ONCC 争乱と人物からの日本史

戦いで世の中が変わり歴史も変わる。新発見があり、沢山の物語を生み出す。原因や人物もひも解き、新しい歴史を学びます。

大坂の陣<続き>、赤穂事件

2021-12-11 14:47:46 | 日記

日時:令和3年12月10日(金)9:45~11:45

会場:茨木市立男女共生センターローズWAM 501,502研修室

テーマ:大坂冬の陣・夏の陣<続き>、赤穂事件 大石内蔵助/吉良義央      講師:中村 武生 先生

        

      秀頼<少年期>                 秀頼<青年期>  (出典:歴史~とはずがたり~)

 1、大坂の陣  〇冬の陣の原因:茶々・秀頼の家臣統制力欠如 <前回参照>

             暗殺計画を知らず、且元へ登城督促⇒且元(家康の付家老的存在)は安全のため隠居⇒秀忠出兵

               

             早期に和睦:動員に対するメリット(領地)少ない、厭戦気分蔓延や大坂方への寝返りを危惧

         〇和睦の条件:①三ノ丸・総構破却、二ノ丸石垣・濠は豊臣方で破壊・埋立 ⇒ 大坂城の軍事的価値喪失

                ②人質は織田有楽・大野治長から呈出

                ③秀頼・淀君・大坂籠城将士(募集牢人)の身分保証

          

                                                   (出典:ウキペディア)

         〇夏の陣の原因:徳川方による総構、三ノ丸、二ノ丸破却、城濠埋立 ⇒ 豊臣の抗議も無視される

                 豊臣側、大野治房・牢人らの主戦派が主流。所領不足のため牢人の処遇に窮する

                 家康に加増要求するも、逆に大和か伊勢へ秀頼の移封か牢人解雇を迫られる

                 ➡秀頼・淀君の政治力不足(牢人を整理できなかったor牢人が城から出ていかない、脅され開戦を迫られた)

           

         〇元和偃武:夏の陣の終結で、断続的に続いた戦乱が終了し、幕末まで大規模な軍事衝突がみられなかった。

               〇=平和が続き世情が安定し、生活・学術・文化レベルが向上した。

               ✕=戦いがなく、軍事力が停滞。海外の脅威を感じず、国防体制ができてない。⇒幕末に露呈

  2、赤穂事件 〇赤穂事件の影響:「武士の鑑」との評価、以降の影響は甚大

                   ex.「襲撃の日は縁起が良い日」

                       吉田松陰:出発日を重視し、手形の発行を待たず脱藩、東北視察に出発した日

                       高杉晋作:幕府恭順の藩の保守派排斥のため挙兵した日

         〇寺坂吉右衛門の行動:吉田忠左衛門の家来・足軽、討入り後大名4家預けの時には浪士46人。

、                   ・瑶泉院(浅野長矩の妻)へ報告のためとの大石の密命説 と

                    ・討入り直後に逐電した(忠左衛門の発言)説

         〇内蔵助居住地:宇治郡西野山村(現山科区西野山)、当時のヒーロー=同時代史料の残存率高い

                 同村郷士の内蔵助身元保証の文書、萱野三平書翰、岩屋寺境内大石内蔵助石碑銘

                      ⇒内蔵助居住地は名所に。京都訪問時には宇治にも寄る(渋沢栄一も)

           

                                         岩屋寺の隠棲跡の石碑(出典:京都ツウ読本)

                                                        (記:杉谷茂治)

                       



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