命を元気にこの世に生み出すのは母親にしかできないこと。

誇りをもって、その命を丸ごと感謝して受け入れてほしいという気持ちがより大きくなっています。

あたりまえです。帝王切開だって、吸引分娩や鉗子分娩だって。

望んでた立ち合いにならなかったとしても。

早産でも、病気がわかっても・・・

命なのですから。

自分が生み出した命を丸ごと感謝して抱きしめてほしい。

よく来たね、頑張ったね。ありがとうと・・・

そういう気持ちに母親がなるようにどこまで頑張れるか。

どこまでお母さんを大事にできるか。

それは助産師さんはじめとして、産婦人科や小児科の医療者の支えで左右されることもある。

医療者の努力で、お母さんのスタートは大きく変わることもある。

それぞれの精一杯で、母親を支えるのは医療者の大きな仕事ですね。

そんな意識を忘れないでいたいと、私も改めて思いました。