日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

こうあるべし

2018年01月16日 | 苦しむ人とともにあること
こうあるべきなんてみんな捨てちゃえばいい

ほとんどは自分の思い込みだし

押し付けてくる人は何もわかってない

本当にわかってる人って世界に何人いる?

一万人くらいはいるかな

だけどその人たちは「こうあるべき」とは言わないよね

「こうしたらどうですか」とは言うかもね。

「好きなようにしたらいい」かな。

どうあるべきかで時間を使うなら

今自分が何をしてるかよーく見る方がいい

え?

自分が何を?

そう、自分が何をしてるか

どこまでもどこまでも足元を見る

視野は広くなるべく広く

そして自分で自分を選んでいく

同じことをして同じように見えてもね

そうしたら自分が中から満たされていく

多分ね。
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馬を壊す

2018年01月15日 | 命について
今いるところで落ち着く

自分に落ち着く

I hate this word but I think I broke my horse somehow

I feel tender and totally at ease

My horse is gently lying beside me

わかった

壊れたのは

馬は

私だ
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苦しいのは苦しいまま

2018年01月15日 | 苦しむ人とともにあること

生きている限り

痛みがなくなることはないけれど

それを大きな苦しみにする必要はない

抵抗すれば痛みはそれ以上の苦しみになる


方程式もあるんだって

痛み×抵抗=苦しみ、だったかな



抵抗せず

誤魔化さず

蓋をせず


大きくせず

小さくせず

無理くり理屈や物語をくっつけず


全部、抱きしめてみる


ただそのまま、一緒にいる


そうやって

自分との関係をきちんとすれば

自然と他のことも整っていくみたい






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水底

2018年01月14日 | 苦しむ人とともにあること
あがくのをやめて静かに沈んでみた

沈むことへの恐れを手放したら

沈むこと自体はちっとも悪いものじゃなかった

自分の体の感じを時々確かめながら一日中眠った

いいも悪いも今は決めずに

暖かい場所で卵を抱くように眠った

抱いているのはわたしのような

抱かれているのもわたしのような

夕方ぼうっとしたまま起きだしたら

娘に気分はどうって聞かれた

えーと、どうかな。

まだわからない。

しばらくしてわかった

なんか軽い

また感じが変わった

私の中の何かが(私との争いが)消えて楽になったみたい

わかったのは

戻るべき目指すべき本流がどこかにあるのではないということ

どこか他所に向かうのではなく

静かに落ち着いてどこまでも深く自分を受け入れればいい

どこまでもどこまでも

どこまでも深く




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自分がきらい

2018年01月14日 | 苦しむ人とともにあること
ダメダメな時もあるよね。

自分のことが好きでないと思う時って
もうそれだけですごく辛い。

だめだめを抱きしめて眠る。

よーく調べてみる。

よく見ればそれはいろんなものでできている。

やるべきと思ってることを先延ばししてる
(と思ってる)こと、とか。

自分としてはここまでしかできないけれど
もっともっといいお母さんでありたい気持ち、とか。

だめだめを人には見せたくないと
カッコつけてるんじゃないのか、とか。

広げて、眺めて。

そうだった、そうだった。

人ってこんな中で生きているんだった。

不完全で不条理で。

でも一生懸命生きてるね。

大事なことをちゃんと大事にして

難しい難しい綱渡りをしながら。

あー
娘に甘えてこぼしているぞ
ごめんね。

そろそろ立て直してまた歩こう。

これも全部、生きているということ。










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