
小説家の山田風太郎氏(1922~2001)の代表作に『人間臨終図巻』(徳間文庫)という飛びっきり面白い本がある。古今東西の有名人の臨終の場面を死亡年齢ごとに分けて評伝の形で紹介してる人間描写の傑作なんだけど、108歳の項に大西良慶氏(1875~1983)が載っている。
あの“五つ子”の名付け親となった清水寺の貫主って言えば、覚えてる人もいるだろうか。
前日まで、何の変わりもなく、夕食を摂り、翌朝、隣室の僧を呼び、起こされたところで「アイタ」と一言言ったきり、息絶えた(脳溢血)って書いてある。

これぞまさに“ピンピンコロリ”(PPK)。高齢者の健康づくりに興味のある人だったら、誰もが知ってるであろうこの言葉。長野県発の言葉なんだよね。
「ピンピンと元気に老いて、最後は寝つかずコロリと死ぬのがよい」
まさに大西氏の最後は、ピンピンコロリそのもの。そりゃね、誰だって、高齢になっても元気でいたい、人に迷惑をかけたくない、在宅で最後を迎えたい。まぁ、誰だってそう思うよね。
これ自体、スローガンとして、作られた言葉だけど、これに行政が絡んで、健康づくり、医療費の抑制って思惑が見え隠れしてくるとどうも引っかかる。

このスローガンを好意的だった田中康夫知事(当時)に、社会学者の上野千鶴子さん(ケアの社会学などの連載がある)が噛みついたことがあったけど、健康な老人というのは、理想かもしれないけど、じゃあ、障害を持ってたり、パーキンソンなどで、身体の機能が十分に動かせない人はどう思うのよ?って、疑問がどうしてもあるのよね。
誰しも、健康な老人でいられるわけがない、老いて(あるいは老いなくても)、身体が満足に動かせなくなれば、家族や公的な制度のお世話になる資格は持てるはず。
PPKの推進って、そうした権利への差別を生みださないか・・・って思うのよね。僕は、年相応に、衰えていき、相応の介護の支援を受けて、自分の衰えを自覚しながら、死と向き合って、最期を迎えたいと思ってるしね。

間違ってるかな、僕の考え?
そんなことを考えながら、お袋の病院でのリハビリや、自宅でのリハビリに付き合ってるんだ。で、交代浴で手が温まったら、手の機能回復で指の一本一本を動かす。
手の甲の関節が十分に動かないから、左手は、まだまだ不自由。それでも、温まってる間は、親指を動かさずに4本の指に触ることが出来るようになってきてる。
で、タオルを使って、一生懸命握る訓練。結構キツイと思うけどね、絶えず話しかけて、気持ちを盛り上げるようにしてる。
↑の中に手を入れて、動かしたりとかね。いろいろやってるよ。
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それで昨日初めて知った言葉なんだけど、お袋がデイでやってるメニューに“ケアビクス”というのがあってね。これが結構キツイらしい。
ケアビクスというのは、「イスに座ったままできる介護予防に役立つオリジナルの体操」だそうで、ケアとエアロビクスを併せた造語なんだろうけど、30分くらいやるみたい。これは、長野ではなく、福岡県発の取り組み。
動画で検索したら、ヒットしたのがこれだけなんで、貼り付けとこう。良いよ、こういう取り組みは。高齢者が健康であることには誰も異議は唱えないから。ただね、健康でなくても尊厳は守られるべき・・・とだけは、言っときたいのさ。
ケアビクスが始まった動機が、「1995年 福岡県の老人医療費は、全国ワースト2位」だったってことを知れば、なおさら。ちなみにベスト1は長野県ってことは言うまでもないけどね(都道府県別にみた老人医療費)。
