三味線弾きの日常。

おもに津軽三味線弾き唄い。
ときどき地歌・上方唄。こっそり義太夫三味線。
三味の音を一人でも多くの人に届けたい。

映画『うたのはじまり』。

2020年04月02日 | 鑑賞

子どもの頃から目が悪かったから
自分の目が見えなくなること、については
何度も何度も考えたことがある。
では、耳が聞こえなくなったら?
聞こえない、とは、どういうことなのだろう。
もし、私がこの先、音を失うことがあったとしても
私はすでに音楽を知っている。
でも、一度も音楽を聞いたことがない人にとって
音楽とは、うたとは、どんなものなのだろう。


“ろう”の写真家、齋藤陽道。
20歳で補聴器を捨てカメラを持ち、「聞く」ことよりも「見る」ことを選んだ。
彼にとっての写真は、自分の疑問と向き合う為の表現手段でもある。
そんな彼の妻・盛山麻奈美も“ろう”の写真家である。
そして彼女との間に息子を授かった。“聴者”だった。

幼少期より対話の難しさや音楽教育への疑問にぶち当たり、「うた」を嫌いになってしまった彼が、
自分の口からふとこぼれた子守歌をきっかけに、ある変化が訪れる。
生後間もない息子の育児を通して、嫌いだった「うた」と出会うまでを切り取った記録。
抱いた赤子に突然泣かれ、ふと子守歌がこぼれる、誰にでもある経験。
音は「どんな色をして、どんな形をしているのだろうか?」。
無意識に現れた「うた」は一体どこから来たのか。 

お父さんが息子のためにうたう子守唄。
ことばも、節も、リズムも、まったくのオリジナル。
うたっているうちに、子どもはすぅーっと寝てしまう。
本当に、びっくりするくらいに。
あぁ、これはほんものの”うた”だ。
ほんとうに”うたのはじまり”の瞬間だ。
愛情に満ちて あふれている こぼれ落ちた”うた“は 震え こころを振るわせて 伝わる ひびく

私たちが”うた”だと思っているものは、本当に”うた”なんだろうか。
私がやっている”音楽”は、本当にそれでいいのだろうか。
なぜ、うたうのか。
表面を磨いて整えて、あるいは独りよがりに陶酔して
何かたいせつなことを見失ってるんじゃないだろうか。
そんなことを思いながら。


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►演奏予定
 4月10日(金) 西院GATTACA
 詳しくはこちら
►演奏依頼 承ります
 ステージイベント、パーティ、ブライダル、レクチャーコンサート、
 ワークショップなど、三味線出張演奏いたします。
 小さな会場でも、ご予算が少なくても大丈夫。
 ブッキングライブ、コラボレーションなども歓迎。


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